見出し画像

経験セカンド

あけましておめでとうございます。

と、いちおう書いてはみるものの、既に終わりかけの1月。
壊れかけのレディオといった具合に、時は過ぎ去っていく。

昨年末は大掃除に精を出し、ホロホロと雪のそぼ降るなか窓拭きに勤しんだ。
赤くかじかむ指先と白い息にしみじみと冬を感じての年越しであった。
充実した年であった。

24くらいの頃だろうか、こんな日が続くようじゃ俺は27までも生きられまいと思ったことがあった。
それが今やどうだろうか、あの時の状況からはうってかわり毎日が楽しく、幸福に満ち満ちている。
変わらず悩みや不安は付き纏うものだが、それも今や人生に彩りを与えるスパイスだと思える。
本当の意味で心の中に余裕、ゆとりが出来たからであろうと思う。

どうしても、『どーにかなる』で生きられる性分では無かった。
それは『どうにかしてくれる』存在がいる人のセリフだとしか思えなかったのだ。
そういう意味では、今の自分はあの頃より弱いのかもしれない。
だがしかし、弱さを認める強さを得たから、今の幸福な環境が有ると思える。
なんにせよ、周囲の人間に恵まれていることに感謝だ。
俺はひとりでは生きていけない。

昨年末からこの1月にかけて、とても素敵な出会いが2つあった。
1人は自分よりも10も若い青年なのだが、初対面の印象からどうも大人びていて、当時の自分と比べてみても、とても落ち着いていると感じた。
若さ故のケンカっ早さこそまだ残るものの、言葉の端々に妙な落ち着き...悟りというか、なにか人生を達観しているようなことが感じられた。
出会いからすぐさま仲良くなり、歳こそ違えど僕のなかでは勝手に友人と思っていた。
そして数日後に、2人きりで音楽を聴きながらドライブをしている最中に彼は過去のことを話してくれた。
どんな流れからその話になったのか覚えてはないが、それは壮絶な物語であった。
彼の半生はおよそ、その年齢で体験するにはかなり辛く、耐え難いものだと感じた。
「普段こんな話、誰にもしないんですけどね」と笑った彼の顔は、なんとも言えない侘びしさがあった。

嬉しかった。
打ち明けてくれたことが。
いや、自然な会話のなかで、その過去を話してくれたことが。
僕がそう感じたように、彼もまた僕から何かを感じとって話してくれたのかもなと、思い違いかもしれないが、そう思えたのだった。
完璧な理解は出来ない。
それをわかったうえで、他人とわかりあおうと努力をする。
彼にかける言葉は今の俺には無かったが、その日は2人、まったりとチルした。


もう1人は僕の6個上で、今年38になる人だ。
10数年都内を転々と過ごして地元である広島に戻ってきたという。
いつもニコニコしていて、どちらかと言えば...言葉は悪いが初対面で舐められるタイプの人間だ。
僕にその人を紹介してくれた人物も、悪意ある表現で説明をした。

何を言われても「怒らない」という雰囲気の人だ。

直接会話する機会も無く、『同じ場に居る』というくらいの関係性だったのだが、ひょんなことから2人で話す場面ができた。

話して数分で感じとった、自分と同じ匂い。
おそるおそる、少しずつ、探りをいれてみる。

それは正解だった。
1時間も経たないうちに意気投合した。
似たもの同士、と認識しあったのだったが、その経験は圧倒的に僕よりもハードであった。
大笑いしながら話した。
連絡先も交換し、近いうちにまた2人で会おうと約束をした。

「結局、俺みたいな人間はズルい。イクとこまでイク訳でも無く、美味しいとこどりだから」

と、彼は言った。
俺は、自分のことだと思った。

初めから他人を舐めてかかのは、絶対にダメだ。
例え相手の歳がどれだけ若かろうと、道化に見えようとも、その本質を知ろうとする事が大切だ。
そんな事を再確認した出会いだった。

暫くの間ハマってやっていたインスタグラムで、
「あまり本当の事を見せすぎるな」と
友達に注意をされたので、色々と隠しながら書いた文章だが、言いたいことは纏められたと思う。
まあ相変わらずラップばかりしているので、出来ればまたアナタに届けられるような事になればと思っている。

年の初めにひいたオミクジに、
「問題は早期解決、でなければ遺恨が残る」
と書かれていた。

どの問題のことだ?
ぜんぶ?


取り敢えず、行きつけのキャバクラがコロナの影響で閉店、指名してた娘は退店、送ったラインは未読。

大問題だ。

と、書いてるうちに2月になった。