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消失

ショックな出来事が起きた。
昨夜、初投稿を終えて気持ちが昂っていた僕は、すぐに2つ目の記事を投稿すべくiPhoneのメモに文章をしたためていた。
それが不意に全て消えてしまったのだ。
そもそも機械と名のつくもの全般に疎い僕では有るのだが、どういったアクション起こせばそういった事になるのか、謎が解けない。
メモを作成中にiPhoneをシェイクしたのか?
わからぬが、ブルっと携帯が震えて、画面に二択の文字が現れたのだが、よく読まぬままどちらかをポチりと押した瞬間にその記事は消失してしまった。

気軽にアイディアをメモ出来る、便利になったかわりに、その全てはいとも容易く失われるのだ。

思えば初めてのことではない。
昔から、ふと出先で思いついた詩をメモすることが有るのだが、やはり同じようにたった一度の失敗で消えてしまったことがある。
ひどい時などは、携帯電話ごと何処かへ落としてしまったりなんてことも。
几帳面に手帳を持ち歩いたことなどもあるのだが、せっかちな僕はどうしても書くという行為を煩わしく感じ、携帯に打ち込んでしまうのだった。
格好いい人は、アイディアは一期一会だと言うだろう。
実際にリリックを書かないというアーティストも存在する。
たしか、Jay-zやノトーリアスB.I.Gなどがそうだったと記憶している。
忘れてしまった詩やアイディアなんかは、忘れてしまうくらいのモノだったという考えなわけだ。

しかしそうとは思えない未練たらしい僕は、どうにか思い出せる限り記憶を振り絞りもう一度書き始めるのだが、やはりその多くは失ってしまうのである。

話は変わるが、僕は以前、石材を加工する仕事に5年ほど従事したことがある。
主な僕の担当は研磨作業であったのだが、その他にも切削、そしてごく稀に彫刻をやっていた。

石に文字を彫り込む。
その依頼の多くは、「墓」関係であった。
墓地でお墓の横などに据え付けられた「墓誌」、または「戒名碑」「法名碑」などと呼ばれる石を見かけた事があるだろうか?
それはその墓地の中に収められているお骨が誰で有るかを示しているのだが、(生前、先に名前を彫る方も稀にいるが)たまに由緒正しき古い墓地にお邪魔すると、かなり古くに刻まれた文字を見る事が出来た。
職人の技術の良し悪しにも左右されるだろうが、風が吹こうと雨にさらされようと、その多くは、遥かな時を越えて現代の我々に情報を伝達しているのだった。
石は優秀な記録媒体だ。
ピラミッドが世界最古の石像建築であるにも関わらず、今もそこにそのままの姿で有るように、やはり自然の物がいちばん残り続けるのである。
まあ、ちょっとしたアイディアをメモするのに石へ彫刻を施すというのは非現実的では有るが...

話がだいぶズレてしまったが、データというのは儚いということを僕は言いたいのであった。

アイディアや詩、音楽、そのどれも自分の意思と関係無く消えてしまうと悲しいのだが、もうひとつ、失って悲しいモノがある。
それは、SNSのアカウントだ。

僕は以前、共通の趣味を持つ者同士が気軽に会話できるアプリを行なっていた。
あまり同じような音楽が好きな友達が身の回りにいない為に、そこで誰かと知り合えればと思ったのだ。

そして数ヶ月の後、ある女の娘と巡り合ったのだった。
SNSでの彼女の名前はkiyokiyo_3だった。
僕はキヨさんと呼んでいた。

いつしか僕たちは公開のチャットルームでは無く、ダイレクトメールでやりとりするようになっていた。
そして会話の内容も、趣味から極々プライベートなことまで交わす間柄になっていったのだった。

蜜月の時は流れ、ある日、キヨさんからとんでないことを打ち明けられた。

彼女は重度の薬物中毒者だったのだ。

クラブで見知らぬイラン人から買ったのが始まりで、そこからズブズブとハマっていってしまったのだというキヨさん。
やめたい、けどやめられない。
そんな日々のなかで心は擦り減り、最近では頭の片隅に「死」の選択肢がよぎるのだという。

しかし、僕にはどうすることもできなかった。

その数日後、急に連絡が返ってこなくなった。
おかしいなと感じた僕はアプリを開く。

無くなっていた。
つい先日まであったキヨさんのアカウントが、跡形も無かったのだった。
藁にすがるつもりで運営に問い合わせたが、プライバシーに関する事なので詳細は教えてもらえず、僕にはなす術が無かった。

僕は泣いた。
産まれたての赤子のように。
そして酒を飲んだくれた。
荒れ狂う僕を優しつく包み込む相手は、あいにく傍にはいなかった。
飲んだ帰りに階段を転げ落ちて、目が覚めると病院のベッドだった。
頭を強打し、4針縫った。

あれから数年がたった。

キヨさんのアカウントは消えたが、僕には思い出と傷痕が残った。