ナチュラルボーン金鳳花(第3話 強い人と強くない人)

 顔を上げた勇吾に、茶髪が説明する。
「この辺で幅利かせてるチンピラだよ。あいつくらいなんだ、オレらの知り合いで魔力持ってんの」
「友だちなんだけどさぁ」
 と、茶髪の横から、長めの髪を立ち上げた目つきの悪い少年(勇吾も目つきは悪いが)が口を開く。
「あいつ、結構、性格きつくてさ。こういうのは、絶対やってくんない。悪い奴かってぇと、そういうわけじゃないんだけど」
「いや、悪い奴だろ。あいつが悪くなかったら世の中の九割はナイチンゲール級の善人だって」
 黒耳ピアスがケラケラ笑いながら言うと、目つきの悪い逆毛が「実際、そんなもんだろ」と返す。勇吾の頭に、疑問が過った。
「そいつも、魔法使えるってことか?」
「ああ、お前と同じで、火ぃ使うな。気に入らねぇ奴はみんな燃やす、みたいな感じでさぁ、怖ぇんだよ」
 と言って、茶髪は顔をしかめた。
「でも、あいつはいっつもライター持ち歩いてんな。火ぃつかうのに」
「そこまで魔力が強くないんだろ」
 勇吾が言うと、三人は一様に目を見張った。
「マジで言ってる?」
 なぜそんなに彼らが驚くのか分からず、一瞬、ぽかんとしてしまった。
「あ、あ……火のないとこから熱使って物燃やすのは、それなりに難易度高ぇし、使う魔力も、まぁまぁいる。元々ある火を操るだけなら、そう難しくはねぇ」
 三人は感心したように、へぇ、と言った。
「全っ然知らなかったわ。じゃあ、お前、ヒロキより強いの?」
 茶髪が尋ねてきた。
「それは分かんねぇけど……」
 と返しつつ、強いだろうな、と思っていた。話を聞く限り、そのヒロキという人物はたいした使い手ではなさそうだ。ただ、魔力を持った人間がほとんどいない街で生まれ育って、増長しているのだろう。
 そういう見下した冷たい考えの一方で、勇吾の胸はチリチリ痛んでいた。目の前の少年たちを見る。眩しいくらいにはしゃぐ彼らは、魔法を見ても喜ぶだけ。眉間に嫌悪を過ぎらせたり、目に怒りを宿したりはしない。それを思うと、心の表面が熱い火の粉を浴びたようにチクチクした。たいした力もないくせに、チヤホヤされてきたのだろう「ヒロキ」が、たまらなく妬ましくなった。

「はい、どうぞ」
 目の前のテーブルへ置かれたパンから、温かな湯気と香ばしい匂いが立ち上ってきた。上に載せられた目玉焼きは、黄身の表面にうっすら膜が張り、ピンク色になっている。フォークで突けば膜が破れ、鮮やかな黄色の黄身がトロリと流れ出てくるのだろう。
「ここんとこ、ずっと起きんの昼頃だったから、朝飯とか久しぶり」
 健斗と名乗った茶髪が、そう言ってすぐ、パンにかぶりついた。黒髪ピアスの裕也と、目つきの悪い逆毛の久友ひさともパンを頬張っている。
「ほへも。なふやふみなんて、みんなほんはもんは」
 モゴモゴやりながらしゃべるので、久友の言葉の輪郭ははっきりしない。でも、そんな無作法を気に留める者は、ここにはいないようだ。
「お前、夏休みで、この辺来てんの?」
 健斗の声が飛んできて、勇吾は慌てて口の中の物を飲み込んだ。
「ああ」
 応えると、燈真を除く三人は、へぇ、と少し不思議そうな顔をした。
「こんな、何もないとこに、よく来るよな」
「もしかして、都心から来てる? ちょっと田舎っぽいとこも、たまにはいいかなぁ、みたいな感じ?」
「つか、親は? 一緒じゃねぇの? 一人旅的な?」
 あ、いや、と口から零しながら、勇吾は目玉焼きの黄身をフォークで突いた。思った通り、黄色い中身がトロトロ流れてくる。
「ぼくが呼んだんだよ!」
 思いがけない言葉が頭上が降ってきた。顔を上げると、飲み物の載った盆を手に、燈真が立っていた。
「前に、家族で行った旅行先で会ってさ。今、一人暮らししてるから、遊びに来てって言って」
 ね? と念を押すように燈真は勇吾に視線を振った。にっこり笑って頷いた彼を見て、勇吾も、ああ、と助け舟に乗る。
「え? 旅行先って、どこ?」
「どこ、だっけ……?」
 燈真が口元に笑みを浮かべつつ、少し困ったように横目で勇吾を見た。
浪之浜なみのはま
「浪之浜! 横浜のすぐそこじゃん!」
「都会!」
 勇吾は、はぁと息をついた。
「都会じゃねぇよ。そういう感じんとこは、一部の繁華街だけ。そこ以外には娯楽もねぇ」
 それに、人が集まるとこは、差別がひでぇ。喉元でつっかえたその言葉を、ぐっと飲み込む。
「別にオレのいたとこなんて、どうだっていいだろ」
 そう言い、食べかけの皿を手に持って立ち上がった。
「さっきので疲れたから、少し上で休むわ」
 燈真、健斗、裕也、そして久友がぽかんとするのを尻目に皿を下げると、勇吾は階段を上った。

 ベッドの縁へ腰掛け、深く息を吐き出す。魔法を解いて、髪と目の色を元に戻した。
 じゃおうえんさつこくりゅうは、とかいうやつの後も、何回も火を使った謎の技の真似事をさせられた。三人ははしゃぎまくって、次から次へとリクエストをし、一度やった技を何回も繰り返させてきたのだ。その結果、勇吾は一時間以上休みなく炎の魔法を使い続けることになった。おまけに、光の魔法で髪と目の色を誤魔化していたのだ。こうして一人になってみると、張りつめていたものがプツンと切れて、どっと疲れに襲われた。
「大丈夫?」
 声がして、心臓が飛び上がった。顔を上げれば、ドアの所に燈真が立っている。あの三人ではなかったことにほっとして、肩に入った力が抜けた。
「ああ」
 勇吾は顔を背けた。
「わりぃな。ちょっと休んだら、出てくから」
 燈真はまた目をカッと開いて、声を高くした。
「言ったでしょ。ぼくは一人暮らしだから全然構わないって。それに、君、他に行く宛、ないんでしょ?」
 燈真に言われて、またドキリとした。自然と眉間に力が入り、目元が険しくなったのが分かる。
「なに勝手に決めつけてんだよ。オレは……」
 せり上がってきた不快な気持ちをそのまま燈真にぶつけたが、続く言葉見当たらなかった。背けた顔をより深く俯けると、燈真の気配が近寄ってきた。
「だって、わざわざ正体隠して、あんな夜に一人で、知り合いもいない所にいるなんて変だよ。頼れる人がいるんだったら、連絡だって取れるはずなのにそうしないし」
 だからさ、と燈真が勇吾へ向かって身を屈めたのか、頭上の空気が温くなった。
「しばらくここにいなよ。みんなも君のこと気に入ったみたいだし。それに、ぼくも勇吾がいてくれたら嬉しい」
 燈真の言葉は、やっぱりこっちが作ろうとしていた壁を突き抜けて、まっすぐ心に届いてくる。言っていることは、決してすごいことでも特別なことでも、ないのに。勇吾がゆっくり顔を上げると、燈真はニッと目を細めて笑った。
「いて、くれるんでしょ?」
 念を押すように言われ、腹の底がくすぐったくなった。
 ああ……と応えてから、付け加える。
「ちょっとの間なら」
「やった!」
 口にし、燈真は勇吾の横に飛び乗るくらいの勢いで座った。ベッドが揺れて、体が少し弾む。燈真の視線の熱を片頬に感じた。
「そう言えばさ、ずっと思ってたんだけど、髪の色。染めれば、いちいち魔法使わなくても済むんじゃない?」
「それじゃ変わらねぇんだ」
 燈真が、え? と小さく疑問を漏らした。
「変わらねぇんだよ、髪染めても。なんでか知らねぇけど」
 そうなのだ。やったことはあった。ずっと父と同じ髪の色が嫌で、中学に上がってからは何回か自分で染めてみた。黒、茶色、グレー、赤……いろんな色を試したけれど、いくら塗料を付けても、洗い流した時に現れるのは、残酷な程に輝く銀髪だった。
 深い溜息が出た。
「呪いみてぇだよな」
 心の底から、そう思った。呪いみたいだ。この髪も、それに目も。魔法だって、色自体を変える方法は効かないのだから。
「とりあえず、ちょっとの間、世話んなるよ。あ――」
 言いかけて、声が詰まった。深く息を吸い、吐く。気持ちを立て直すと、燈真の方を向き、けれどその視線は避けて、声を押し出す。
「ありがとな」

 はぁ、はぁ、はぁ……。
 呼吸が響いている。激しく苦しげな子どもの呼吸だ。
 ほとんど何も置かれていない広い室内。閉められた窓から、夜の気配が忍び込んできている。
「この程度で倒れるのか! 情けない」
 男の、低く太く冷たい声がした。
「立て! できるまで続けろ! できないわけがないんだ!」
 今より幼い自分がかぶりを振る。
「ごめ……んな、さい……」
 肩で息をするその隙間から、高い声が出た。
 謝んなよ。そんな必要ねえよ。そう思っても、幼い自分は謝り続けた。もう、立て……ない。ごめんな、さい。涙がどんどん声に滲んでくる。全身の肌が粟立っだ。泣いたら余計に怒られる。小さな自分がそう思っているのが、分かった。怖いと思うほど、言葉を紡がずにはいられないのも、分かった。
 巨獣も打ち倒しそうな太い腕が小さな自分の胸元へ伸びてきて、ぐっとその服を掴んだ。体が重力に逆らって浮き上がる。
「どうして弱い振りをする? できないふりをする? お前には誰よりも強くなれる素養があるというのに。なぜできるのにやらない?」
 グッと胸ぐらを掴んだまま、男は勇吾の体を揺さぶった。
「世の中には、どれだけ努力しても負け犬にしかなれない人間もいるというのに。強くなるための才能を持ったお前が、どうして力の全てを出そうとしない? お前は強くなるべきなんだ。オレが今でも成し得ていないことを、この世界を変えるってことを、お前は実現しなくてはならないんだぞ!」
 知るかよ、そんなの。そう思った。言っちまえよ。うるせえって。やりたきゃ、てめえ一人でやれって。
 けれど、やはり幼い勇吾は顔をクシャクシャにしてしゃくりあげながら、ひたすら謝り続けた。ごめんなさい、ごめんなさい――
 謝ったりすんな。お前は、オレは、悪くなんかないんだから――
 強い思いが過ぎった時、目が覚めた。

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