遺言であり、遺言ではない、遺言のような何か

僕の背後には、いつも死神が付き纏っている。


…あ、別に霊感があるとかじゃないですよ?笑
俗に言う比喩表現ってやつです。

ここで言う死神は、「自死感情」です。

もちろん、今すぐに死にたいとかは思っていません。
ただ、僕のすぐ後ろには、いつもこの死神がいます。離れたくても離れられない死神が。

特にこの約1年くらい、ずっと何かがモヤモヤしていました。人間関係、仕事関係、合唱関係…挙げればそりゃキリがない訳で…。

いつもは悩んで考え込んで結局何も話さない僕ですが、このままでは何かがいけないと思ったので、今回はここに書き記しておこうと思います。
かなりの長文になっているかもしれませんが、今現在、少しでも僕と関わりのある方は、読んでいただけると幸いです。

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僕という人間は、超ド級のネガティブ人間です。これでもだいぶマシになった方でして…。
そもそも何故こんなにネガティブなのか…。それは、幼少期の経験からなのだと思います。

僕には、強烈なコンプレックスがあります。まず、自分の「顔」です。
もしかしたらどこかで話したことがあるかもしれませんが、僕は生まれてすぐくらいから、顔に大きなほくろがありました。小学校時代は、自分の写真のほくろの部分に画鋲を刺されたり、デスボールと揶揄されたりしてました。また、幼稚園から中学まで乱視を治すため、メガネをかけていました。これもまた、メガネザルだとか色々と言われました。
おちゃらけて返す方が自分のためだったのかもしれませんが、当時の僕にそんな事はできません。ずっと耐えていた事をよく覚えています。今でもその時の事を夢で見てうなされています。落ち込んでいる時でも、とても幸せな時でも。

中学2年の時、両親に提案されました。「手術しよう」と。ほくろと思っていたら、稀に皮膚がんといったような悪性腫瘍だったという場合があります。当時の私は、「それなら手術しないといけないな」と思いました。しかし、よくよく考えてみれば、生まれてすぐからあるほくろが癌である事はほぼほぼありえません。もしそうだったらそこまで生きていないでしょうし。
実際、病院では「脳とほくろがつながってるかもしれないから」と、CTスキャンを撮ったりしましたが、これらもひょっとすると、両親と先生の僕への配慮だったのかもしれません。

そして、ほくろを取って最初の登校日、僕は同級生にこう言われました。「やっぱり気にしてたんじゃん!ダサッ!」
この時、僕は決断しました。こんな世界、いたくない、死んでしまった方がマシだ、と。

でも、結局のところ、死ぬことは出来ませんでした。首を吊る準備をして、自身の首にかけるところまでいったのですが、親が帰ってきた瞬間、慌ててすべてを片付けて、何事もなかったかのように平然を装いました。「バレたら迷惑がかかる!」そう思いました。死んだらそれはそれで迷惑かかるのに、矛盾ですよね笑

それからの僕は、ひたすらに自分を抑え込みました。こう言われてこう返せない自分が間違ってる、対応出来ない自分が悪い、そう言い聞かせながら過ごしました。また、自分の顔に対しても、「特徴のない不細工」としか見ることが出来なくなりました。そう思うことで、むしろ心を安定させていたのかもしれません。

高校に入り、新しい人だらけの環境になると、それまでの生活とは一変し、友達もたくさん出来ました。ほくろも無く、メガネもしていなかったこともあったからか、少しは自信もついたような気がしました。しかし、そこでの自分も、決して素の自分ではありませんでした。ずっとどこかでモヤモヤしている…そんな状況がずっと続いていました。

この頃から、自分の「性格」についても、極端に嫌う様になりました。本当は臆病者で、偽る事でしか自分を表現できないならず者だと。

そうしているうちに、僕に2度目の死神が迫ってきました。以前より友達が増えても、自分が必要とされているとは到底思えず、「あ、俺っていらないな」とどうしても思ってしまう…。そして、やがて僕はこう思うようになりました。「学生の時点でこうなのだから、社会人として必要とされるはずがない。もっと苦痛を味わうくらいなら、学生の内に死ぬべきでは?」

こうして僕は、「大学3年の夏休みに死ぬ」という死期を定めました。

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ここまではよく聞かれるネガティブの要因の話。ここからは、「合唱」を通じて人生を救われた話になります。

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大学でグリークラブで活動して、初めての本格的な合唱経験(中学とかでパートリーダーはやってたけど)だったけど、とにかく楽しくて、歌うことはもちろん、限りなく自分の素を出して、仲間1人1人と本当の意味で打ち解けられていたと思います。間違いなく、人生で1番楽しいと思ってました。
それでも、死ぬことを撤回しようとはなりませんでした。だって、この先には地獄しか無いと本気で思ってたので。

そして、大学3年の夏休みも終盤に差し掛かったある日、練習帰りに僕は何故か、死ぬつもりだということを一緒に帰っていた団員に話しました。今思えば、やはりどこかで死にたくない、生きて合唱を続けたいと思っていたのかもしれません。その団員は「絶対に死ぬな!明日も練習に来い!」と僕が死ぬ事を止めました。それから数ヶ月間、僕は何度も死ぬ事を実行しようとしましたが、その度に、その団員と合唱の事が頭をよぎりました。初めての定演での終わりのない歌の演奏、皆との飲み会、合宿での思い出…。結局僕は、その団員に死ぬ事を止められ、合唱に生かされ続けていたのです。(その団員の方には感謝してもしきれません。)

やがて年も明け、就活が本格化する時期になり、僕は「就活が上手く行ったら生きようかな…」とぼんやりと思うようになりました。合唱があるのなら大丈夫かもしれない、と思えるようになったのかもしれません。結果として、大学4年の4月に内定をもらい(1年半で退職する事になりますが、それはまたの機会に…。)、卒業までを合唱に専念しました。今の人生を最大限に楽しむために。

そして12月、最後の定演が終わり、僕はこう告げました。「社会人になっても合唱がしたいです!」

この選択が、僕の人生に希望を与えてくれることになるのです。

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ここまで読んでいただいてありがとうございます。
実は、ここまでの文章は随分前からメモに書いてありました。よく、「なんでそんなにネガティブなの?」と聞かれるのですが、どうしてもその本当の理由を話す気には中々なれずにいました。それでも、いつかは話さないとな、と思って、メモに残していました。元々台本人間なので、メモに書いてあった方が現実でも話しやすいですし…笑

では、何故今この話を公開しようと思ったのか、それは、別れは突然やってくるからです。

先日、とある知り合いが1人亡くなりました。合唱界隈ではないし、正直ほとんど接点もなかったのですが、僕はこの方にお礼をしそびれました。些細な事でしたが、直接お礼を言う事が出来ませんでした。年齢も割と近かったので、まさか亡くなるとは思いもしませんでした。お礼が言えなかった事が、どうしても心残りになってしまいました。

それともう1つ、公開しようと思った理由があります。それは、僕は恐らく突然死系で前兆無く死ぬんだろうな、と漠然と感じたからです。(死神割りと近くにおるやないかい。)

何故そう思ったか、その答えこそが、ここ約1年のモヤモヤの正体でした。

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社会人になり、複数の合唱団に所属し、様々な方にお世話になりました。もちろん、色々と考える事とかはたくさんありますが、何よりも、合唱を通じて出会った1人1人には、感謝しかありません。感謝してもしきれません。
そんな大切な方々に、僕はなんとしてでも応えたい、恩返ししたい、そのために、僕は全力を尽くしたい、そう思って、今まで活動してきました。
もちろん、複数団体に所属して、かつ普段仕事をしながら合唱をする訳ですから、時には無理もしなければなりません。その無理を、僕は平気で重ねてきました。そりゃ人によっては簡単にこなせることかもしれませんが…笑

特にこの1年は、転職してほとんど新規事業という状態から、ほぼ自分1人で業務を展開しながら合唱をする状態でした。
正直、ずっと体調不良です笑
それでも、僕は無理をし続けています。貢献をすることが、最大の恩返しだと思っているから…。

しかし、最近こう思う様になりました。「自分を大切に出来てないよね?」
特に最近、多数の友人からこう言われます。「辛そうだし、休みなよ」「心配だよ」「病院で診てもらったほうがいいよ」と。
言われて、ようやく気づきました。僕は自分を犠牲にして、恩返しをしようとしているのでした。
合唱のためなら、大切な人のためなら、僕は喜んで無理をします。でもそれは、望まれている事なのか?そこを僕は考えていなかった。

前述したように、僕は本来死んでいるはずでした。それを、合唱に救われたことで、今があります。それからの人生を僕は、神様からもらった最後のチャンスなのだと思っています。だからこそ、僕は全力で恩返ししたい、そのためなら無理をしてでも恩を返したい、でも、それで死んだりして迷惑をかけるのは絶対に違うだろう。ここで生じる「矛盾」のような何かが、モヤモヤの正体でした。

結局、その矛盾に対して答えは出ないだろうし、これから先も僕は無理をしていくんだろうと思います。大切な方々のために。

ということは、まあいつかは身体に限界も来るんでしょうし、病院も中々行く時間も無いので、早期発見とかもないんだろうなぁと思います。

それでも、後悔したくないんです。恩を返せるのは今しかない、そう思って行動しないと、絶対に後悔する時が来るから。

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これが、僕が公開しようと思った理由です。僕はよく悩みます。悩んで、考えて、結局我慢する事がほとんどです。でも、それでは絶対に後悔する。だからせめて、文面で書き記しておこうと、そう思って今回このnoteを作成しました。

合唱を通じて出会えた皆が本当に大好きなんです。どの人も僕に笑顔と希望をくれます。だからこそ、僕はこれからも恩返しに全力を注ぎます。こんな僕ですが、どうぞ皆様、今後ともお付き合いくださいませ…!


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