勝負事におけるトリッキーなアクションと戦犯と呼ばれる行為について。
勝負事において、トリッキーなアクションでファンを魅了することに憧れを抱いている。 しかし、それは常に敗北・戦犯と隣り合わせだ。
そのギリギリのラインで勝つ天才を見るのはすごく面白い。
格闘技で言えば、須藤元気氏。
ポーカーで言えば、りゅうたろう氏。
将棋で言えば、佐藤康光氏。
人狼で言えば、しんたろー氏といった感じで、彼らのプレイには尊敬の念を抱いている。
かといって、自分ができるかと言えば全然出来ない。
しかし、哀れなことに私は、トリッキーなプレイを真似てみたくなってしまう性を持っている。
この間、あるプレイヤーに対し、「ベントから出てきました」とかまをかけるというトリッキーなプレイラインを取ったのだが、あれは自視点でベントの位置から突然現れて見えたこと、展望からミーティングに至るまで追いかけられた点を含め、10回に5回はインポスターという自信があったから、ブラフを仕掛けた。
そこで、まさかのまさか。かまをかけたプレイヤーはシェリフだった。
自分の考察は、ミスであった。100%自分に落ち度がある。 当てたら普通。外したら戦犯という状況の中で私は戦犯を引いてしまった。
アモングアスに慣れたプレイヤーの中には、他のプレイヤーに対し、「あの位置には絶対にいなかった」と強く主張し、反応を伺った上で、反応が本当に驚いたようなものであれば、クルー陣営かどうかを判断する上での要素にする者もいる。
そういった一つの材料になればと窯をかけたのだが、まさかの10回に5回はインポスターどころか、10回に1回のシェリフを引いてしまった。
自分としては、結論が出たので、次の議論に進んでいいと思うのだが、村全体としては、死者が出ている議論の冒頭で時間を浪費した時間を考えれば、村利がないと判断され、狂人が配役としてあるレギュレーションにおいては、マッドメイトではないかという精査が必要になってくる。
そういった意味でも、10回に1回を引いてしまったのは、大戦犯だったのである。
中盤、私が吊られた盤面化においての状況をロジカルに精査すれば、停電即直しを2度している為、マッドが否定され、人外の中でも仮にインポスターであれば、クルー陣営1人に自ら対抗し、ローラーされに行くというのはあまりにインポスター利がない。
冷静に推理を行えば、人外であってもクルー陣営であっても発言は不自然という結論にしか至らないはずだ。 ただ単に、ミスしているどっちかの陣営という結論が残るだけのはずだと思っている。
人狼ゲームは、悪い言い方をすれば責任逃れのゲームであると思う。ミスした人間を吊って負ければ、ミスした人間が戦犯で済まされると思っている。 推理力に長けている人間は、それを分かっていてやるし、発言に違和感を覚えるから、人外だという考察で吊りを入れる者もいるだろう。また、単にミスしている人間とみなし、白とも黒とも要素として取らない者もいるだろう。
どれが正解というわけではないのだが、ミスをした人間は、制裁を受けても仕方がない仕組みになっており、リスクを取った行動は、制裁を覚悟した上で行わなければならない。
ミスをするというのは、言わずもがな非常に辛いことなのである。
人間である以上、ヒューマンエラーは必ず起こる。
その中において、いかにそれを減らしていくかというのが、勝敗を重視した場合におけるプレイヤーの課題であると考える。
トリッキーなアクションを行う場合、ミスの頻度はより一層増えることになる。
それでもなお、ミスを犯すことを恐れないメンタルでいくのか、手堅くプレイをしていくのか、それは各々の覚悟に依拠するものだろう。
前者を選ぶのであれば、戦犯と呼ばれ、辛酸をなめる大きなリスクを背負うことを忘れてはならない。
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