バラエティコーナーの一角から「1」を失う

私が好んで手を出している技術介入機は最低設定の出率が甘い事もあって大量に導入されているホールは少ない。バラエティコーナーに1台は置いておいてあげるけど、何かしらのきっかけや口実を見つけて近いうちに撤去してやろうと目論むホールが多い事だろうと、そんな風に勝手にホールの人間の気持ちを邪推しているので私は「置いてあるうちに打ち倒してやろう」と考える。

しかしそこはバラエティコーナー。1台か2台しか設置のないシマとあっては他のお客さんが打っているなんてこともしばしば。今日もダメ、次の日もダメ。ならばその次の日は普段より1時間早くホールへ行こう。それでもダメなら2時間早く、いやなんなら朝一から… というのがバラエティコーナーを主戦場とする客同士のせめぎ合いである。

そんな事をしているものだからライバルの顔と言うのは簡単に覚えてしまう。大抵心の中ではロクなあだ名をつけて貰えないわけだが、それは相手にとっても同じことだし、両名ともにホールの人間からも適当な蔑称込みのあだ名で呼ばれているはずなのでおあいこ様だ。

そしてバラエティコーナーが主戦場となると、自分とは無関係な機種を打っている面々も自然と覚えてしまう。「いつもあの機種を打ってる人」というワード+体の特徴あたりを組み合わせてあだ名が誕生するのは私の周りだけではないだろう。


私が週に1回行くか行かないかくらいのとあるパチンコ店。そこに「猫おじ」と呼ばれる常連がいた。その店は私にとっては「負けに行く店」だ。私が打っても良いと思える台がごく少数しか設置が無いのに加えて、50枚貸5.5枚交換再プレイ500枚までという勝たせる気が1ミリも無い条件の店だからだ。その店は主に設定狙いで朝一から狙う店なのだが、ここ最近は客も増えて競争率が高まったので台すら取れない事も増えてしまった。幸い技術介入機がバラエティに少数設置されているので、特別打ちたいものが無い時は少ない貯玉分だけ打って適当に帰るようにしていた。

そんな状況の中、ある1台だけは絶対に取れない台というのがあった。その台というのはバラエティコーナーに1台だけある「キャッツアイ」。

そう、「猫おじ」というのは「キャッツアイにいつも座っているおじさん」のあだ名だ。私のnoteやTwitterを見て頂いている方はお分かりと思うが、私も大概キャッツアイが好きな人間である。抽選負けをしたらキャッツをこすって帰ろうと思っても、何回見に行こうともいつも「猫おじ」が座っているのである。この店を根城にしている友人に聞くと「イベント日かどうかに関わらず50%くらいの確率で居る」事や「いつも打ってる割りにそこまで技術介入が上手いワケではない」事を教えてくれた。

私はこの店の常連というほどでもないし、他に打てる技術介入機はあるし、キャッツアイはもっといい条件で打てる店も他にある。わざわざこの店で打つ必要も無いので打てない事自体は何も思わなかったし、なんならこの悪条件の店でもキャッツアイを打ち続けるこのおじさんは心底キャッツアイとこの店が好きなんだろうなと微笑ましく思った。

そして、しばらく経ったある日

新台入替の翌日となったイベント日、いつものように抽選で200番代を引き当て再整列を前に友人と談笑していた。「今日もなんも座れねーから、猫おじ居なかったらキャッツ擦って現金投資する前に帰る」と宣言すると友人から「キャッツは無くなってニャル子になった」と言われた。

私は「いやいや、他に無くす台あるって。バラのどっかに移動しただけでしょ?」と食い下がるも、「昨日、台選びのついででデータ見てたら機種一覧から消えていたし、キャッツが置いてあった台番がニャル子になっていたから間違いない」とトドメを刺された。

その話を聞いた私はキャッツアイが無くなってしまった事よりも「猫おじ」がどうなってしまったのかが気になった。抽選番号も悪く何を打つでも無かったのでまずはキャッツアイの跡地を聖地巡礼する事にした。そこには新台のニャル子とスマホ片手に何かを調べながらスライドプッシュに余念がないキッズの姿があった。

そして、一縷の望みをかけて他のバラエティコーナーをぐるっと回った。キャッツアイは無かった。念のためにもう一周した。やはりキャッツアイは無かった。

普段の出現率は50%でも、特日にしか訪れない私の知る限りでは出現率100%だった猫おじは果たして今日は来ているのか、そして何を打っているのだろうか?気になった私はホールを一周した。1パチコーナーも5スロも見た。私が見たタイミングがたまたまトイレタイムだったかもしれない。そう思ってもう1周ホールを見て回った。危うくエナ小僧と間違われかねない危険な行為であったが、そんな事より猫おじの行方が気になって仕方が無かった。危険を承知でおまけのもう1周をした。ちなみに美味しい台は落ちていなかった。

そして、猫おじは居なかった。

言葉に出来ない寂しさを覚えながら喫煙所で一服。その後、カバネリのキリントロフィーが出現して意気揚々とぶん回していた友人に何気なく話しかけた。

「キャッツマジで無いじゃん、猫おじ可哀そうだな」

するとこう返ってきた。
「昨日来てて既にキャッツは無かったんだけど、エナ徘徊してたらちょうどキャッツの場所に来た時にすれ違ってさ。悲しそうな顔でどっか行ったよ」

他人事だしそのおじさんの事なんか1ミリも知らないのだが、同じバラエティコーナーで戦う同志が一人減ってしまった事になんとも言えない気持ちになってしまった。新台でもデータカウンターをリセットしない適当な店であったので、そのオジサンが残したであろう過去一カ月間の履歴が哀愁を誘った。決してきっちりと低設定域の甘さを享受できていたとは言い難い履歴ではあったが、そこにはオジサンが戦った記録が残されていた。

そのオジサンがどうなったのかは知らない。キャッツアイを打ちたいだけであれば他に2店舗ほど選択肢はある。いずれかのお店へ行ったのだろうか?私の知る限り一つは居ぬきで設備も古くイスもガタガタ便所は汚い、その割りにかかっているBGMだけはうるさくて居心地は最悪と言っていい店。もう一つの選択肢は郊外の大型店。店内はキレイで接客も良いが客は殆どおらず出そうな雰囲気を1ミリも感じないお店で、ちなみに我がホームだったりする。わざわざ他の店を回ってまでオジサンの生存を確認しようとは思わなかったが、いずれかのお店で元気にキャッツアイを遊んでいて欲しいと願って止まない。

確かにキャッツアイは甘い台だ。前述したように私はいつ撤去対象となってもおかしくないと思っていたし、仮にホールにとって痛い台では無かったとしても逆に稼働が高い台といえるような台では無いのでそういう面からも撤去されてもおかしくないと思っている。

だが、あまりにあんまりだ


最近パチンコ関連のSNSは異常性を感じる事が多い。どういう点がと聞かれると、パチンコ業界人しか知り得ない用語や情報が一般遊技者である我々にも届いているという点だ。例えば「稼働貢献週」などという単語が台の良し悪しを判断するような目安の1つとして一般的になりつつある。

稼働貢献週など、ハッキリ言って一般遊技者にとってはどうでもいい指標である。自分はこの台が好きであるというただ一つの指標だけあれば世間がその台の事をどう思っていようとどうでもいい事である。そうでなくてもSNSを見渡せばちょっと知識を披露して目立ちたい業界人の自己顕示欲に塗れたツイートが散見される。

こういった現象に対する私の意見は以下のツイートに投稿した。

最近のホールはビッグデータをもとに客の動向や流行りを分析したり、設定配分や釘調整をしている店が多いようだ。それすら見ていないホールは私は論外だと思っているが、そうでなかったとしても私は声を大にして言いたい事がある。

我々ユーザーは1の集合体ではない

各お客ごとに趣味嗜好は異なる。その集合体がビッグデータなのだが、それはあくまで「集合体」に過ぎない。ビッグデータは大きな傾向や大きな数字を見る事は出来るが、それでは「1」と向き合った事にはならない。

今回のキャッツアイの撤去も同様の事を思う。大して上手でもなくしこたまメダルを抜いていたわけでもない「1」人の客を失った。「業界」という主語を使いがちな人はその「1」が積もりに積もって「10000」となり得る事を理解しているのだろうか?様々な台に対して「使えない」「客がつかない」などとネガっている業界人は、そういった話には目もくれず夢中になってその台を楽しんでいる「1」人を諦めてしまうのだろうか。

どの「1」から吐き出される金であっても店の懐に入ったら金の価値は一緒だ。パチンコ店や娯楽業というのは、同じ価値の金をユーザーにとってどれほど別の価値で高めて還元できるかという商売だと思う。それはお店における体験のみならず、お店の外においてもその娯楽に対する楽しみを永遠に持ち続けて貰う努力というのが必要だと思う。今のSNSを見ると自己顕示欲というケツ拭く紙にもならないような物を得る事で、お客から1円も巻き上げる事無く客を手放すのが上手だと思う。

いつも言っている事の繰り返しになるが、業界を良くする為のたった1つの方法がある。「1」を大事にすることだ。「1」があればその「1」がもう一つの「1」を連れてくる。「木を見て森を見ず」という言葉があるが「木を見ない事には森を見る事は出来ない」のだ。まず木を見る事から始めて欲しいと切に願う。

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