「専業」という悪魔に囚われた悲しき子羊達へのレクイエム

近々専業と業界人がなんか戦うらしいスペースが開催されるらしいが、今回の記事はそれとは大よそ無関係である。テーマすら決まっていない「ディベート」というのは聞いた事もないし、ディベートというものはどちらの理屈が正しいかを決める議論では無い。黙って相手のいう事を聴けないような連中がする口喧嘩とは違う。ディベートにはきちんとルールが存在する。脱法告知大好き業界人と、人のお零れに与ってばかりで自分では何も生み出す事がない専業がそんなルールを知ろうはずもないし、ルールを守って価値のあるディベートを行えるはずもない。

そんな話はどうでもいい。かねてよりSNSで業界人風を吹かしている連中は声を大にして専業、パチプロと言う連中を毛嫌いするような発言を繰り返す人間が多い。数年で廃業も間近と思われる店舗も多かろうが、そんな悲しき連中へせめて最後は安らかに業界を引退できるように心のこもったメッセージを送ってやろうと言うのが今回のテーマ。

業界人が執着する異常なまでの「専業叩き」

「専業叩き」というのはここ数年で露骨になってきたと感じている。一般客である私にとっては至極どうでもいいツイートなのだが、何かしらパチンコパチスロの最新情報を得ようと業界人をフォローしている自分のTLには非常に目につく。

パチプロと言う存在は古くから存在している。少なくとも私が初めてホールに行くようになった15年ほど前の時点で存在していた。その頃は当然SNS等は存在せず業界人の声など一般客に届きようもなかったが、時代は変わりそれでもここ数年、いや1年ほどの間に露骨にそういった声が多く聞こえるようになった。

そもそもどういった人間であれ、露骨に特定の存在を叩くというのは見ていて気持ちのいいものでは無い。エンターテイメントを提供する立場の人間がそれをやっていれば、その専業叩きはエンタメなのかマジで言っているのか判断に困る事もある。そういうのはLINEやzoomなど、一般人の目につかないところでやってくれと言うのが正直な所。

こと近年は、遊技客の絶対数が減りつつあるのは誰でも知っている事だろう。そんな中で残っている連中が、やれ「お前が悪い」だの、「お前のせいで俺たちは」などとやりあっているのは、さっさと業界に見切りをつけて別業種へ移った人間からすれば愉快痛快極まりないだろう。

専業は業界人の身からでた錆である

パチプロという存在は、いわば一般客の負け分を店と折半して貰っていくような存在である。その構図はパチプロと言うものが存在する頃から変化はしていないだろう。

では、なぜその存在が「ここ数年」になってから異常に叩かれるようになったのか。その理由を考えてみたい。

その一つに、パチプロの「目に余る行為」が散見されるようになったからではないだろうか。軍団行為、露骨な張り付きによるハイエナなどはまさにそれだ。今の業界人の中にも若い頃はパチンコパチスロでブイブイ言わせてた連中は多いだろう。当時を振り返り、「自分もプロ行為に近い事をしていたが、今の若者ほど露骨ではなかった」という人も多いだろう。今の若者が異常なほど期待値を追い求める姿を、品が無いとかダサいとか思っている事だろう。

言い分は分かる。ただ個人的には「五十歩百歩」である。パチンコにおける成功体験や楽しいと思える瞬間はつまるところ「勝っている時」である。自分が客だった時の体験を、今の客のやり方と照らし合わせて文句をつけているように見える。
客からみると過程云々はさておき結局「勝ち」という「結果」こそが重要である反面で、パチンコ店から見た場合「負けながら楽しんでもらう」という「過程」が何よりの商品である。そうでなければ店はつぶれるからだ。それは当然の事。

この、客と店が求める物の違いというものもパチプロが存在し始めたころより存在するギャップだっただろう。当時と違うのは「適当に営業してもパチンコ屋が儲かる時代ではなくなった」ことだ。

では、なぜ「いま」なのだろうか。

何十年前から構図は変わっていないのになぜ今パチプロを叩くのだろうか。爆裂AT機の4号機時代から5号機を経て6号機に着地する過程で何故ゆっくり時間をかけてパチプロを追い出そうとしなかったのだろうか。答えは簡単である。「先見の明が無いだけ」だ。4号機から5号機に移行する段階での客離れを体験して、5.9号機という地獄のような機械が作られ6号機に移行する過程では、明らかに少ない客を更に奪い合うようになるのは目に見えていた。その中であらゆる損を切るとなれば、パチプロに対する風当たりと言うのはもっと早い段階で強くなっているべきだったのに、そうはならなかった。だから私は今専業を叩いている業界人を見ると「自分の経営能力の無さを専業に八つ当たりしているだけ」にしか見えないのだ。

私は専業は嫌いである

ここまで読んで私は専業という存在に肯定的であると思っている人がいるならば、誤解を解いておきたいと思う。私も専業は悪であると思っている。店の利益を持っていくからとか、大人数で埋めて設定のある台を根こそぎもっていくからとか、そんな高尚な理由ではない。単純に「目につく」「ウザイ」だけだ。

天地開闢以来の謎だが、なぜ専業は専業と分かる見た目をしているのだろうか。もっと大人しく目立たなくできないものだろうかといつも思っている。自慢だが、私は幼少期より背の順で並べば一番後ろ、股下1メートルのすらっとした長い脚をもつ体重100㎏の大男である。この世に存在するだけで目立つ人間として生を受けた。だから、どうしたら少しでも目立たなく居られるかと言うのは割と自然に覚えた。

パチンコ屋での立ち回りにもそれは生かされている。美味しい台を探すにしてもホールは1周しかしない。通路では立ち止まらない。スマホを見ながら歩いたりしない。期待値を調べるなら台を取って1回店の外に出てスマホで調べる。店員には極力愛想良くする。前からチビが歩いてきて自分のパーソナルスペースを主張するなら、体を横に向けてソーシャルディスタンスを維持してやる。体のでかさに比例した懐の大きさと、反比例した態度の低さを持ち合わせている。

自慢ばかりで申し訳ない。にしても、私の心がけとは全く真逆の態度を取っている人間の多い事。そしてパチンコ店においてはその殆どが専業だ。私の周りには専業を指す言葉の一つに「バター」という蔑称がある。生クリームをかき回すかの如くホールを一生ぐるぐる回る続ける様が「バターづくり」のように見えるからである。期待値や遊タイムなどが簡単に調べられる時代、世は正に大バター時代。ホールはバターまみれなのである。バター屋さんには申し訳ないと思っている。

客と業界人の「対専業」の考え方の乖離

大抵の客の場合ホールの利益の事なんか1ミリも考えていない。私は技術介入機やノーマルタイプを主に好んで打つ人間だが、隣のディスクアップが連チャンしようモノなら舌打ちしつつ「店がつぶれるほど連チャンさせろ!」と思いながら眺めている。大抵の場合、隣の台以前に自分の投資が止まらないので隣の連チャンと併せてチャラ。おかげで店がつぶれた事はまだ無い。残念な事だ。

一方で業界人の考える専業に対する嫌悪感と言うのは「店の利益をもたらさない存在」という意味の色が強い。もちろん、「一般客にとっても邪魔な存在だから」という理屈では一般客の考え方と一致している。しかし、それはいわゆる負け組にとっての良い環境を整えるという意味であり、最終的に「店の利益」と言うものの存在を考慮しているかどうかという点では、大きく異なっている。

要するに同じ「専業はクソ!」でも発言する人によってそこに至るまでの思考と言うのは大きく異なっているのだ。その思考過程の乖離と言うものを業界人は正しく理解できているのかという点が、私は大きな疑問なのである。

この乖離がある状態のままSNSで「専業アンチ活動」をするとどうなるか。一般客とパチンコ店は利益相反の関係にある。つまり業界人の利益というものは一般客の損である。この関係をまず理解しているだろうか。

例えば、「業界人がいういい台っていうのは、客から利益がガッポリ取れる台という意味だ」と捉えられる。究極的に言えばSNSなどの一般客に見えるような状態の場所でいくら声をあげても無駄どころか逆効果なのである。そして、いくら客に対して理解を求めても理解されるはずもないのである。私はどんな問題や事案に対しても、「パチンコ業界人は声高に喋るな。黙って粛々とやれ」と思っている。

アホなツイートをする暇があるのなら少しでもホールへ足を運んで自分の店にいる客の様子を窺うべきだ。せいぜいパーラー富士のように、公園で酒を飲んだり、近くの店でパチンコ打ったり、そのレベルのツイートが丁度いい。

YARLEN SHUFFLE〜子羊達へのレクイエム

そんなわけで、専業を肯定するでもなく業界人を肯定するでもない中途半端な読み物をこんなところまで読んで頂き光栄である。どちらかと言えば、専業は滅んでも私の人生には大した影響はないが、パチンコ店は無くなると大事な趣味が1つ消えてしまうので業界人には適度に頑張ってほしいところである。

サザンオールスターズ「YARLEN SHUFFLE〜子羊達へのレクイエム」より


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