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写経#002 "海岸通り"

説明:上から目線の添削や評論、解説じゃない。愛読、愛唱している、したくなる文章や詞(詩)を筆写(手入力)して、どこに揺さぶられたのか、優れた表現を見つめ直す、取り戻すための習作シリーズ。自筆文字は汚いので悪しからず。

今回は最近知り合ったライターSさんからのリクエストで、アジカンの楽曲を取り上げてみました。思い入れがないぶんフラットに分析できるかなと思ったら、Youtubeのコメントで予備知識をいれてしまいちょいフィルターがかかってしまったかも。てことで、こちらです。

・3.11前と後で受け手の思い描く象が変わる「何気ない季節の描写」

歌詞全体の構成自体はスタンダードな春、旅立ち、卒業シーズンを描いた楽曲。丘から海を見下ろせる街で生まれ育った若人たちが、夢や希望、欲望を抱えてそれぞれの進路に進む。みんな離れ離れ。別離というライフイベントに遭遇した際に気づく、過ごした何気ない日々の懐かしさ、愛しさ。

2004年に発表された2ndアルバム『ソルファ』に収録された『海岸通り』は概ねそういう構造と風景の楽曲だった筈。

これが、3.11以降は前提条件が変わってしまう。前出の夢や希望(あれがない、これもない どんな希望も叶えたい欲張り)、毎日のように観ていた海や春に咲きほころぶ桜並木、君の笑顔。それらはすべて、穏やかな日常が繰り返されていたからこそ、存在し得たのだと。人々は大きな破壊と喪失の後に気付かされることになる。

楽曲や歌が、創作者の手を離れて当初の意図とは違う形で独り歩きや育っていくことは、ままあること。ただ想定以上に大きな物語や思いが乗っかっていることに、原作者、歌い手としてはどう思っているのだろうか。ゴッチ自身も復興関連のイベントでこの曲を歌っているので、当人の意志はもちろん介在しているとは思うが。機会があれば、アジカンファンの方の知見を伺ってみたい。

余談:ちょいちょいコードがあれじゃん(笑)てことで元ネタ。ファン的には今更だし彼らも影響を公言してる。こないだのノエルの来日でもシンガロングで盛り上がってたらしい。

※権利者各位:個人習作のための模写ならびに引用ですが問題有りましたらお知らせください。


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