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【RadioTalk連動企画】Mさんとの往復書簡

※本記事はRadioTalk『ライター's ラジオ編集後記』#67で取り上げた、MさんとのChatwork上での対話の全文です。番組と合わせてお読みください。


・Mさん
職業:イラストレーター
元同僚で現在はzomの創作活動におけるアドバイスをくれる友人
和光大学美術学科卒業
小林賢太郎作品が好き


M:聞いた。
前提として、小山田さんの発信した謝罪文を読んでから色々考えたことです。最初の小山田さん回のRadioTalkも聴いたし、その時は「①当人や当時の関係者が事実関係をはっきりさせるすること②憶測だけで叩いている人々に共感はしない③これまで本人が明確な訂正や謝罪をしてこなかったことは批難されても仕方ない」というスタンスでそれは今も変わってないよ。

配信停止、出荷停止になるのには商業的な理由が大きいよね。
METAFIVEの発売中止については販売した会社が叩かれる可能性を考慮したからだろうから、商業的に難しいと判断したものを販売しろって言ってもなかなか難しいんじゃないのかなって私は思うよ。

別に自力で出すぶんには問題ないのだから、もし今すぐ出したいなら会社の力を使わずに自分たちで出せばいいんじゃないのかな。ずっとファンでいてくれる人はそれでも買うでしょう。今やりたい、今すぐ出さないと意味がないという作品であればそうした形も取れると思うよ。今ならYou Tubeとかもあるしね。

そうしないのは小山田さんや関係者の意思だ、と私は思う。

一度失敗した人はずっと叩かれるのか?そういう社会でいいのか?という話について。残るものに残した場合、同時代においては批難されるのは致し方ないと思う。残すというのはそういうことだから、気をつけなきゃいけない。気をつけられずに放置し続けたなら、本人に跳ね返ってくるのは当然の流れだと思うよ。

作品と人格を切り離して考えるべきか?というべき論に対してはどちらとも言えない、という結論になる。同時代性があるものに関しては何か本人の人格に問題があった場合、商業的に厳しいと思われたら出られなくなるのは仕方がない。

文豪も作曲家も画家も、同時代では批難されてたよ。

だけど時代を経る(極端に言えば死ぬ)とそれは面白いエンターテイメントになる。それはその人格からの直接的な影響がかなり減るから。
作品だけが残るから。勝手に作品と人格は切り離されていく。それは歴史が証明してる。

一度失敗した人が、ずっと責められ続けなければいけないのか?っていう話については、現代においては別にそんなことにはなってないと思う。ある一定の期間だけじゃないのかなぁ。

全体的に、反省したって示したならすぐにまた同じ場所で活躍し続けられるようにするべきって話になっちゃってる気がするんだけど、会社なら自分の会社にダメージを与える社員の場合普通にクビになると思うよ。

小山田さんには自分の言葉を自分で語る手段がある。ライターや編集の恣意的な影響を受けることなくやれることがある。音楽をつくることもそうだし、なんならYou Tubeで自分を語れる。そうしたいならそうできる。それは私たちと変わらないと思うよ。

現代はむしろ活躍の場を別に求めやすい時代になってると思う。
小山田さんがYouTubeをやり始めたらのびるでしょう。

その才能を発揮する場はいくらでもある。
オリンピックだとかNHKだとか、権力ある立場に固執しなければね。

一般庶民は一般庶民感覚と違う感覚から生み出されたものを欲するし、求めるけど、一般庶民的な倫理観も求める。それ故に一般庶民なんだよね。一般庶民に向けた作品なんだから、人格が一般庶民に受けなければ淘汰されるのは仕方ないことだと思うし、矛盾してるって一般庶民にいくら言ってもそれは無理なんじゃないのかなぁ。

一般庶民は一般庶民の感覚でものを言ってるだけだから才能の持ち主が一般庶民では受け入れられない人格をしているなら、売り出す側がコントロールしないと一般庶民には受け入れられないよ。アイドルがスキャンダルを起こしたらアイドルのままでいられるのか?って話と同じだと思う。

20代の感覚じゃない小山田さんだということを、一般庶民が見てあげないといけないっていう話は、ほんとにそう?って思う。小山田さんが自分で違うということを発信していけばいいんじゃないのかなぁ。そのうち理解されて行くと思う。

忘れてはいけないのは、小山田さんは発信したくないのに勝手に発信されてしまった引きこもりのアーティストではなくて、自分の意思で一般庶民を相手に商業の世界で成功しながら権力を持っていった人なんだってことだよ。なんの力もない弱い人間ではない。その人が自分の失態で地位をおわれただけのこと。自分の作品を発信する手段はいくらでもある。

過去に失敗して、今復活してる人はたくさんいるよ。できない人もいるけど。それはその人の復活の仕方がうまかったり、時間が経って過去を忘れられたり、活躍の場を別に求めたりした結果だよ。小山田さんも、いまでも(商業的に成功する)才能があればそうなっていくと、私は思う。

ZOM(以下、Z):小山田氏自身が、自分が権力や権威の側にいるということに無自覚だったんだろうね。

M:というか、小山田さんはいま自覚してるんじゃないのかな。小山田さん叩かれ続けるのかわいそうみたいなのって、周りが言ってるだけであって、別に本人が言ってるわけじゃない。そのくらいのことはわかってるんじゃないのかな。

世間から批難されても周りには味方してくれる人が沢山いるだろうと思うよ。商業的なメリットが薄くてデメリットが大きいという判断があったから発売が中止になっただけのことなので、商業的にメリットの方が大きければまた出るだろうし、その前に自分で活動したいと思えばできるでしょう。
やらないのはおさまるのを待って折を見て今のところで仕事を続けた方が得だという判断を本人がしてるだけ。でもしばらくしたらやるかもねー。

村中さんはこの視点からの話をどう考えるのか聞いてみたいです

Z:現代の日本人演者・アーティストである種のノブレス・オブリージュ※を常に意識しながら生きていける人ってどの位いるんだろう?
※この場合は商業ベースのアーティストやセレブリティなどの有名性とその影響力や波及効果の意図

これは難しいよね。でも殆どの人は自覚してるから何も起きてない、という考え方もある。

Z:気をつけてる人が多いんだろうなと、僕もおもう。
元SMAPの中居くんが自分の恋愛や結婚の話になると煙に巻くのも、すごく恵まれた仕事をさせて貰っている、だから人並みの幸福は望めないと腹を括っているように、僕は感じることがある。中居くんの場合は、高貴や高潔という意識ではないかもだけれど、「トレードオフ」という意識はちょいちょい感じられるね。

M:中居くんの例はいい例だね。
あくまでもいまの仕事を続けたいという意思があるなら、取るべき行動は自ずから決まってくるってことだからね。

精神が未熟な時は色々なことを起こしてしまうというのもわかるよ。
ただ社会的に地位のある人がそれを許容しろよって一般庶民に押し付けるのは無理があると思うし、同じ地位にいさせろっていうのも無茶な話だなって思う。それならいちからやればいいんじゃないの?って思う。

それでも小山田さんはコンビニでのバイトもウーバーの配達員もしないで、なに不自由なく生きていける。ただオリンピックやNHKの番組がなくなっただけ。今まで何の問題もなく出せていたアルバムが出せなくなっただけ。一般の一(イチ)からとはやっぱり違うスタートなんだよ。

Z:僕のトークもその枠、いまのままのポジションで復帰してOKという前提から脱してはいなかったと思う。普通の人が同様の過ちを犯したのと全然スタートラインが違う、彼も恵まれてる側だという視点が抜けていると、Mさんは指摘しているんだね。

#59のトークに対するレビューという意味ではそう感じる。
商業的にデメリットしかないと判断されたらその仕事をクビになるの普通じゃないのかなって思う。才能がある人は一般庶民とは違う感覚を持っているんだから、そういうところも許容してやれよっていうのは全然違う話に聞こえるんだよね。

才能があって同時代の一般庶民に受け入れられるタイプだ(知られてなかった)からオリンピックなんていう一般向けの祭典で使われようとしたって話であって、一般受けしなくていいならアンダーグラウンドでライブやっていればいいのではないかなーと思う。
単純に長く活動していくことを考えたときに、戦略と選択を間違えただけだと思う。

・「それならいちからやればいいんじゃないの?」を受けて
Z: コーネリアス単体ならそれもありだね。親や家族でもないのに這い上がってみせろ的な厳しい言葉を彼にぶつけるファンもきっといるだろう。

METAFIVEは海外レーベルから出し直す案も砂原氏のポッドキャストで検討してみる価値あると発言してた。どうしても出したい理由の一つは高齢な高橋幸宏氏の健康問題もあるから今のうちに発表したい、ライブ演奏もやりたいという背景もある筈。

もちろんそれは小山田氏を許容する理由に、世間的にははならないのだけど。じゃあ小山田氏だけバンドから脱退させればそれで良いのか?とか様々なファン感情が渦巻く。

M:這い上がってみせろとは思わないけど、自分で勝手にやればいいんじゃないのかなって思う。高橋さんっていう人のためにっていうのを美談として売り出すとかもできるだろうし、海外レーベルももちろんあり得るし、何なら自分で会社作ってもいいし。高橋さんのためにやりたいならやればいいと思う。ライブだってできるでしょう。規模感が変わるだけだから…

小山田さんが脱退したほうがいいかどうかとかはそのグループや関わっている人たちの話であって、一般にはまるっきり関係ない話だと思う。ファン感情のない一般層の小山田氏への批判は、オリンピックやNHKはプロモーション的にちょっと何考えてるの?ってなっただけなので。今後の活動を全て辞めてなにもせずに一生引きこもってろという意見が大半を占めるわけではないんじゃないのかな。勝手にどうぞって話だと思うんだけどなー。

ファンのなかでどうしていったらいいとかこうしていったらいいとか色々あるんだろうけど、素直に聴けなくなった、ファンでいられなくなった、って人たちにお前たちはおかしい、みんなミスするんだから許容してあげなよっていうのはちょっと不思議な感覚。自分が応援し続ければいいだけじゃないのかな。私が彼らのファンではないからというのもあるだろうけど。

でも同じファンとか元ファンとかにそういうこと言いたくなるのもファン心理なのかも……ちなみに小林賢太郎もオリンピック降ろされたし批判されたけど、私自身の小林賢太郎に対する見方、作品を楽しめる感覚はいまでも特に変わってない。


・気持ちが離れた人、嫌いになった人にファンがわざわざ説得や許してあげなよと言うのが不思議。残ったファンが個別に応援すればいいだけでは?という点について 
Z: Mさんの違和感は、以前から言っている「誰かを崇拝したり、ハマるほどのファンになったことない。私は私」の部分かなと思った。不思議って思うのは自分にない部分だからちょっと想像がつかないという事だと思う。

ちなみに、ゾムのその後の【お便り募集】のツイートを見たかどうかわからないけれど、僕は「傾聴」の意図。間違っても一人ひとりのファンを説得なんてしないしできない。ただ、今回のことがあってしんどい思いをしてるなら、自分もしばらく悩んだし話聞くよ、同じ音楽なりペルソナに反応した縁でね位の気持ちです。

「傾聴」を何故僕がしたいと思ったのか?
これは僕の今後どう老いていくか、年を経ていくかの実証実験であり、まだ仮説でしかないけれど、

「嫌いなもの苦手なものが加齢とともに多くなるより、
楽しいもの好きなものが多くなっていく方が、歳の重ね方としてよくない?」
てことです。

M:私はどちらかというと、人に何かを求めないから自分と同じスタンスでいてほしいっていう人の気持ちがわからないだけ。ここで言う「わからない」は、理解できるけど私がそうなるかというとならないって意味ね。

Z:引っ張られない、安易に同調しないという理解で合っている?

M:合っている。
このことでファンがしんどい思いをしてるということなら、なにがどうしんどいのかを切り分けて最善に向かうことができればいいなと思う。

作品と人格は切り離して考える〝べきか?”というテーマに対するレビューに戻すね。ゾムさんはラジオトークで「何か問題があると皆さん叩いてらっしゃるけれど、そもそもそういう人だから賞賛していたんじゃないんですか?面白いと思っていたんじゃないですか?あなたたちは!と僕はいいたい」と強く訴えているので、分離できない人に対して批判的なスタンスなんだろうなと認識したよ。

それに対しては、作品と人格を切り離せる人もいればそうでない人もいて、それは同時代の作家なのかどうかでもかなりかわってくるという点があるので、べきか、べきではないかということで語れる話なのかなぁ、と思うっていうレビューだよ。

生きてる人間の場合は特に人格が作品の評価や共感性にかかわってくることも多いので、何かあれば変化してしまうことは、ある程度避けられないと思ったということ。

小林賢太郎の例を出したのには理由がある。
私の場合は小林賢太郎の作品が好きだけど本人と関わりたいとは全く思ってないし、問題が起きても特になにも変わらないタイプの人間なので最初からわりと分離してるんだよね。

ただ私にはダメージがないけれど、小林賢太郎への批判を見て辛い気持ちになってる人とか、オリンピックを降ろされて辛い気持ちになってるファンはいるのかもしれないね。あんまりそこをピンポイントで汲んであげようとはならないんだけど、そうなってしまう人にはそうなってしまう、本人の中での何かしら別の問題が起きている可能性の方が高いから、そこを全部掬い取らないことにはわかんないなぁって思う。もし相談されたとしたら包括的に聞くと思う。

ゾムさんが今回のことで辛い想いをしてる人の気持ちに寄り添いたい、傾聴したいという気持ちがあるというのはよくわかったので、それはそれでいいと思うんだ。

#59 冒頭での「そもそもそういう人だから賞賛していたのでは?面白いと思ったのでは?」のゾムの主張に対し、作品と人格を分けて考えられない人たちへの批判と認識した件について…

Z:批判の矛先はアーティストや芸能人に対する手のひら返し現象全般に対して。従前の回で、村中さんもその意図で発言していたと思う。けど、前後の補足もなく#59では感情先行で言ってしまった。分離ができずに落ち込んでる人たちに追い打ちをかけるようになっていたら、それは痛恨の極みだ。


M:理解。私もその認識だよ。
それが商業というものだから、同時代で問題が起きた時に即座に分離して考えるべきというのは難しいのでは?って話ね。

企業は企業イメージがとても大切だし、小山田さんのことで下がる株はあるし、昔のパフォーマンスが今のビジネスに影響することは、当たり前にあることだと思う。うまく時代の波にのって行ける人だけがその世界で生き残れるっていうことでもあると思う。

ラジオトーク内で一般庶民というワードがでていたからここでもそれを使うけど、あくまでも彼らは一般庶民を相手に商売をしてるんだよ。だから時代に合わなければ簡単に淘汰される。

前からずっと集団というのが怖いんだと私は言っているけれど、もしも自分が集団を相手に商売するなら、そこをとても気をつけるよ。やりきれるかどうかはわからないけどね。そして気をつけてもダメだったらそれは仕方ない。

~家の用事や食事、休憩を挟んでつづき~

・ディスカッションをRadioTalkで紹介したりして村中さんの意見も聞いてみる企画の提案

Z: Mさんが小山田氏やYMOの非ファンで、でもオリンピックの騒動でファンである小林賢太郎氏も似たケースで退任させられたということを経験している。また自身もアーティストでマスや大衆に向けた創作している。かつ母校が小山田氏とつながりがあるという属性なども考えれば、「マスに向けた仕事を彼はしていた。だからマスからの支持を受けられない事案があればそれが過去のことであろうと仕事のいくつか失うことなんて当たり前。しかも全然ゼロベースじゃないじゃん。なぜ彼だけ特別扱いになるんだ」というのはとても真っ当な指摘だよね。だからその意見を、ぜひ番組で紹介させてほしい。

とても手応えを感じたトークだったし、そこから生まれたレスポンスということは、インターネットの片隅にいる"NICE AGE"な男子二人のトークが、Mさんにも届いたってことだから。

M:ほぼあってるけど、「なぜ彼だけ特別扱いになるんだ」とは全然思ってないよ!特別扱いになる人はいるし、それはそれ。特別扱いになるだけの理由があると思うのね。実際事案が表に出なかったりタイミングがよかったり守られていたりそれ以上に人気があったりして特別扱いになってる人たちはたくさんいる。

で、今回特別扱いにならなかったのは仕方ないんじゃないかな。今まではむしろ特別扱いになっていたのかもしれないね。この世界は残念ながら平等じゃなくて、理不尽なことも起こり得る。

あと、ファンという意味で言ったら私は同じようなことが起きた小林賢太郎のファンだけど、私のファンとしてのスタンスは先に述べたとおり。完全分離型なのでノーダメージ。そういうことがあればマスに向けた仕事を失うことは仕方ないことって思ってる。でも作品性はなんら変わらない。素晴らしく面白い作品がたくさんたくさんある。きっとあれで小林賢太郎が嫌になった人もいるんだろうと思うよ。だけどそれも仕方ないことだなぁって思う。面白いと感じられなくなってしまうならそれは離れても仕方ないよ。

私にとって面白いものは面白い。素晴らしいものは素晴らしい。それと本人が仕事を失うこととは関係がないことだと思ってるんだ。

話を聴いてるとむしろゾムさんたちのスタンスのほうが人格と作品がより密接なのかもって感じたりもする。ひどいことが起きたら、悲しいとかかわいそうって感じるのってとても当たり前の大切な感情だと思うから、それは大事にしていいしするべきだと思うんだ。
だからゾムさんの気持ちも簡単には言えないけれど、わかる気がする。

私もひどいことが起きた時に悲しいとかかわいそうってすごく感じるのね。いろんなことが起きるたびに心がとても痛い。

だけどこのことだけで、小山田さんや周りの人たちがすごくかわいそうっていう感じにはならなかったんだ。弱い立場の人を虐げることをかっこいいことみたいに語られているものをキャラ作りとして25年放置してしまった大人に起きたこととしては、ある程度真っ当なことが起きたなぁって感じるんだと思う。大人としての責任は、どんなに才能があって特殊な人でも、社会と関わっている以上は社会的に生じてしまうから。

でも今回社会において大人としての責任をとったんだから、そのあとはちゃんと活動していけるようにもう一回積み上げていけばいいと思うのね。すでにベースもあるし、味方もたくさんいる。それらを失わなかったのはそういう人生を自分の力で歩んできたってことだから、彼の実力だと思う。若いなんの力もない人たちとは違うスタートだし、いくらでも修正がきくはずなんだ。

そしてこれが一番大切なことなんだけど、この話にいい悪いはないと思っている。全部感じ方の問題だから、こう感じない人は悪だ!とかない。だからせめるとかないんだ。

マスとか一般庶民という言葉も出ているけど、それぞれの人々がいろんな考え方でいろんな人とかかわって過ごしているなかでいろいろ感じるっていう話だから。




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