いち、にの、三人称

一人称

気恥ずかしさから、一人称の切り替えに失敗したまま成人してしまった。“〇〇ちゃん”と“私”の間にとてつもなく大きな隔たりを感じていたのだ。だから今でも、実家に帰ると特殊な言葉でもって自分を称する。どう考えても変なのに、幼かった自分にとっては私を名乗ることのほうがよっぽどハードルが高かった。“私”という一人称代名詞は大人の女性すぎて。だから外の社会(学校)では私を自称しつつ、家に帰れば不思議な一人称で自分を呼んでいた。
「親に授業参観見に来られるのが恥ずかしい」や「メイクやファッションに興味を持ち始めたのを知られるのがなんか嫌だ」と同じカテゴリだと思う。もっと言うと「そろそろパパママ呼びを卒業したいがどうしたものか」という気まずさに似ている。男性に比べて、女性にはインフォーマルに使える一人称代名詞が少なすぎるのではないか?

幼馴染は自分のことを名字で呼んでいた。私が家に遊びに行ってもそれを貫いていた。「佐々木は~」と話す彼女を見て、内心「この家全員佐々木やん」と思っていた。

高校からの友達は自分のことを名前で呼んでいた。私はそれがすごく可愛くていいなと感じていたが、本人は直さなきゃと頑張っていたらしく、それもまた可愛かった。その子は四姉妹の長女だったので、みんな声が似ているから、最初に名乗ったほうが家族間のコミュニケーションが円滑に進むのかな、なんて勝手な推測をしていた。
自分自身を三人称(この場合は名前)で呼ぶ現象、英語では“Illeism(イリイズム)”と名前が付いているらしい。初めて知った。

男性が一人称を使い分けるのを見ると何だか注意が向いてしまう。これがフェチってものだろうか。

二人称

『崖の上のポニョ』を見てから、両親を名前で呼ぶ家庭への憧れがある。リサと耕一がお互いを名前で呼び合うのを見ていたから、子どもである宗介もそう呼ぶようになったんだろうと思うし、めっちゃLOVEじゃん……いいなあ。あと、両親を人格を持った人間として尊重している感じがあるのも良い。私が5歳の頃なんて親は生まれながらに親だと疑いもしなかったし、なんなら自分以外の人間にも感情や葛藤があるということに気づくのも、ずっと後だったな。

私は、友達のことだいたい名前にちゃん付けで呼んでいる気がする。高校の友達とはあだ名で呼び合っている。コードネームみたいで好き。今年の誕生日に送られてきた手紙の封筒に「(あだ名)へ」ってぷくぷくのキラキラ文字シールが貼ってあってすごく嬉しかった。そう呼ばれるといつだって高校時代に戻ったみたいだ。

三人称

女性アイドルが、番組とかでメンバーのことを対外的に名字呼び捨てするのが大好き。会社感が出ててたまらない。言葉それ自体はぶっきらぼうなのにむしろ大切に思っているのが伝わってくるのが最高。というか、私は名字呼びってものに何とも言えない特別な感情を抱いてきた気がする。友達が「お姉ちゃん彼氏のことずっと名字で呼んでる。結婚するのに。」的なことを言っていて、何それめっちゃ良いじゃん……と思った。お幸せに!

気軽に書きだした文章に限って長くなってしまうのは何故でしょう?ダブルクォーテーションマークが良く見えなくて、向きがおかしいかもしれない。あと漢数字とアラビア数字の表記揺れとか、初歩的な文章の書き方で悩んでる。
前回の記事『衛生観念』でタオルの洗濯は2,3回に1度で良いって書いたけど、少し見栄を張りました。いちいち乾かせば4,5回でもいける。あとダンボールをベッドに下ろすのも平気です。枕元はさすがに嫌だけど足元なら全然OK。でも顔は絶対タオルで拭きたくなくてティッシュを使う。

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