何者にもなれないと本当はもう気づいていた

自分が社会不適合者だと気づいたのはいつだろう。世の中の基準から外れた”宇宙人”だと自覚したのはいつだろう。”天才と馬鹿は紙一重”のその馬鹿の方だと知ったのは?

『エリオをかまってちゃん』に自己投影できていた頃はまだ良かったのかもしれない。漠然と思い描いていた普通の暮らしは私には難しすぎた。環境に恵まれてるのは分かってる。それが余計に私を追い詰める。チャンスが目の前をベルトコンベアーで流れて行く気がする。大きなスーパーに買い物に行くと立ち回りが分からなくて泣きそうになる。精神科に毎月通院して、何が無くとも来てしまう鬱の波のさなかはお風呂にも入れなくてただ布団の中でうずくまっている。その間は大学に行けないし、出席率がギリギリで頭を下げに行ったことなんて何度もある。元気なときに見る世界はキラキラしているが、しんどいときは自分ごと全て別物みたいだ。無理しても無理しなくても時期になれば鬱が来てしまうから元気なうちに無理をしまくって、それを繰り返していたらついに何かが壊れてしまった。大学をストレートで卒業することを第一目標に定め、バイトすることを諦めた。

でも、思い通りに行かないことばかりではなかった。中学生のときに決めた薬学部進学は最低限すぎるレベルながらどうにか叶えたし、1年生のときに登録販売者の資格を取った。文章を書くこと、絵を描くこと、何かを教えることは昔から好きで、周りにも向いていると言われる。

尊敬できるインフルエンサーに感化されて膨らんでいった「何者かになりたい」というポジティブな欲求と、先述のネガティブ要素が融合して、自分にできることを発信して少しのお金を稼ぐことが第二目標となった。

今は、PowerPointの作り方や著作権、SNSの運営について勉強している。もちろん私は薬学部に所属しているだけの資格もないド素人だから、医療アドバイス的なことをしてはいけないが、登録販売者を目指す人や薬学部低学年へ向けたコンテンツを作るにあたってその辺のバランス感覚が難しいなと、考えれば考えるほどやめようかと思ってしまう。やめちゃうかもしれない。怖いし。でも挑戦しようと思ったことを記録しておきたくて今回はnoteを書いた。

自分が何ら特別な存在でないことに気づくときってだいたいの人にあるはずで、そこからが人生の第二章で、何が言いたいかと言うと誕生日は年に2回欲しい。な。


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