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ウェルカム、ジューン

誕生石というものにあまり関心のなかったわたしが真珠や月長石を6月の石だということを知っているのは、貴石をテーマにしたペーパードールの制作を始めたおかげです。
おかげさまで、わたしの作るもののなかでもこの宝石少女たちがとくに好きだといってくださる方は多く、宝石という美しい存在にとても助けられているな、とよく感じます。

〝微睡宝石店〟(シリーズ名です。架空の宝石店のケースをイメージした箱が人形とセットになっています)は、わたしの作品のなかでも少しめずらしいタイプのペーパードールです。少女の形をしていますが、じつは宝石です。
わたしは普段、ごくふつうの少女ばかりを作っています。羽も生えていないし、お姫様でもない。血を吸わないと生きていけないわけでも、角を生やしているわけでもありません。そこらへんにいる、ただの女の子です。
超自然的な存在をあまり作らない理由は簡単で、〝そういうカタチであることの人生〟がわたしにはよくイメージできないからです。
わたしが経験したことがあり、その存在の意味を考えることができるのはただの女の子だけですから。

理解できないから嫌いかというと、そうでもありません。単にわたし自身がものを作る時にそういうテーマを選ばないというだけです。
常々思うのは、わたしは「自分好みのものを作りたい!」というところから物作りをスタートする人間ではありません。
自分の好みに合うかどうかは問題ではなく、自分に〝馴染みのあるもの〟を作ります。
そこには好きも嫌いもありません。子供の頃の記憶にあるもの、母との会話に頻繁に出てきたもの、そして、その頃いだいていた感情の数々を絵の中の少女の表情に託しています。

さて、宝石少女についてです。
宝石を擬人化した人形なんて、一見あまりにファンタジーです。話が違うじゃないかという感じですが、宝石は意外にわたしと縁があったりします。
高校を出たあと、彫金を学ぶ学校に通いました。とくに宝飾品に興味があったわけではありませんでしたが、ものを作るのは好きでしたし、周囲から薦められるままに入学しました。
結果的には素材が硬いということにどうしてもなじめず、ジュエラーの道は早々に諦めましたが、その学校に通わなければ出会わなかったものと人にたくさん出会いました。
そのなかで印象深かったもののひとつが、石です。

石といっても自然の造形のままの原石ではなく、カットされ、研磨されたジュエリー用のルース(裸石)です。
わたしは少女趣味な子供でした。
新聞に投げ込まれてくる宝飾店のチラシを貰っては、そこに所狭しと印刷されている指輪の写真を切り抜いてうっとりするような典型的な乙女チックぶりでした。
彫金自体は向きませんでしたが、それを学ぶ専門学校というのは、金銀銅プラチナ、エメラルド、真珠、ルビーもろもろ……少女の頃に憧れたものに実際に触れることができる、わたしにとっては遊園地のような場所だったのです。

そんなこんなで学生時代、わたしはルースに夢中になりました。
せいぜい二十歳かそこらだったので、アクセサリーに嵌める石がお店で買えるということも、その頃初めて知りました。
わたしの母は、華美と少女趣味をあまり好みませんでした。そのうえ厳しい人柄だったので、そんな彼女の目を気にして自分の好みを口にすることを家で避けていたわたしは、学校という親の目の届かない場所で〝きらきら〟への欲求を存分に満たしました。
専門学校は、ある意味で別世界でした。
彫金という言葉すら知らない学校以外の友人たちからは、錬金術の学校に通っているとからかわれていたほどです。

大人になったいまは、ダイヤモンドがあの輝きにまったく似つかわしくない労働環境で発掘され、そのことに目をつぶる人々の手を経て宝石店に並んでいるという側面が気になるようになりました。色々なものを見て好みも変わり、昔ほど〝きらきら〟に対する飢えるような欲求もありません。
でも、研磨された貴石や半貴石に心踊った時代がたしかにありました。
小さなルビーを初めて買った時のこと、黄色を一滴落としたようなアパタイトの水色に感動したこと。
あとは、メレー用に売られている芥子粒のような微小な石が大好きでした。

宝石の少女たちは、そんなわたしの楽しくワクワクした気持ちがたくさん詰まったこどもたちです。
箱の中で気持ちよく眠りながらいい夢を見て、次に目を開けた時には彼女たちの理想のオーナー様が目の前にいて、自分たちをその手の中にそっと包んでくれているのです。
彼女たちは、眠って待つだけで自分のいるべき場所に辿り着けるようになっています。わたしがそういう物語に仕立てたからです。
心楽しく、運がよく、とてもしあわせな物語に。

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