死ぬ準備

生きるとは死ぬ準備である

そして死は私という人間に与えられた最後の自由と希望である
逃げて終わらせるという希望 終わらせるという権利

いつだったかに読んだ村上春樹の小説の中に、「自由を証明するために死ぬなんてバカげてる」みたいな一節があった

自由を証明するために死ぬなんてバカげているんだろうか
どう考えても死ぬより生きてる方が不自由なのに

私は最悪の場合に備えて死ぬ準備をしている
いつでも楽になれるように いつでも生から逃げられるように
心音を止める準備をしている

そしてその過程を生と言うのではないんだろうか
ずっと備えているのだ 自分にどんな苦痛が来てもいいように

今よりひどい地獄がきっと訪れるのだから




突然だがアイドルが好きなのでアイドルの話をしてみようと思う

私が一番好きなアイドルの一番好きな曲に「바다」という曲がある
바다とは韓国語で海の意である

この曲では今ある栄華のことを海、何もない辛い状況のことを砂漠に喩え、
いつか海が消え去り砂漠になることを危惧し恐れる気持ちを歌っている

この曲を聴いたときの衝撃はまだ忘れられない
自分のための歌だと思ったし、心底共感したのだ
とても共感したし、同時に恐れ多く、共感することに抵抗を覚えた
共感するほど今の自分に華があるとは思えなかったし、共感するほど華を掴むために頑張って生きてもなかった
にも関わらず共感してしまった
そして自分が不幸でいたいと思っていることに気がついた



私はずっと不幸でありたかった 砂漠のように





私は何をするにも石橋を叩いて渡る人間である

改札に入る前に必ずSuicaをチャージしておくし、電車が遅延しても良いように早く家を出るが"めっちゃ早く出社する人"と社内の人間に思われたくないので会社の最寄駅で10分時間を潰す
最近は最寄駅にいる姿を会社の人に見られたくないので乗換駅で10分時間を潰す
人と会う時は2週間前までには連絡が欲しいし、突然この日空いてる?と聞かれたら「なんで?」と答える


誰と、どこで、いつ、何をするのかが明らかにならない限り、私は1歩たりとも自分の家の外から出たくないからだ


これが私の不幸願望となんの関わりがあるのか

それは不幸こそ準備だということだ

人生には山があり谷がある
幸せを感じることがあれば、苦境に立たされ辛酸を舐める時もある
そんな時人は不幸を感じる
人生が山だけであることは絶対にないし、谷だけということも恐らくないだろう
だが、山の割合が多いという可能性もまた無いのだ

そんな時、谷が多い可能性に備えておけばどうだろう
谷の装備でいれば、人生に谷が来ても山が来ても、対応できるのだ

人生に必ず地獄はくる
いつか今よりもっとひどい状況がくるかもしれない
そう思って準備しておくのだ 人生最大の自由 最善の選択肢
死を




















………………って思うくらい怖い 生きるのが

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