「『ZABADAK』というタイトルの曲」を作っていた(その2)

 前エントリの続編的な記述になります。
 これまでもこれからも、どこまでも自己満足でしかものを書かないのでご承知おきください。

そもそも「ZABADAK」とは

 これをご存知ない方のほうが世間にはたくさんいらっしゃることと思います。まあそこから始めようとするとえらいことになるので(主に記述量が)サラッと流す程度にしますけど。
 ZABADAKは、直接的には音楽グループの名前です。2022年3月1日現在では、既にオリジナルメンバーがおらず小峰公子さんが一人でその役割を担っておられます。亡夫である吉良知彦さんが仲間を募って結成したグループで、かつては松田克志さん、上野洋子さんというメンバーがいました。そして吉良さんの単独ユニットを経て奥方の小峰さんが正式加入、吉良さんが亡くなってからはその遺産を大事に活かすよう、小峰さんがZABADAKをともにするお仲間の皆さんとでライブ活動を続けておられます。また一人息子の草太郎さんも活動に加わったりしています。
 そのZABADAKという不思議な名前は、YouTubeの説明にも挙げている「Dave Dee Group」という人たちの曲が由来になっています。吉良さんがいよいよグループをメジャーデビューさせるまで漕ぎつけたところで、なんと困ったことに「名前がない」という。音楽を作ることにストイック過ぎたのか、グループの名前を付けるのを忘れていたそうで、さて期限が迫ってレコード会社の一室でプロデューサーさんだかに名前をつけろとプレッシャーをかけられた。プロデューサーさんも困り果てて、「このレコードの山の中から適当に見繕ってくれ」と最終手段に出ます。で、選ばれたのがそのdave dee dozy beaky mick & tichという、略さなかったシャ乱Qのような名前のグループのレコード「ZABADAK」。のちに吉良さんは「あの時もしあれを選ばなかったら『微笑み返し』とか名乗っていたかもしれない」と述懐したという……。
 では、その『ZABADAK』という曲はなんなのかというと、まあこれも動画の説明に書いてますが「Godiegoガンダーラ」的な内容の曲、らしいんです。といっても、『ガンダーラ』はテレビドラマ『西遊記』の主題歌でもあるというところからもわかるように、長い旅の末にたどり着く場所として悲壮感を込めて描かれている曲なわけですが、DDG(もう略すわ)の『ZABADAK』はそんな重さは欠片もなく、ただひたすら陽気に「ZABADAKっていう極楽のようなところがあるんだってさー、行ってみたいねー」と歌い上げているようなんですわ。何度か聴いたけどちょっと分らんかった。でも当時は割と人気で、けっこう色んな人たちがカバーしていた様子が伺えます。
 というところがまず「ZABADAK」というフレーズの説明になるわけです。ニッチな上に背景深すぎんよ。サラッと流すはずが……。

この『ZABADAK』という曲は(時代背景)

 ではこの度上梓(?)した曲はというと、まあ内容的には『ガンダーラ』の視点を俯瞰する形を着想とした内容になりまする。
 この度上梓した、とはいってももうほぼこの形で20年以上温め続けていたということは、それすなわち「ノストラダムス以前」の感覚がまざまざと植え付けられているというものになります。世紀末ですね。
 多分人間歴の浅い皆様は分からないと思うんですが、1980~1990年代というのはいろいろなものが焦げ付いた時期で、インターネットなどもなく今のような情報化とは程遠い、まさに20世紀のどん詰まりだった時代です。
 ノストラダムスというのは16世紀頃のフランスの医師・占星術師で、その残した「予言」とされるものを1973年に五島勉という人物が解説した『ノストラダムスの大予言』という著書で、まあ今思うととんでもない内容で解釈し、人々に底知れぬ恐怖感を抱かせるに至った訳です。
「1999年7の月、地球に恐怖の大王がやって来る」
 昭和生まれならどこかしらで何度となく耳にしたフレーズかなと思うのですが、まあこれがですよ。西暦にして1999年という行き詰まり感、さらに当時はまさに「戦後」で、米ソを中心とした資本主義と共産主義の対立構造で語られる東西冷戦が世界情勢に重くのしかかり、核兵器開発なども盛んに行われ、核保有国で行われる地下核実験と、その同じ文脈で語られる原子力発電、それらに対する説明のつかない恐怖感、米ソ対立の延長にあったベトナム戦争オイルショック、まあそうした世の中を明るく見る材料に乏しかった時期と重なって、とにかく「末法の世」感がいや増していったという、そんな世情でありました。90年代も終盤になるとインターネットが普及し始めて情報化も進みましたが、そこに「2000年問題」だとかも深刻視されて、なんだかもう綯い交ぜのカオス感が止められない時代だった訳です。
 世に出る文物もそうしたものの影響を避けられず、愛と平和を歌ったジョン・レノンは暗殺され、大衆の読み物は暗澹たる内容で溢れかえり、もう本当に「199X年、地球は核の炎に包まれるんだろうなあという、そこはかとない絶望感が民衆の頭上に横たわる。少しでも2001年以降の話をしたら鬼の首を取ったように馬鹿にされる、そういう希望の持てる感じのしない空気が蔓延っておりました。かつてのリーマンショックや今のコロナパンデミックの状況とも違う、「この刻限には終わる」というものが一秒ごとに迫って来る焦燥感。それがあの時代の、ある種の原動力だった気がします。

この『ZABADAK』という曲は(個人的経緯)

 で、ですよ。
 そんな時代にある意味で現実離れした、夢を見せてくれるような興趣を突き付けてくれたのが筆者にとっての音楽グループZABADAKなんです。
 丁度その頃は成長段階での春真っ盛り。頭にいろんなお花畑が広がっていました。そのお花のフィールドの一角に、吉良ZABADAKは結構な面積でお花を咲かせてくれた訳です。
 実は3歳児の頃から頭にメロディが浮かんでくる性分だった筆者は、吉良ZABADAK以前に出逢った久石譲伊藤敏博ツルノリヒロ都留教博)といった作編曲をする人達に大きく心を動かされていたんですが、吉良さんにはひときわ大きくガツンとやられた気がします。
 その後は平沢進氏などにも出逢う訳ですが、まあその頃といえばもう吉良ZABADAK一色(いっしょく。いしきではない※)の趣味生活を送っていたような気がします。いやそこまででもないけど。とにかく何かというとZABADAKだったのは間違いない。
(※ 吉良さんが育った愛知県やお隣の岐阜県あたりに点在する地名で「〇〇一色」というのがありまして。それはまあいい、んだけどZABADAKの曲で一色線という作詞者のクレジットがあったな。←繋げるな)
 で、いろいろ影響を受けてなにがしか作り続けるんですよ。
 楽器が弾けるようにはならなかったので、製作はもっぱらDTMだったんですが。学生時代は時間にゆとりがあったので、暇さえあれば音源モジュールRolandのSCー88を繋いだMIDIキーボードとPCに向かってちくちくと入力して、「まあ人に聞かせられるかな」という格好のMIDIファイルを作ったら自分のホームページに上げてたりしましたね。
 そんな中の一つで、もうマッハで厨二精神を盛り込んだ一番手がこの『ZABADAK』という曲になるわけです。ただし、当時はさすがに気恥ずかしさと作編曲技術が脳内展開に追い付かないこともあって、本当に頭の中でぐるぐるさせているだけの音楽になってしまっていたんです。

ある日唐突に

 で、まあ、それからボンヤリ20年以上を過ごしてしまい、先日唐突にやり始めたんですね。もう頭の中に雛形はできていたし、便利なソフトも無料で出回っている。環境は揃っている所に、たまーにやって来るスイッチonの状態がどかんと来ちゃったんです。
 まだ聴き返すと手直ししたいところはあるんですが、もういいや! ってことでボーカルまで吹き込んで上げてしまった。
 まあ再生数は2日たっても2なんですが。うち1回は自分の複垢だし。誰だろ、押してくれたの。まあそれはいいんです。ここの記述と同じように自己満足の表象化なので。
 でも、聴いてくれたほうが嬉しいし、かなり力を入れて作りこんだところもあるのでそういう所で感じるところがあってくれたほうが嬉しいっすよ。本音本音。

 ええと、ここまで書くと歌詞に含まれる文言の解説みたいなのは別に分けたほうがいいのかしら?

 ということで、この曲が生まれる経緯のような記述として、このエントリを終えておきます。

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