【痕跡】千葉急行バスよ永遠なれ【消滅】
千葉急行バスなくなってしもうたん?
ついに、「過去のもの」になってしまったようです。
他の停留所と異なり、正規のバス路線と重複しない場所にあった内小間子。倉庫会社の敷地地先にあった街灯に括り付けられていた停留所標は、何らかの形で「撤去」されていたらしいです。
これで、ツイッター経由で確認できる限り「現存」している千葉急行バスの停留所はゼロになりました。
「存在しなくなった」のか?
その存在は、我々観察者が見てきた通り、確かにあったものです。メディア取材経由の話ではありますが、佐倉警察がそれと突き止めた人物がいて、その人が行っていたことに対して注意を発したということも、おそらく事実であり、その点からも確実に千葉急行バスの存在を裏付けるものと思います。
しかし、今となってはネット上の過去のアーカイブとしてしか確認できない状態に、ついになってしまった。
これが「存在しない」ことになるのかというと、若干哲学的な問題ともなってくるが、筆者は「そうではない」と答えたい。
ツイッター上の「第一発見者」、おだぎりさとしさんの本日のツイート。
そりゃね、こんなんがあちこちにあったらたまったもんじゃありませんよ。架空地図の地理人研究所さんだって紙の上で留めているものを(むしろそれは展開する方が難し……いや、昨今のVR空間ならあるいは……はっ、今の妄想は一体)。せめて「なりもす」だとか「京急リラッ久里浜」みたいな公式なコラボみたいな「認められた遊び」であるなら別ですが、千葉急行バスは完全に「禁じられた遊び」だった訳です。本人が遊びだったかどうかがいまいち分からないだけで
ただまあ、「ちょっとしたお祭り」みたいなことが起こったし、そこに現に行った皆さんがいた。それは、世の中に資するものとは別の、関わった人なりの価値がある事象だったはずです。
「みんなの心の中に」という状態に、これで初めて成就した、そういうことも言えるのかもしれません。
ネットミームとしての存在
話題になった直後から、「千葉急行バス」という言葉はある種の存在感を獲得していました。それは前述の地理人さんや、多くの架空鉄を趣味とする人たちが実際に空想しているものを「現実の事象として実行し(てしまっ)た」というところに、一定の価値があったものなのではないか。そう考えさせられます。
おそらく、千葉急行バスの「社主」氏は我々のような観察者がこうして膾炙していることをご存知ない。根拠はないけど、あの停留所標の作り方から、最近のインターネッツに馴染んだ人物像とは掛け離れているという想像です。妄想、思い込み、または願望と言っても差し支えない。
その「隔絶された時空間」で、いわば「囃し言葉」として使われている。その事実が、特に筆者である私自身には「えもいわれぬ感覚」を掻き立てるものだった訳です。
これからも、積極的に蒸し返してこの愛すべきかつての存在を語り継いでいくことでしょう。皆さんにも、軽く期待しています。
「もうないもの」としての存在感
時間や体調、費用面が許せば、筆者はいずれ現地を探訪することでしょう、「廃止バス停」として。一種の遺跡のようなものとして。
もう、何も痕跡はない。けれど、そこにかつてあった。
そうしたものが、ゴシックな感覚をくすぐり、実行の原動力となりうるわけです。
ただ、多分なんかのついでにはなりますけど……。
「延長線上」だったセレスティアル航空
何度も注釈してきましたけど、福井空港利活用問題で「出現」したセ航空については、実現性とか「航空会社」としての存在感から千葉急行バスになぞらえ、筆者としては一貫してその延長上の存在として扱ってきました。
なので、今後もセ航空関連のエントリを投稿する際には千葉急行バスのタグを付していきたいと思います。
現状では目立った動きがないセ航空ですが、7月に本格的に予約開始ということはアナウンスされていますから、そこでちゃんと動くのかどうか、そこまでに手続き的なことを進めるのかどうかという所が分岐点になるものかと考えます。
それにより、千葉急行バスとは分離した案件として扱うかもしれませんし、やっぱり同列のままかも知れません。ただまあ、実際に法人格を持っているという点でより「社会問題」なのはセ航空の方ですよね……。
というわけで
千葉急行バスのお話はここでおしまいです。さみしいけれど、終わりにしよう。Bus is over。(欧陽菲菲さんも市川市の人でしたね)
日曜の朝、八街駅に向かう車を見たら、それが千葉急行バスかもしれない。その思いを馳せて、当エントリは〆としたいと思います。
長らくのお付き合い、ありがとうございました。
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