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マティス展に行った

 ついに行ったぜ。大分遅刻したので駆け足になったがマティス展に行ってきた。上野の東京都美術館は盛況であった。こういう名前を銘打った展示には来るのに、去年の国立新美術館のルートヴィヒ美術館展には誰も来ていなかったし、そにあった彼の静物画には誰も見向きもしていなかった。その時立ち止まって、と言うよりむしろ動けなくなって、釘付けになってまじまじと見つめていたのは俺だけだった。マーケティングに踊らされてワラワラと湧く。そういう日本人を、俺は軽蔑する。日本の悪口はこれくらいにして、展示の話をしよう。
 今回の展示は、マティスの生涯を俯瞰する様に初期から晩年までの作品を網羅していた。若い頃には、印象派の端正な作品を描いていたのは初めて知った。彼の作品は年を経る毎にシンプルに、プリミティブになっていく。今回はその変遷を辿る展示と言っても良いだろう。
 俺は絵画の造詣は全く無いので、ここから書く事は素人の適当な意見でしか無い事はご容赦願いたい。
 マティスを始めとするフォーヴィズム(野獣派)と呼ばれる絵画群は、artscapeというサイトによると「色彩がもつ表現力を重視するようになり、絵画の再現的、写実的役割に従属するものとしてではなく、感覚に直接的に働きかける表現手段として色彩を用いた」とある。彼の絵は写実への挑戦だ。
 写実を放棄した結果、残るのはカンヴァスと絵の具、マティスが対象を描いたらこうなったという事実だけだ。これは極めて根源的な、絵画を通した問いかけに思える。
 我々は絵画を目にしているが、同時にそこにあるのはカンヴァスと絵の具でしかない。写実とは、幾重にも塗られた絵の具を、我々が勝手に像として脳内で結んでいるだけだという事を、マティスは突き付けている様に思う。
 絵画は「この対象を俺はこう描いた」という画家の提示に過ぎない。マティスが優れているのは、(荒々しい筆致もさることながら)その事実に対して極めて自覚的であり、またその事実を作品で表現出来たし、その事実で遊ぶ自由さを持っていたという事だ。彼の飽くなき探究心がそれを可能にしたのは言うまでもない。
 マティスは油彩だけでなく習作のデッサンも良くて、『風景』、『家と樹々』といった作品も目を見張るものがあった。果たしてこれは対象を描いたものなのか、はたまた線そのものなのか、その境界線を、かなり危うい攻め方をしていると思う。
 写実から離れたマティスの旅は続く。晩年の彼は、絵画から切り絵にその表現形態を変える。彼の作品は、カンヴァスと絵の具から、遂には紙そのものになってしまう。我々が観るのは紙そのものだ。彼の作品は年を経る毎にシンプルにシンプルに、要素が削ぎ落とされていく。
 展示の終盤には、巨大な茶色の紙を切り取った『オセアニア、空』という壁画があった。あれだけ天才的に色彩で遊んでいた人が、その色彩すらも放棄した事に、俺は舌を巻いてしまった。この爺さんはどうかしてる。どこまでも自由で、探求を止めない。
 彫刻も良かった。まるで子供が美術の授業で作ったみたいだった。子供の心で作っているのだ。LSDは脳を子供の頃の状態に戻すというけれど、彼がシラフであれをやってのけていたとしたら、爪の垢を煎じて飲みたい程だ。阿修羅MICのニート東京の話が事実なら、もしかしたら本当にキマるかも知れない。
 展示の最後には、マティスが手がけた礼拝堂の展示があって、殆ど十字架にしか見えない磔刑像の映像を観た。ガンギマリ礼拝堂である。是非いつか訪れたい。
 展示後の売店でクリアファイルとポストカードを買った。美術館に行くといつもポストカードを爆買いしてしまう。100円ちょっとで絵を買えると思うと、持ち前のがめつさが発動してしまう。この売店でも例の如く長蛇の列が出来ていたので、やはり日本人はどうかしていると思う。
 時間が無かったのでじっくりとは観れなかったが、大満足の展示だった。来年はキリコ展をやるそうなので、これも行かなければなるまい。
 上機嫌で美術館を出て、豚山上野店に行った。冷やし中華をニンニクマシマシで注文したが、ニンニクが辛過ぎて完食出来なかった。所謂ギルティである。情け無さと、食道が縮み上がる吐き気に苦しみながら夜風に当たった。やれやれ。

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