33歳で身体障がい者になった私の社会復帰までの全記録5

~ミトン事件
さて、体中チューブにつながれ、 未動き一つ取れないわたし、
ある時、右手になにやら異物感が・・・
気がつくと、私は、右手にミトンのような、鍋つかみのようなものがはめられていた。
別に鍋物をしてるわけでも、
オーブンでパンやケーキもやいてない、
「何だこれ・・・」訳がわからない、
ちょうどタイミングよく彼女Mが見舞いにきた。
右手を振って なんだこれと、アピールしてみた、するとMは
「大ちゃん、チューブ勝手に抜くからできないようにだって・・・」
教えてくれた。
そうなのだ、私は、あまうっとうしさに、
経鼻経管栄養ちゅーぶを、自分で引っこぬいて(自抜)していたのだ
しかも経鼻経管栄養チューブは挿入の度にレントゲンで確認をしなければいけないらしい。
ナースからしたら、いちいちその手間がたまらない、そのためのミトンらしい・・・。
しかしこれには参った。
左手は麻痺してうごかせない。
右手にミトン
これでは、スマホさわれない、
本もめくれない。
何もかもできないのである。
極端なはなし、チ○ポジも直せないのである。
これは地獄だと思った。
しかもミトンを止めるマジックテープのギザギザが、
手首に食い込んで
超不快である。
これなら、チューブだらけで、不自由のほうがまだましである。
彼女Mに取ってくれと言っても首を横にふるばかり・・・。
どうにもならない。
むかついたので、ミトンを口までもっていき、
噛んで引地ぎてやった。
まるで、0007かスパイ映画で敵に拘束された人みたいだった。
ミトンを引きちぎったことで、
 
後でこっぴどく叱られた。
今からおもえば、
わたしの「不自由叱られ生活はこの“ミトン事件“から始まっていたのである。

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