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忘年会という名の卒業式。
今日は忘年会だ。10年間勤めて、今月頭に退職した職場の。
職場の忘年会など、例年であれば「うほー飲むぞーみんなと騒ぐぞー!いろんな人に絡むぞー!ビンゴ当ててやるからなー!ガヤで騒ぎもするぞー!」と、能天気に楽しく参戦できる素敵な会なんだが…
今年は…重い。
数日前から感じてた。忘年会が近づくにつれて思いもよらない感情「行きたくねえ」って気持ち。
まさかだよなあ。
この文も、会場となる新宿に向かう電車の中で打ち込んでいる。
やっぱり、10年分の想いが今来ちゃってるのかな?
辞めた本人も、本当に辞めたのか実感湧かなかった部分はかなりあって、
実は来年になったらまた職場にヒョコッと復帰するんじゃないかと、
多分数ミリ、いや、数センチかもな、思ってる。
ただそれはもうねえってのも分かってるから、
複雑なんだろう。
そして、その悶々とした気持ちにきっぱり別れを告げる日なんだと、今日は感じている。
だから「行きたくねえ」って思っちゃうんだろうな。
多分だが、今日が今生の別れになる人、かなり居ると思ってる。
勿論、お互い生きてりゃ会えるから、誇張し過ぎの考え過ぎなのは分かるけど、
環境変わるとどうしても出会いがガクッと減るのは、誰しも経験した事だよね。
自分は、中学、高校とか、卒業式を終えて解散する時
「ああ、自分の中での1つの世界が終わった」
と、感じて来た。
今日はそれをしっかり感じる日なんだろう。
とりわけ仲のいい人、よく飲みに行く仲間、ツイッターで繋がってる人(←これがあるから俺はツイッターって大事だなーって思ってる)
そういう人たちは全然会うでしょう、これからも、とても、大事な友達だ。
しかし、そんな話さなかった人、連絡先知らない人、飲みに行ったり遊んだりしない人
別に不仲とかそんなの抜きにして、こういう方々は、今生の別れ率が高いと思う。
ましてや、人の変動が激しめの職場なので、
職場に遊びに行っても、その人が退職してたらもうね、何処かで偶然出会わない限り…という訳だ。
大学卒業の時、ゼミのメンバーで最期の飲みをした。
店を出た時、ゼミのメンバー10数名は、それぞれの家に向かって四方に散って行った。
その光景がやけに目に焼き付いた。
ここからそれぞれの人生に向かって別々の道を歩むんだな。
それを象徴するような光景だった。
最後の最後で、1番、一人一人の足取り、思いを、すごく立体的に感じた瞬間だった。
今日は、その逆パターンを感じている。
いつもなら、アッパラパーで「飲むぞーうぇーい!」しか感じないのだが、
今日はツイッター上で繋がる人たちのツイートが妙に立体的だった。
それぞれが、それぞれの想いを持って、これから忘年会会場へと向かっているんだなあと。
参加メンバーの心情が勝手に立体的になって刺さる。
いやー、そうか、卒業式なのか、俺にとってこの忘年会は。そうかそうか。。
たかが忘年会、されど忘年会。
立ち位置が変わるとこんなにも見え方が違うとは。
なんやかんや言ったけど。だからこそ楽しまなきゃね。刻まなきゃ。
できるだけ重さは忘れて、みんなと楽しく飲みかわそう。
毎度思う、なんで“忘年会”なんだよ。
忘れねえよ、刻むぞ。
では、飲み過ぎに気をつけて行ってきます。
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