呼称殺人

 毎年3月の入学式や入社式の後になると、全国の新聞紙上には必ずと言ってもいいほど殺人事件が発生する。日本や他の国々ではなかなかありえない殺人事件で文化的な殺人といえる。僕が「呼称殺人」と呼んでいるもので、呼称を誤ったがために起きる殺人事件のことを指す。例えば、高校の先輩が一浪や二浪して大学に入ったら、後輩と同学年になったり、二浪して後輩の後輩となってしまうことがあるだろう。そういう場合によく起きる殺人事件である。今までの「先輩」ではなく、「名前呼び」していると韓国では厄介な問題が起きがちなのだ。なぜかって?韓国人はなかなかシフトができない民族といえるのだ。  

 信じられないだろうから、例をあげよう。2016年7月15日(Newsis報道)、「61歳の男性が、食事会で自分より年下の男性が自分を同年輩呼ばわりすることに激怒して殺した」という記事。
 また、「K氏は同級生のAの妹さんと結婚したが、久々に訪問した妻の実家で楽しい食事会で、Aは妻の実兄にあたる自分に敬語を使わず、同級生呼ばわりしているとKを叱ったら、怒ったKが台所で包丁を持ち出し、Aの太ももを刺した。刺されたAが激怒し、包丁を奪いKを刺殺した」(聯合ニュース、2004.8.22 ;**韓国では、儒教的年齢秩序により妹の夫は妹の兄に対して敬語を用いるしきたり)
 また、2010年には留学中のアメリカで17歳と19歳の韓国人留学生間でおきた殺人事件。年下の者が年上の自分を「兄」と呼んでくれなかったことと敬語を使わないことに腹を立てて殺人」(2010年12月18日;SBS、YTN)

 韓国のように絶対的な価値基準の意識が弱く、どちらかといえば「状況依存的な判断基準」が優先されがちな日本人にとっては想像することすらできないことだが、韓国では毎年の3月から初夏にかける時期に上記したような呼称殺人が度々起きる。アメリカに早期留学の身で異国でのお互いの寂しさを紛らわしてきたはずの仲間意識よりも、つまり気の合う仲間という事実を超えてまで、呼称のズレは我慢できないものであったかのようだ。義理の弟という姻戚関係においても義理の兄にきちんとした敬語と呼称で呼んでもらえないことに対する怒りが数倍も増していたのだろうか!このような年齢や関係のズレをめぐる呼称の葛藤が原因で起きる殺人事件は後を絶たない。文化とは実に恐ろしいものなのだ。
 2人称の問題は韓国の企業文化においても安定しない。すでに述べたように、社員の女性をどう呼ぶべきか問題となった時期がある。現在の韓国企業の2人称問題がどう落ち着いているのかわからないが、多分相当もめているのではないだろうか心配である。

 街での使い方としては、役職のない方にはすべて「社長さん」と呼んであげる。女性なら「師母」と呼ぶのが流行った時期もあった。僕の来日後は、男にはオパ(お兄さん)、女にはオンニ(お姉さん)、歳召した女性には見境なく「イモ(母の姉妹)」と呼ぶのが流行ったかと思ったら、最近は親が自分の息子に「息子」娘には「娘」と呼んでいる。

 伝統的には男性の成人に対しては「官職」で呼ぶか、あるいは奥様の呼称を持ちいて「〜〜のご主人さま」と呼ぶのがしきたりである。儒教を国是としていた国だから人の奥さんを軽々しく呼ぶのはご法度であった。奥さんの出身地をもじり、ソウル出身であれば「ソウル宅」と呼んだり、あるいは子供の名前を介して「太郎のお母さん」というふうに呼ぶのがしきたりである。人類学ではこれをテクノニミという。テクノミノ慣習が普遍的な法則性を持つとは限らないが、特に女性の名前を口にすることを避ける社会において有効なのだ。韓国の班村地域では、日本の屋号のような宅号があり、これは奥様の出身地の名前をとって呼ばれる。例えば、「ソウル宅」という具合だ。家長は「ソウル宅の旦那さま」と呼ばれる。旦那に官職の経歴があれば官職名で呼んであげる。
 容易に想像できることだが、2人称の欠如は社会関係の中で様々な問題を呼び起こす。特に近代以降の産業化時代以降、さらに高度成長期に入ると、社会あるいは産業界の様々な局面で支障が生じやすいのだ。まさに「社会関係の支障」の遠因の一つになっているといえるのだ。
 なにはさておき、韓国国内における60年代以降の2人称をわかりやすく列挙してみよう。驚くなかれ!かつての伝統社会とは異なって、近代化以降の産業化・国際化が進んでいる  社会において「2人称が発達していない」と、すでに述べたように社会生活や企業活動に一定の支障が出るのは容易に想像できる。

 今はどうなのか定かではないが、僕が来日するまでの韓国では、着任したばかりの若い新任判事を呼びときに韓国ではヨンガム(令監)と呼ぶ。令監とは朝鮮王朝時代には高位官僚に対する呼称だったが、これが転じて韓国誕生後は「年寄り」「夫」を意味する呼称だったのだ。

 1986年7月には国務委員会で「外来語や呼びにくい勤労者職業名称79個を変える」韓国職業名称改善案が可決されたことがある。この閣議案は名称と呼称を厳格に区分する内容ではなかったが、要は「呼びにくいので変える」という意味においては呼称の変更案を示した形であった。(1990.2.19、東亜日報)
 
 だからといって、呼称がないわけではなかった。どちらかというと悪意に満ちた呼称が多いのが韓国の2人称の大きな問題であるのだ。例示しよう!軍人を「グンバリ」、カメラマンを「チクサ」(撮る人)、靴磨きを「タクサ」(磨く人)、散髪屋を「カクサ」(剪る人)、工員「コンドリ」(工場で働くやつの意味;ドリーは下人、男の子につける接尾詞)、家政婦を「シクスニ」(食事を作る人;スニとは下女や女の子につける接尾詞)などと、どちらかといえば差別的かつ攻撃的に呼んだものだ。

 以上見てきたように、韓国における呼称が安定した時代は歴史的にも僕の記憶の中でも一度もなかった。当然といえば当然だろう。60年代以降、産業化、近代化を経て高度成長期を迎えた後も労働者を差別的な呼称で見下していたのだ。2人称の落ち着きの無さの問題を放置したまま、今の現代社会を生きているのだ。

 一名、「別荘性接待事件」で有名になった、元法務次官金學義は建設業者の尹氏から「お兄さん」と呼ばれていた。公的な関係を私的な関係に持ち込もうとする狙いが見え見えの関係なのに、韓国の検察は自分から積極的に金にまみれていく。実際、私的呼称のやり方はいつも効果抜群だ。建設業者が仕掛けたありとあらゆる不正と重犯罪が、擬制的な兄弟関係と結ばれた兄さん呼ばわりされる検事によってもみ消された事件だったのだ。検察公務員はいうまでもなく、僕の知人は父兄参観で学校を訪ね初対面の校長にいきなり「お兄さん」と呼び始めた。校長も校長だ。初対面の父兄に「お前」と呼び、知人の息子による学内暴力事件をもみ消すことができたと自慢していた。また別の知人はアメリカ在住の韓国系移民者に同業を持ちかけ、一度も顔合わせもしてないにもかかわらず、親しげに電話を交わしていた。知人がアメリカ在住の投資家に「お兄さん」と呼んでいるのを聞いて驚いていたら、向こうも「お前が・・・」といいながら説教していた。初対面の人との電話にびっくり仰天した記憶がある。

 韓国には普遍的な二人称がない。あまり発達していないのだ。 このような2人称の不安定・混乱が様々な混乱を引き起こす。僕が韓国に行くたびに僕を呼ぶ呼び名(二人称)が変わるので二人称の問題を時期を追って覗いてみたい。

 60年代から時間軸に沿って列挙する。
40代の既婚者の女性にも「ミス朴」、ミスタ・リー、おばさん、おばあさん、主師、〜嬢(未婚の女に)、お前、君、先生(平社員に対して)、代理様(ニム)、〜氏しか思い出せない。

 ソウル市女性労働組合と女性特別委員会が現地調査と討論会を経て作り上げた「女性関連団体協約モデル」に「ミス、ミセスを用いない」取り決めをしたり、金融労働連盟の女性局の努力によって「女性差別がほぼなくなった」というが(『ハンキョレ21』、2000年4月11日号)果たしてどうだろう。
 2人称の問題は意識できない問題であるのだ。

 アガシとは「可愛い娘(子)」という意味である。朝鮮語のアギ、アガ(赤ちゃん)、アル、アルチ、アガシなどはすべて「かわいい」「小さい」という意味を持つ。新羅の王様のアルチとは「卵から生まれた(汚れていない)尊い人」の意味である。すべて同じ語源の言葉なのだ。話がそれた。もとに戻そう!

 
 まず、僕が大学生の時は同級生同士は「フルーネーム」に「氏」付けで呼んでいた。
その頃ソウルでは、恋人同士が互いを呼ぶ際に「自己よ」(ジャギヤ)と呼んでいた。僕の地域はどちらかというと保守的な地域だったので、ソウルの人間について惜しみなく冷ややかな評価を与えていた。
 僕が日本に来たのは30数年前で年に2回ほど訪問している。訪ねるたびに私を呼ぶ呼称が変わり落ち着かない。年齢を重ねるから仕方ないという問題ではない。
 行く場所・店によっても私を呼ぶ呼称がまちまちだった。

 要するに、呼称殺人は至って韓国的な、韓国でしか発生しない文化病なのだ。韓国で!といったが正しくは韓国人が住んでいる地域ならどこでも起きる病気、つまり文化病と僕は信じてやまない。

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