子どもの頃のこと

子どもの頃は楽しかったなんて安易に言ってしまいがちだけど、私は子どもの頃の方が今より圧倒的に辛かった。


私が一番初めにぶち当たった壁は『死』だった。何がきっかけか覚えていないが、4歳頃死ぬということの意味を初めてきちんと知り、どうしようもない恐怖に襲われた。


どうやら死というものは誰しもに平等に、絶対にやってくるものであり、しかもいつ死ぬかわからないという話らしい。

これはとんでもないことである。なにやら自分が自分であるという意識がなくなるようであるし、死ぬものの周りの人間からしたらある日を境に死した者に突然会えなくなるわけであるし、大事件である。そんな爆弾的事実を身体の中に抱えたまま皆普通に生きているなんて異常なことだ。


幼い私は考え込んだ。もし私以外の家族が突然死んだらどうなるのかと。おそらく親戚に預けられるのであろうが、その親戚だって死ぬ可能性がある。だって死は皆に平等なのだから。私は子どもだから、守ってくれるものが一人もいなくなるとどうなるのだろう。そのあたりにポイ捨てでもされるんだろうか。というか、私自身だって死ぬ可能性があるし…



考えれば考えるほどキリがない。いつ来るかわからない不幸、しかも防ぎようがない。じゃあなんだ、私はどうすれば良いのか。この恐怖を我慢するしかないのか。対処法はどうやらないらしい。無理だ、不安だ…


そういうわけで、もう赤ちゃんでもないのに夜泣きが始まった。泣いても仕方ないけど泣くしかない。なんで人は死ぬんだ、私以外みんな死んだらどうすればいいのだと言って号泣した。


私の母親は超がつく呑気者で、夜泣きする私に怠そうに『死ぬっつっても、何十年も先だから大丈夫、その頃にはけのこも大人になってるんだからなんとかなるんだって』と繰り返し言った。


だから、いつ死ぬかわからないから泣いているのに!!!


全く解決にならないが、幼い私はとりあえず身近な大人の意見に縋るしかない。とりあえず、本当に何十年も先なのかを確認し、繰り返しお願いだから死ぬなと約束をし、漠然とした不安をなんとかやり過ごして眠りにつく日々だった。




その次にぶち当たった壁は『嘘をついて愛されることへの罪悪感』だった。


人間誰しも、悪気なく嘘をついてしまうことくらいあるだろう。大人の私ならわかるのだが、当時の私には嘘は大罪に思えた。


幼稚園の時、クリスマス会が行われた。

子供騙しの嘘サンタが来て、マスク型の髭の紐ががっつり見えていた。


サンタが去った後、生意気盛りの男の子が言ったのだ。『あれ絶対嘘だよ、俺、髭の紐見えたもん!』と。


もちろん私もそんなものは見えていたのだが、そして、いい子ぶるつもりもなかったのだが、反射的に『そんなものはなかったよ。あれは本物だよ。』と返した。


その瞬間に生まれた罪悪感を今でも覚えている。


きっと先生たちは、私のことを素直で良い子だと思っただろう。そうして、そんな私のことを愛すだろう。でもそれって、嘘をついて愛されていることにならないか?とモヤモヤしたのだ。


他の場面でもそんなことはあった。深く考えず言ったけど、これは本心じゃないかもってことや、ぱっとついてしまった嘘。みんなは私が正直者の清い子だと思って愛してくれているのに、私はそんないい人たちを騙している詐欺師だと思った。


だから私は私が憎くて嫌いだった。

すごくずるい子どもだと思った。


考える力がまだ足りないせいで、意図せず思いと反することを言ってしまうことがあった。そうすると後からひどい罪悪感に襲われるのだ。また嘘をついてしまった、嘘で愛されようとしている…と自己嫌悪が止まらない。もちろん子どもなので、脳内でこんなふうに言語化もできない。ひたすらに虚しかった。漠然とした悲しい気持ちだった。


だから私は話すのをやめた。無駄なことを言って愛され詐欺をするのはごめんだから、もう黙ってれば解決すると思ったのだ。


突然夜泣きしたり、話さなくなったり、厄介な子どもである。私が親になりたくない原因は自分自身がこういう子どもだったから、というのもある。こんな人間を傷つけずに育てるなんて不可能だ。面倒くさくて仕方ない。



小学生になってもいちいち不安は尽きなかった。ちょっとした無神経で友達のことを傷つけて、担任から『お前がそんな子だと思わなかった』と言われた時の心の重さを未だに覚えている。


私だって私のことをこんな子だと思わなかった。無意識にぽろっと意思に反することを言うことはあっても、その時はその場のノリの無神経でいじめまがいのことをしたのだった。なんで私こんなことしたんだろう。なるべく慎重に、慎重に、お利口に生きてきたはずなのに。


あーーーもう、最悪だ。そんな気持ちだった。私って意地悪で、愛されるために嘘をついて、死ぬのもなんか怖いし、世界って全然良いものじゃなかった。



そんなある日、一人でベッドに横たわって泣いた。その日何かがあった訳ではなくて、今まで感じていた世界への絶望感みたいなものに限界が来た。この世には私にはどうにもできないことが多すぎる。泣くしかできなかった。


そして、今が一番辛い時だと思った。

きっと大人になってもいろいろあるだろうけど、その頃にはもっと頭も良くなって、平気になるんだと。だから今がきっと人生で一番つらい。この時を噛み締めて、忘れないで、これからもきっと少しずつ辛いことがある私の励みになって欲しいと思った。


辛い気持ちをぎゅっと噛み締めて噛み締めて、辛いぞ、滅茶苦茶に辛いぞ、と思いきり目を瞑った。そうやってなんとか乗り越えた。





大人になった私は、あのベッドの上で噛み締めた辛さを時々思い出す。

辛かったね、と言ってあげたい。今はだいぶ楽になったよ、と。


あれから、あの噛み締めた辛さを上回る辛い思いも何度かした。子どもの私め、舐めやがって。辛いことはまだまだあるぞ、と思う。


でも子どもの頃よりだいぶマシになった。

大体のことを受け流せるようになった。茶化し倒して、平気で人の悪口だって言えちゃうし、私は多分意地悪な方だし、嘘をついて愛されるなんて小技みたいなもんで、嘘のおかげで愛されたらむしろラッキーってなもんだ。


相変わらず死ぬのは訳がわかんないけどもうそんなに怖くはない。周りの人も何人か亡くなったけど全然なんとかなってるし、一気にバタバタ周りの人が死ぬことなんてそうそうない。仮に身内の誰か死んだってお金があればご飯を食べていけるし、そうすれば心は辛くてもなんとか私は全然生きていけるし、なんの心配もない。それに、そうそう一人ぼっちになんて、なりたくてもなれるもんじゃない。


要するに、私は無神経になった。呑気で愚鈍になった。

生きるための防衛本能みたいなものなのか。気にしたら生きていけないから脳が勝手に感受性の大事な部分を麻痺させたのか、大人ってみんなそんなもんなのか、わからないけど本当に楽になった。体が軽くなった気分だ。


それでも私は時々、子どもの頃の私が羨ましくなる。辛いことが多かった分、心が直に世界に触れるような経験も多かった。


雨の日に長靴を履くのが好きだった。水溜りの水が跳ね返るだけで胸がドキドキした。

冬のしんしんとした雰囲気も、内蔵の奥が静かになるみたいで結構好きだった。

大晦日の日はいつもと違う匂いがする気がした。

お祭りの太鼓の音は、身体の奥の方に直接響く感じが好きで何度も聴いた。

身の回りのものへの愛着も人一倍で、なんでもないコップの柄もとってもとっても愛しかった。


あんな風に世界に直にふれあうことは、もうできないだろう。

いちいち苦しまなくなる事と引き換えに、私は目も鼻も耳もちょっと濁った。

大人になった今の世界が2Dの映画なら、子どもの頃の世界は4Dの映画みたい。全部拾えるということはいいことでもあった。


そうして生きながら、子どもの頃の私だったらどう思うかな、どう感じるかな、と思うことがある。大人の私が取りこぼしている色んなことをいちいち拾って、傷ついたり感動したり、楽しんだりつくづく眺めたり、いろいろするんだろう。なんだか、少しだけ羨ましい。


無神経な大人の私は、もう戻れない子どもの頃の私への憧れと慰めみたいなものを心に飼って、かつて私があんなに恐怖していた死に少しずつ近づいて、時々苦しんだりしながらそれでも平気で生きている。

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