オタク

言うまでもないが、私はオタクだ。

なんのオタクかと問われれば、アイドルオタクやら百人一首オタクやら、俳優オタクやらと答えるのだが、実際のところ私は何かのオタクというより『オタク気質』なのだと思う。

遡って考えると5歳の時点でノートに物語を書いていた記憶があるし、セーラームーンごっこに子どもらしからぬ謎の熱意を捧げて遊んでいた記憶もある。

私が思うに、オタクは先天性のものだ。
オタクという生き物は、産まれた時点で既にオタクなのである。

身の回りの人間を見ていても、『ファン』と称される人と『オタク』と称される人ははっきり区別出来る様に感じるし、後者のオタクは何事も深読み深掘りが好きで、特定の趣味以外のことに関してもオタク的角度からものを見る癖があるように思う。

そしてこのオタクというのはどうやら完治しないものらしい。友達にオタ卒したオタクがいるのだが(憎らしいことに舞台俳優と繋がり交際したのをきっかけにオタクを辞めたのだ)、本人はオタクを卒業したつもりでも口調や考え方などにオタクが色濃く残っている。
オタクでも美女であればこのように推しと付き合える可能性があるが、それでもオタクは治らない。

オタクというのは不治の病のようなものだ。
学生時代ボランティアで老人ホームに行ったことがあるのだが、その際大のSMAPファンのお婆さんのベッドを囲うようにキムタクのポスターが貼ってあったことを思い出す。
今日食べたものもわからない方だったのだが、キムタクが好きということだけはハートが覚えているのだ。職員も『●●さんはキムタクが好きなのよ』などと言ってSMAPの曲を流し、心の安定を図っていた。
自分の理性が保てない状態になるため、オタクということを隠すことも出来ない。このお婆さんは元々穏やかなオタクだったのであろう、曲を聴いてにこやかになるだけで可愛らしかったのだが、私の老後が非常に心配だ。

今は理性あるオタクの為、脳内に駆け巡る気持ちの悪い思想を心の中にしまっておくか、人に言ってもギリギリ大丈夫そうなものであればTwitterに垂れ流すかと選択することが出来るのだが、理性のリミッターが外れたらどうなってしまうのだろう。
若い介護士のお兄ちゃんなどに掴みかかり『貴方はジャニーズに入れる』などと熱弁しながらキスなどしてもおかしくはない。最悪である。私に近付けたら危険だと女性介護士をあてがっても今度は『貴方はスターダストのアイドルになれる』などと言って歌えだの踊れだの命令し出すと思うので、どっちにしろ救い様がない。その為にも理性あるうちに死ぬよりほかないのだが、いつ死ぬべきかと迷って時が過ぎているのが現状だ。

また、オタクでいると差別を受けることもある。私の身の回りにオタクが多いからか、特に自分がオタクということに関して酷い劣等感を感じたことなどはないのだが、一般的に考えるとオタクというのはまだまだ迫害対象らしいのだ。

数年前推している俳優のトークショー の待機列に並んでいた時にもそんな経験をした。
ちなみにこのトークショー というのは大体が大学の学園祭で行われる為、一般の学生たちがうじゃうじゃいる中で列を作らなければならないのだ。人生を謳歌する若者たちの熱気あふれるなか、やたらとめかし込んだ女たちが群れを作っている姿は異様である。

あと少しで開演だとそわそわしながら棒立ちで並んでいると、いかにも大学生らしい明るそうな男子が通りがかり、我々をみてこう言ったのだ。

「すげえ!これ全部オタク!?」

私の記憶が正しければ彼は指を指していたように思う。なかなかのパワーワードに思わず息が止まってしまったのだが、後になって考えてみるとこれは凄い言葉だ。
まず皆さんに考えて欲しいのだが、人間を見て第一声で『すげえ!』と言ったことがあるだろうか?超人的パフォーマンスなどを見た際は別として、こちらは立っているだけだ。立っているだけですげえとは何事か。
それから『これ』というのも物に使う言葉だ。私たちのことを人として尊重していれば自ずと『この人たち』という言い方になるだろう。
同じく『全部』もである。私たちを人として認識していれば『全員』だ。『全部』というのは居酒屋で『ああ、じゃあこの焼き鳥とりあえず全部ください』という時のように、対象が物であっても多少投げやりな際に使う印象がある。
極め付けは『オタク』である。文末をオタクで締めるとは。これはもう説明などいらないだろう。シンプルに侮辱である。

まあ気持ちはわからないでもない。彼は私たちを傷つけるつもりはなかったのだろうし、我々オタクもそんなことで傷つくようなナイーブな女たちではないから良いのだ。
実際、今この列にいるのは全部オタクだ。


そのような経験もしたことがあるのだが、はじめに述べたようにオタクというのはやめようと思ってやめられるものではない。おそらく母親の腹の中からオタクだったのだ。諦めるより他ないだろう。

私にできることは老後に介護士を困らせることがないように、ボケないように日々を刺激的に生きていくことか、さっさと死ぬことくらいである。

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