短編小説

私はその人を常に先生と呼んでいた。

記憶は不確かだが、そんな書き出しの小説があった気がする。

僕も、その人のことを先生と呼んでいた。
先生は生徒みんなから好かれていて、親しみを込めて下の名前に君づけで呼ばれることが多かった。いつもなら教師のことをふざけた名前で呼ぶことのない目立たない生徒も、何故だか同じように呼ぶのだった。

あの広い学校の中で先生のことを先生と呼んでいたのは、僕だけだ。
みんなが先生のことを愛くるしい生き物だと半分馬鹿にしながら親しみを持っていたのに対して、僕だけは先生のことをいたく尊敬していたから、気安く名前で呼ぶ気は起きなかった。先生は、『先生』という名前の生き物だと、奇妙な考えを持っていたりもした。

先生は美術部の顧問のくせに、絵に関して指導はしてくれなかった。いつもただ窓際に座って部員が絵を描くさまを眺めているだけで、飽きると自分もスケッチブックに落書きなんかして、まったく呑気なものだった。

美術部の部員は僕と女生徒3人の4人しかおらず、女生徒はひんぱんに部活をサボったものだから、おのずと先生と二人でいる時間ばかりになった。


放課後の美術室で2人並んで絵を描く。先生がキャンバスを前にきちんとした絵を描くのは、僕と2人の時だけだった。

「先生は絵がそんなにお上手なのに、どうして僕たちに絵を教えてくれないんですか」


「人に教えられた絵ほど、つまらないものはないからねえ。絵に、へたもうまいもないもの。その人らしい絵が一番いいと思うんだよ。」

先生の話し方はのんびりしている。音楽の授業で、アンダンテと言う言葉を習ったとき、僕は真っ先に先生を思い出した。アンダンテ、歩くくらいの速さで。
先生はいつもお散歩みたいな速度で話し、お散歩みたいな速度で絵を描く。


「きみの絵は色遣いが面白いねえ。色作りがうまいんだ。色作りが得意なひとはね、ひとによくもてるよ。」


たしかに僕は男の子にも女の子によくもてた。でも、モテる、という言い方は軽薄で、なんとなく僕の言い寄られ方には合わない気がした。僕はなぜだか周りと少し違っていたから、好奇心旺盛なひとたちに興味を持たれているだけだ。単純な色恋の意味を持つ好意とは意味合いが違うといつも思っていた。


「もてるのは、大事なことですね。」

僕はそう言って、筆を置いておにぎりを持った。一口齧ると口の中でほどけて、旨味が広がる。


僕が初めて先生のつくったおにぎりを食べたのは、半年前のことだ。 


あの日、日曜日なのに珍しく部活があった。

僕たちは川で写生をしようという名目で、駅前に集められた。
熱心な部員は僕だけだったようで、駅に集まったのは僕と先生2人しかいなかった。女生徒たちからは、熱が出たと連絡が入ったと言う。


「行こうかあ」


2人きりなことを少しも気にしないで、先生は川まで歩いた。目的の川は駅から近いのかと思っていたけれど、ゆうに30分は歩いていたと思う。秋の始まりで、寒くなるかもしれないと思って着込んだカーディガンが暑かったことをよく覚えている。


写生をする気で画材をリュックサックに詰めてきたのに、先生は釣竿を鞄から取り出して呑気に釣りを始める。駅前で落ち合った時から、リュックからはみ出た釣竿を、おかしいとは思っていたのだ。


「きみもやろうよー」


僕らは二人並んで釣竿を垂らしていた。
ひとけはなく、魚も来なかった。完全に僕たち二人だったが、先生はそんなことを少しも気にしていないようで、何がおかしいのかにこにことよく笑った。


しばらくすると、先生が鞄からアルミホイルの固まりを取り出した。僕の手のひらの上にもそれを乗せる。
それは、手のひらに乗るくらいのおにぎりだった。聞けば、朝から自分で作ったと言う。
おにぎりは酢飯で出来ていた。塩で味付けしていないおにぎりなんてはじめてだ。先生は全部がほかの人と違う。でも、全部が正しく思えた。
先生はこの世でただ一人、何が正しくて何が間違っているのかを知っている。


「先生は、絵以外も全部センスがあるんですね。このおにぎり、今まで食べた中で一番美味しいです。」


「ええーそうかな。きみはいつもお昼、お母さんが作ったおにぎりを食べているじゃない。それが1番美味しいでしょう?」


「母のも、美味しいですけど。先生の方が美味しいな。」


僕は本当にそう思っていた。母は僕と弟が母以外の人の容姿や料理の腕前なんかを褒めると、露骨に機嫌を悪くする。母親ながらその姿は少女のようで可愛らしいし、実際母ほどの女性はいないと尊敬もしていた。
僕は先生の話を家族に一切しなかった。母親にやきもちを妬かせたくなかったらではなく、僕なんかの言葉で先生のことを語ってしまうと失礼にあたる気がしたからだ。
僕と先生の時間を秘密にしておきたかったという思いもある。


「んー、そんなに褒めてくれるなら、おにぎり屋さんをやろうかなあ。どこにお店をだすのがいいかな。」


本気なのか冗談なのかわからないけれど、先生は考え込むようにうーん、と繰り返した。
僕はもう一口、おにぎりを齧った。中身は焼いた明太子だった。


先生について思い出すことはまだまだある。
放課後の美術室でストーブの上で温めてから食べたあんぱんの美味しさや、しょっちゅう先生が淹れてくれたコーヒーのやたらな甘さや、ずぼらで柄が絵の具だらけになった先生の筆や、生徒から貰ったラブレターを端から端までふんふんと読んで、まだまだいけるなあなんて笑っていたこと。


高校を卒業するとき、僕は先生に住所を聞いた。他のクラスメイトの連絡先は一切持っていない僕だったが、先生とこれきりさよならになってしまうのは少し惜しい気がして、手紙を送りたいと考えたのだった。先生は僕たちの卒業と同時に先生を辞めることが決まっていた。


先生は落書き用に部屋の端に積んでいたルーズリーフの端っこに住所を書いてくれた。
そうしてそれから美術準備室の奥まったところ、これまで一度も入ったことのないスペースに、僕を招いた。


狭苦しい2畳ほどの場所に、女の人の絵があった。僕より少し年上くらいの人がモデルだろうか。口元には微笑をたたえていて、あたたかく、けれども渇いた色遣いが寂しい絵にも思えた。


「素敵な絵ですね」

本心からそう誉めると、先生はそうでしょう、と笑った。自分への褒め言葉に素直に賛同するのは珍しいことだった。

「僕の最高傑作なんだ。もうきっとこのさき生きていても、これ以上の絵は描けないと思うよ。」


僕はその一言に、何故だか悪い予感がした。先生はとっくにいつ死んでもいいと心に決めていたのだと、何故だかそんな気がしたのだった。


「先生は死ぬんですか」

思ったことがそのまま口から出た。今思えば失礼な話だ。先生は死ぬんですか、不謹慎すぎる一言を思い出すと笑えてくる。


「そりゃあ死ぬよお、いつか。」

そう言う意味ではないとわかっているはずなのに意地悪な人だ。

「僕は死んだら、墓になんか入らなくていいんだ。そこらへんに骨でも撒いてくれればそれでいい。墓はちゃんと生きた人間が入るものだからね。」


「先生はちゃんと生きているじゃないですか、そこらへんに骨なんて撒いたら、ばちがあたります。」


先生はへっへっへ、と笑った。


「入る墓がないのはどっちにしろおんなじなんだ。でもきみがそう言うなら、もっと良いところに撒いてもらおうかな。」


それなら先生によく似合う気がした。墓になんて収まらないで、世界中の素敵な場所に散骨されるのだ。本当は人の最期はそうすべきであるという気さえした。

「いいですね」

僕はルーズリーフを握りしめて、さみしいという言葉の意味をはじめて知った気がした。

それから僕は先生に宛てて何度か手紙を書いた。いざ便箋に向かい合うと先生に話したいことは浮かんで来なくて、手紙を書くのはごくたまにのことだった。


返事は、一度も来なかった。


あれから9年の月日が流れて、僕は27歳になった。いつか先生が話してくれた先生が先生になろうと決心した年齢だ。


27歳の誕生日、僕は手紙を書いた。
なんてことない内容だったが、今度は返事をくれる気がした。

二週間が過ぎ、返事が来た。
けれどもそれは先生からではなかった。

見覚えのない字で書かれた、数年前から手紙が間違えて届いていたのだという内容だった。はじめは中身を見るのは忍びなくて確認できず、そのうち気付いてくれるだろうと思って放っておいたらしい。それが、何年経っても時々届く手紙についに我慢ができなくなって、中身を見たと言う。
郵便局に持っていけば良かった、好奇心で申し訳ないことをしました、と記してあった。
特別重大な中身ではなかったが、これは放っておいてはいけないのではと思ってついに返事を書きました。申し訳ありません。そう結ばれている手紙を見て、僕は思わず唖然とした。

僕の手紙はどうやら一通も先生に届いていなかったらしい。でたらめの住所を教えたのか、引っ越しをしたのか、あるいはうっかりミスで住所を間違えたのかわからない。先生のことだから、どれもあり得る。


住所がわからない今、先生に会う手掛かりは何もなかった。


それから僕はどこに行く時でも先生を探した。僕は絵描きになって、日本、いや世界中のいろいろな場所へ行っては絵を描くようになった。けれども、どこに行っても先生を探しているのだった。


そうしてこの前、エピローグにしては出来過ぎたことがあった。
いつものように地方の田舎町へ旅に出てタクシーに乗っていた時のことだ。

「そうかお客さん、絵描きさんなんだ。アーティストにこの街に来てもらえるなんて名誉なことだね」

運転手は、アーティストをアーチストと発音した。窓から抜ける風がぬるく、頬にあたった。

タクシーは小さなトンネルを抜けた。

「止めてください!」


僕は思わず叫んでいた。


急ブレーキをかけた運転手は不審そうに道の端に車を止めて、僕を降ろす。

僕は夢遊病患者のようにふらふらと車から降りた。

トンネルの壁には絵が描かれていた。街中でよく見かけるスプレーアートと性質は一緒だが、それはそんじょそこらの落書きとは違った。スプレーで緻密に、女の人が膝を抱えて座っている絵が描かれている。

これは絶対に先生の絵だと、そう思った。
僕が先生の絵を見間違えるはずがない。


運転手は僕と一緒に降りてきて、肩を並べた。

「この絵ねえ、何年も前からあるんですよ。
朝起きたら突然描かれていたの。街の七不思議みたいになってるよ、うまいもんだよね」

僕は震えながら、なんとか相槌を打つのが精一杯だった。いつの話かはわからない。ひょっとしたら、僕と先生が出会う前の話かもしれない。それでも、先生と久しぶりに出会えた気がした。

タクシーに再び乗り直して花畑が有名な小川へ向かう。今日は、もう絵を描かなくても良いかもしれない。久しぶりに川べりで、おにぎりでも食べようか。酢飯の不思議なおにぎりはないけれど、コンビニで間に合わせよう。こんなへんぴな場所にコンビニがあるかは疑問だけれど。

僕はときどき先生を思い出す。ひょっとしたら、もうこの世に先生はいないのかもしれないと思ったりもする。
そして僕はそんな時、世界中に撒かれた先生を想像するのだ。
それはこんな田舎町に。
あるいは外国の、日差しがよく当たる石畳みに。
あるいは、人が寄せ合うごみごみとした交差点に。


そんなときの先生は、きっとアンダンテの速度で風に運ばれていく。






-先生へ。

久しぶりのお手紙です。元気にしていますか。

どうして久しぶりに手紙を書いたかといえば、この間誕生日を迎えたからです。
本当はもっと頻繁に手紙を書きたいのだけれど、先生が目の前にいないとあまり伝えたいことがうまく言葉にできないもので、こうして節目にだけ手紙を書かせてもらっています。

僕は27歳になりました。
いつか先生が、27歳の時に先生になろうと決心したのだと話してくれましたね。
先生にも僕と同い年の頃があったのだと思うと不思議な気持ちです。
先生は、今の先生としてこの世に生まれてきたみたいな気がするから、赤ちゃんの頃や、中学生や高校生の頃があるのが、あんまり想像できません。
ずっとそう思っていましたが、最近鏡の中の自分が成長していくのを見て少しだけ先生の若い頃や、僕と会わなくなってからのおじさんになっていく先生を想像できるようになりました。僕の想像力の方も、きちんと大人になっているようです。

先生はどうですか?まだまだモテ期が止まりませんか?
僕は少し前絵描きになる決心をしました。絵で食べていくのは難しいけれど、僕はまだ自分で最高傑作だと思えるほどの作品を描けていないのです。
僕もいつか描きたいと思います。
そのために、誰かこの世に一人だけの人に出逢いたいと思います。
だから僕は、世界中のいろんな場所に行こうと思うのです。もしかしたらどこかに、僕の一人だけの人が隠れているかもしれないから。

先生にもいつかその人を逢わせたい、それが27歳の僕の夢です。


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