ももちゃん

小学生の時、ももちゃんという子がいた。ももちゃんはみんなからいたく嫌われていて、『ももちゃん』といえば嫌われ者、ほとんど“嫌われ者”がキャッチフレーズになっているような女の子だった。

とは言っても、みんな理由もなくももちゃんにあれこれ言っていじめていた訳ではない。むしろその逆だ。ももちゃんは驚くほど底意地の悪い子だった。


1年生の時から、ももちゃんの悪い噂は学校に少しずつ広まっていたらしい。

呑気な私はそんなことは知らず、2年生で同じクラスになったももちゃんとお友達になったのだった。表面上、ももちゃんは気さくで明るく、面倒見の良いお姉さんタイプの子で、私は彼女をなにも疑わなかった。

私は1年生の途中で学校は変わらず引っ越しをしたのだが、引越し先の家がももちゃんの家の近所だったこともあり、ももちゃんにはよく面倒を見てもらった。登下校も一緒にして、とてもよいお友達ができた気になっていた。

雲行きが怪しくなって行ったのはそれから数ヶ月経ってからのことだった。ももちゃんがおかしな行動に出始めたのだ。


他に仲良くしていたお友達を含めて3人で帰っていたら、ももちゃんが突然その子に耳打ちをしたことがあった。数歩歩いたところでその子は『先に帰る』と駆け出してしまい、やがて前方で泣き出した。何事かと思いしつこく問いただすと、ももちゃんが『あんたはいらないから先に帰れ、自分から帰るといえ』と言うようなことを指示したらしいのだ。一体何のためにそんなことをするのか。人だかりができて、通学路にいた友達がみんなその子を励ました。ももちゃんが何も言わないから、私も同罪になってその場に立ち尽くしていた。こんな時でも、ももちゃんは焦ることも悪びれることもなく、落ち着いているのだった。


これだけなら友達同士の嫉妬問題かと思われるのだが、ももちゃんの意地悪ぶりはそんなものではなかった。私のお道具箱の中のものを盗み、ご丁寧に名前シールまで剥がしてしらばっくれるのだった。私には、『これはあんたのじゃないよ』と言っていたくせに、先生に問いただされると『けのこちゃんがくれるって言ったんです。盗んだって疑われたら可哀想だからって、自分でシールを剥がしてくれました』なんて言うのだった。2年生がその場で思いつくにしてはできすぎた嘘だ。あっぱれ、ももちゃん。

それにしても、ももちゃんのしていることの目的はちっともわからなかった。私がお道具箱に入れているものは大体ももちゃんだって持っているからいらないはずだし、ただのいたずら目的にしては彼女はちっとも楽しそうじゃなかった。


彼女の意地悪は日に日にエスカレートした。

放課後、森のように木が茂っている公園で遊んでいたところ、『少しここで待ってて。飲み物を買ってくるから』と言い残して私を置いてけぼりにしたことがあった。がしかし、いつまで経ってもももちゃんは戻ってこない。5時のチャイムも鳴り、私は心細くて泣き出した。

近くにいた大人に保護されて事なきを得たのだが、場所も場所であるし、今思い返すとかなり危険な話だ。

場所は違えど、ももちゃんはこの“置いてけぼり技”を何度か行なった。私も何度も同じ手に乗るなという話だが、ももちゃんの話はいつしか絶対になっていて、逆らうことができなかったのだった。

彼女の意地悪エピソードはまだまだあるのだが、この辺りになると流石に子ども同士のいたずらでは済まなくなっていて、親や教師も交えてちょっとした問題になっていた。

反省の姿勢を見せないももちゃんに、あんまりにもどんくさい私。大人たちは仲直りとかそういう次元じゃないと判断したらしく、『あなたたちは少し離れなさい』という判断が下された。

それ以降、ももちゃんは、私に手を出してこなくなった。


それからというもの、ももちゃんのことは『意地悪な子』というイメージのまま、なんとなくももちゃんを避けながら、私は楽しく学校生活を送っていた。風の噂で、ももちゃんは次々にターゲットを見つけては意地悪をしていると聞いた。よくよく聞いてみると、周りの友達でももちゃんに一度も意地悪をされたことのない子はいない、そんなレベルだった。片っ端から意地悪をする意地悪マニア、ももちゃんはそんな子だった。

こう書いてしまうとももちゃんが人の心を持たないサイコパスのようなのだが、『なんだよあいつ、サイコパスかよ』なんてくだらないことを言って怖がったり、笑い飛ばしたりするのが最近嫌になってきた。

大人になった私は、時々『どうしてももちゃんはあんなことを繰り返していたんだろう?』と考えることがある。

ももちゃんは高学年になるとますますみんなから嫌われて、と言うよりも、もうみんなももちゃんを恐れるのではなくはぶく手段を選んでいて、毎週金曜日にみんながお楽しみにしている給食の自由班で一人ぼっちになった。そうして、ももちゃんは金曜日学校を休むようになった。噂によればももちゃんの親は相当ご立腹で、学校に怒鳴り込んだとかなんとか、そんな話を聞いた。親も馬鹿なんだよ、とみんなは口々に言った。ももちゃんはますます嫌われた。でも自業自得だから、みんなももちゃんを助けなかった。

この頃は私はももちゃんとは違うクラスだったから、彼女がどんな生活を送っていたのかは知らない。ただ一度、通学路で声をかけられたことがあり、その時のことを鮮明に覚えている。

ももちゃんは私に、『私たちさあ、2年生の時凄く仲良かったよね』と言ったのだった。当時の私はふざけんなよ、と思いつつ、曖昧に『うん』と返事をしたのだが、私はこの時のことを思い出すと胸がきゅうきゅうしてしまう。ももちゃんは、どんな思いで私にあんなことを言ったんだろう。

私に嫌われていることくらい、友達だなんてちっとも思われていないことくらい、絶対にわかっているはずなのに。ももちゃんの悲しい確認を、当時の私は気付くことができなかった。厚かましいやつだと思っていた。

否定してあげれば良かったんだろうか。私はまだ許していないんだから、と怒ってあげれば、曖昧に頷かれるよりずっと楽だったのだろうか。ももちゃんの悲しさが、大人になって少しわかった。


たった8歳の女の子だったのだ。当時のももちゃんより、当時のももちゃんのお母さんに近い年齢になった私は、あの時のももちゃんはまだ小さな子どもだったのだと気が付いた。

とはいえ、当時の私も守られるべき小さな子どもだ。タイムスリップできたなら、『仲良くしてあげなさい』というつもりなんてない。きっと当時身の回りにいた大人のように、『あなたたちは離れなさい』と言うだろう。

だからその代わりに、今の大人の私がももちゃんと二人で旅に出たい。友達って何かとか、意地悪なんかしちゃいけないとか、そんな偉そうなことを説くつもりはない。可哀想だから面倒を見てあげようなんて言うつもりも、もちろんない。

そうではなくて、大人になった今の私の心には、少しだけももちゃんのような子が住んでいる。うんと意地悪で、人にわざといやがらせをして、それでもちっとも満たされず楽しくないそんな人格。私だけじゃない、きっといろんな人の心にいると思う。私は私の中のそういう部分に出会った時、ひどく自分を嫌いになる。

ももちゃんはたった8歳で、あんなに小さな身体の中に悪意を詰め込んで、きっと苦しかっただろう。大人の私でもこんなに重たいと感じるものを、彼女は誰にも助けてもらえることなく必死で抱えていたのだ。

だから私は重たいものを抱える同士として、大人の私と当時のももちゃん二人で、一日限定で旅に出たい。気晴らし旅行とでも称して、人間関係何が正しいとか、そんなこと置いておいて、ももちゃんが意地悪なんてしなくてもいい日を作りたい。そんなふうに思う。


ももちゃんはシナモンが好きで、私は誕生日にシナモンのとても可愛いリップクリームをプレゼントした。一生懸命選んだそれを、ももちゃんはわざわざ『あんなもの捨てちゃったから』と言った。あれを、もう一度プレゼントしたい。だって本当は、嫌いなはずがない。

昔々のももちゃんは、一体何を考えていたのだろう。私には、彼女の深層心理までわからない。でも、時間が経った今ようやく少しだけ上澄みの悲しさみたいなものは、理解できるようになった。

あれからもう十何年も経つ。ももちゃんは今、何をしているんだろうか。

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