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サウナと男の人生

 サウナは人生である。
 サウナの扉の向こうには、このご時世だというのに老若男(ろうにゃくなん)が犇めいていた。私はサウナの最上段、右端に座った。他の客を俯瞰でき、己の卑小な自尊心を満たすこともできるからである。禿頭の爺さんが隣に腰かけてきた。この爺さんがサウナを出るまでは、僕は出ないぞ、と心に決めた。
 しかし12分計の分針が一周しても、爺さんは動かない。それどころか、胡坐を組みはじめ、いかにも「まだまだワシはこれからじゃ」と鼻息を荒くしているかのようである。こうなったら我慢比べだ。熱石に水が注がれ、熱波が裸体を覆う。鼻の奥は熱に弱いから、深く呼吸できない。また熱石に水が注がれた。もうほとんど熱さは痛みに変わり、身体全体の針が突然逆向きになったハリネズミの気持ちである。爺さんは微動だにしない。また分針が一周した。老若男は次々と、だずんだずん、と木の床を鳴らしながら、逃げるように出口へ向かった。前方にいた客は、あらかた入れ替わっている。しかしこれは出る口実にはならない。私は爺さんと戦っているのだ。1500m走のゴール直前に体の奥から昇り来る苦さにも似た、全身が拒絶にのたうつ不快感を抑えつけながら、相も変わらず不動の一手だ。私が少しでも身じろげば、爺さんは私の限界の近いことを察知すると思われるからである。私の苦悶を悟られてはならない。そうやって生きてきたじゃないか。「無」だ。「無」になるんだ。無を観じ、自分が無そのものとなり、無の観念の彼岸に到達した上で、さらにそこから走り続けるんだ。解脱は近い。
——隣の空気が揺れ流れ、木の椅子が呻いた。目を開けなくとも、私の目の前をつるピカ頭が通ってゆくのが分かる。私の卑小な自尊心が充足され、仮構した勝利の愉悦と解放の予覚に包まれた。あとはこの禿頭席から静かに立ち上がり、英国紳士風のギャラントリーを木の床に対しても発揮して、音を立てずに、優雅な身のこなしでサウナから滑りぬければよい。
 などと考えているのは、朧な意識のちんちくりん頭なのである。英国紳士なぞ望むべくもない。王様はサウナで自分の裸体に気付くだろう。

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