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君に、君らしくいてほしいから。【藤島慈誕生祭2023】

©プロジェクトラブライブ!蓮ノ空女学院スクールアイドルクラブ


藤島慈ちゃん、誕生日おめでとう!


ハロめぐー!全国5000万人のめぐ党諸君。もとい、蓮ノ空のこと好き好きクラブの皆さん。
時は来た。蓮ノ空女学院スクールアイドルクラブ102期生、蓮の大三角かわいい座の一等星、そして我らが『めぐ党』党首である藤島慈を更なる高みへ連れていく時が。
さぁ、希望の未来へオンユアマークする準備は出来ているか?

12/20は僕の推しである蓮ノ空女学院のスクールアイドル、藤島慈の記念すべき誕生日ということで、活動記録本編が全然それどころじゃない雰囲気になっているのは置いといて何か記事を書き残しておきたいと考えた。
そこで今年は、めぐと過ごしたこの一年を振り返り、その間に僕が考えてきたことを書き留めておくことにした。
過去の記事と比べるとかなり自分本位で、備忘録のような内容になってしまっているが、温かい目で見守ってくださると嬉しい。
(過去の記事を読んでくださった方はありがとうございます!励みになります。)

※一部、アプリ「Link!Like!ラブライブ!」内の活動記録・配信などのネタバレを含む場合があります。


『邂逅』

推しとの出会いというのは、必ずしも劇的なものであるとは限らない。例えば、ソーシャルゲームで最初に引いたSSRがそのまま推しになったとか、好きな声優がCVを担当していて気になったとか。しかし、そんな小さなきっかけから出逢ったキャラクターがかけがえのないない推しになることがある。

僕と藤島慈の場合はこうだ。

「えっ!?」

「誕生日同じじゃん!」

人間は至極ちょろい生き物で、何か1つでも共通点が見つかれば、それが相手への好意や仲間意識に繋がる。「誕生日」という年に一度しかない特別な日が共通しているという強いつながりは、存在するだけで「あっ、好き〜」となってしまうのである。

「俺、『ニセコイ』の一条楽と誕生日同じなんだよね」というネタ一本で飲み会の誕生日トークを乗り切ってきた僕にとって、推しと誕生日が被るというのは少し羨ましく感じることだった。なんせ僕の周りには、あの虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会が誇るCutest♡ガールである無敵級にかわいいスクールアイドル・中須かすみや、「黒い死神」と呼ばれる闇文明使い・黒城凶死郎と誕生日が同じ奴までいるのだ。ズルすぎる。「俺、黒城凶死郎と誕生日同じなんだよね」の一言でどれほど多くの90年代後半〜00年代前半生まれの男から笑いが取れると思う?まったく甚だ許せない話である。何の話?

ということで、僕と藤島慈は偶然にも生まれた日が同じだったのであった。そんな些細なきっかけで邂逅したスクールアイドル、藤島慈に対する僕の第一印象は「独創的な世界観を持つゆるふわ系お姉さん」であり、当時は「うーん……あんまり自分に刺さるタイプのキャラではないかもな……」などと考えていた。(今振り返れば、この第一印象はかなり的外れなものだったことがわかるのだが)

蓮ノ空にはいないのだろうか。
例えば虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会の中須かすみのように、そのあざとい性格から不憫な目に遭うことは多くても、優しさと自分の『かわいい』に対する誇りを持っていて、それを見せるための努力は惜しまないような。
例えばLiella!の嵐千砂都のように、幼少期から変わらない大切な人への思いを胸に、自分自身の弱さも、一緒にいたいという本音も隠して、誰かの力となるために一意専心努力し続けられるような。

そんなことを考えながら読んだ活動記録第3話幕間。

電流、走る

「あっ、好き〜〜〜」

はい。ということで僕は藤島慈のことが大好きに決まっていたのである。

自分の『かわいい』を武器に配信活動を行い、スクールアイドルクラブの応援を続ける彼女。しかしその姿には、どことなく陰りが見える。しかも彼女には、カリフォルニアに留学中の、小学校の頃からの幼馴染がいるという話ではないか。そんなもの、2人の間にはとてつもなくデカい感情が隠されているに決まっているではないか!(白昼堂々妄想中

藤島慈のことがもっと知りたい。しかし当時、スクールアイドル活動を休止していた彼女の出番は、この幕間以外にはほとんどなかった。とにかく情報がない。なんとかならないものか。5月中旬、やきもきする僕のもとに、ある配信の告知が投下された。作中でも存在が示唆されていた、藤島慈の個人配信チャンネル『ハロめぐチャンネル!』である。

なるほど。確かにYouTubeであれば『スクコネ』とは違って、活動休止中でも個人のチャンネルとして配信ができるし、出番がない状態の中、藤島慈のことをより深く皆に知ってもらう良い機会でもある。
そうと決まれば大チャンスだ。こちらも、一挙手一投足を見逃さず、彼女がどういう人間なのか理解させてもらおう。

僕はただ「かわいい〜」と言うだけで終わる男ではないぞ。
さぁ、かかってこい!藤島慈!

「みんな、ハロめぐー!」
















終わった。可愛すぎる。なんなんだこの可愛すぎる生物は。可愛すぎて1回視聴しただけでは藤島慈が可愛すぎるということしかわからなかったぞ……
これが全国5000万人の党員を持つ『めぐ党』党首の求心力なのか……

いや、終わりではない。きっと始まりだったのだ。
この先どこまでも続く、愛とときめきに満ちためぐ党ライフの​────


『葛藤』

そこからは、吸い込まれるように藤島慈に落ちていった。

決定打は、やはり蓮ノ空の活動記録において最大級のスパイクを見せたともいえる、活動記録第10話『ルリめぐ・ファンファーレ』だ。
物語の鍵となる大沢瑠璃乃の加入をフックに、幼馴染である2人の過去が明かされていく。幾度もの衝突を経て紡がれていく2人の切なくも美しい想いの終着点、そしてこれから始まる奇跡の始発点でもある『みらくらぱーく!』のステージには、思わず涙してしまった。いやもうマジで涙が止まらなかった。マジと書いて本気である。

藤島慈、そして『みらくらぱーく!』に心を奪われた瞬間であった。

藤島慈が好きだ。

瑠璃乃を悲しませまいと心にもない言葉で突き放した後、梢と綴理の前で諦めきれないステージへの想いを吐露する藤島慈が好きだ。

仲間のことをよく見ていて、器用なのに不器用な優しさで綴理の背中を押してくれた藤島慈が好きだ。

遠くへ行く瑠璃乃のため、途方もない努力を隠しながら、可愛くてかっこいい自分の姿を見せ続けた藤島慈が好きだ。

しかし、蓮ノ空というコンテンツの特性を深く理解していくにつれて、藤島慈を推す上で、僕の中に少しの後ろめたさが生まれるようになった。

以前書いた記事でも触れさせてもらったが、蓮ノ空が他のコンテンツと一線を画している点は、その「リアルタイム」性にある。我々が過ごす『いま』と彼女たちが過ごす『いま』が同期することで、我々は彼女たちを本当に実在するスクールアイドルであるかのように応援することができる。

この「リアルタイム」という特性は、我々に与えられた「スクールアイドルのファン」という役割を、他のシリーズより一層色濃く顕在化させる。そして、我々がこの役割を徹底するとするのならば、蓮ノ空のスクールアイドルたちには、活動記録をはじめとして、我々からは見えない姿が存在するはずなのである。

これは友人に「盗撮犯の机の上」と称された僕のリンクラプロフ
いや言いたいことはわかるけど酷すぎるだろ

少しだけ、別コンテンツの話をさせてもらう。僕はかれこれ10年以上、『アイドルマスター』というコンテンツを応援している。このコンテンツで我々に与えられている役割は「プロデューサー」である。我々の役目は、個性豊かな担当アイドルをプロデュースし、トップアイドルへと導くことだ。そのためには、担当アイドルが外には出さないようなプライベートやもう一つの顔、苦悩や弱さを理解し、アイドルとの二人三脚で仕事に取り組んでいく必要がある。それ故に『アイドルマスター』において、「アイドルがファンには見せない姿」というのは、プロデューサーである我々にとってはむしろ「面と向き合う必要性がある姿」でもあることが多いのである。(もちろん、自分に「アイドルのファン」という役割を与えて楽しむ人もいたりする。大前提として、コンテンツの楽しみ方は自分次第であり、自由であることには留意しておきたい。)

『アイドルマスター』と『蓮ノ空』は、与えられる役割の違いによって、ロールプレイにおいて知っているべき情報、もとい、知らないべき情報に差があるといえる。

例えば、活動記録を読んだ我々は、大沢瑠璃乃の『充電』についてもちろん知っている。しかし、With×MEETSを「実在するスクールアイドルのファン」として見るのなら、我々は、瑠璃乃が活動記録の中でのみ見せたその事実を知っていてはいけないのである。だからこそ、配信内では瑠璃乃が我々に『充電』についてカミングアウトし、我々はそれを知らない体でコメントする必要があった。

といっても、それが悪いことであるとは全く思わないし、蓮ノ空では、僕を含め「実在するスクールアイドルのファン」という役割をロールプレイするユーザーがとても多いように感じる。こうした流れは、蓮ノ空が生み出す「リアリティ」と「役割の顕在化」が強烈かつ魅力的であることを示していると思う。

しかしそうなると、僕にとってはある問題が発生するのである。
それは、藤島慈というスクールアイドルが我々に、意図的に見せないようにしている一面があることだ。彼女が好きな自分自身の姿、そして我々に見せたい姿は「難しいこともそつなくこなすかわいくてかっこいいめぐちゃん」であり、「理想と現実の差異にもがき努力を続ける藤島慈」ではないのではないのだろうか。

では、「藤島慈がファンに見せないようにしている姿」に心奪われた僕は、何者であるべきなのか?

正直、「それはそれ、これはこれ」と割り切ってしまえばよいのである。というか、97%ぐらいの蓮ノ空ファンはそれが自然にできていると思うし、僕が少し特殊なタイプなだけかもしれない。しかし、生まれてしまった疑念は、簡単には払拭できないほど自分の中で大きくなってしまっていた。一時期は、「蓮ノ空は箱推しで、便宜上推しはめぐにしてる」とか言い出してしまう始末だった。推しは便宜をはかるために作るものではないだろうが……!(箱推し自体は心の底から本音でもあるが)

葛藤していた11月、僕のもとに到着したのは、ついに発売されたみらくらぱーく!1stシングル「アイデンティティ」であった。後にこの一枚が、そんな葛藤を笑い飛ばしてくれるような最高の一枚となるのである。


『願い』

「アイデンティティ」は、Fes×LIVEで披露されてからCD音源が発売されるまで、2ヶ月ほど期間を要した楽曲だ。大好きで、ライブビデオを繰り返し繰り返し、歌詞を覚えてしまうくらい視聴した。

つまり、僕にとってはもう聴き慣れてしまった楽曲でもある。
それなのに発売後、「アイデンティティ」の歌詞カードを見たとき、僕は何故だかありえないくらい泣いてしまったのである。先述した悩みがあったからなのか、みらくらぱーく!のことを好きすぎるだけなのかはわからないが、とにかく心の臓にぶっ刺さって抜けなくなってしまったのである。

楽曲のタイトルでもある「アイデンティティ」という言葉は「自己同一性」とも呼ばれ、「自分が自分であるという感覚」、そして「自分が他者や社会から認められている感覚」という意味を指す。

では、藤島慈にとっての「アイデンティティ感覚」とは何なのだろうか?それは「360° 私が好きな私でいること」だと考える。配信やスクールアイドル活動を通して、「藤島慈が大好きな、藤島慈」を見てもらう。それがひいては他者からの肯定、そして自己肯定へとつながる。
彼女はそのためならば努力を惜しまない。かわいい笑顔もかっこいいダンスも、大層な夢も、報われない努力でさえも、全部ひっくるめて藤島慈が大好きな藤島慈であるための「アイデンティティ」なのである。

歌詞カードを見ながらそんなことを考えていたら、僕の中で何かがストン、と落ちる音がした。
ひょっとして僕は、何か盛大な勘違いをしていたのではないか?

藤島慈が我々に見せる姿と見せない姿を、気付かぬうちに彼女の二面性のように捉えてしまっていたのかもしれない。彼女はいつだって等身大の『自分らしさ』を見せようとしていた。それなら、そこに裏表はないのである。
藤島慈の抱いてきた理想は、決して簡単に実現できるものではなかった。でも、だからこそ、彼女は誰よりも努力する。スクコネの月間MVPだって、TVに出るような子役のオーディションだって、いくら自分と乖離した目標でも、ノンフィクションにしてしまう。そうなったら、それはもう藤島慈がなりたい藤島慈自身で、彼女の「アイデンティティ」になるのである。

だから多分、僕は「もがき苦しみ努力する藤島慈の姿」が好きだったんじゃない。「藤島慈が『藤島慈』であろうとする姿」が好きだったのだ。

藤島慈が我々に見せる姿は、彼女が自分らしくあろうとした過程の結晶である。だからこそ、「藤島慈が自分らしく活動する姿を応援すること」、それは「藤島慈が大好きな自分であろうとするために、もがき苦しんだ努力を肯定すること」でもあるのかもしれない。

結局、一番で最高のめぐ党は大沢瑠璃乃なのだ

とっくの昔、僕が『みらくらぱーく!』に心奪われたあの日に、既に答えは貰っていたのだった。

正直、これが正解であるのかはわからない。というか、根本的な部分は全然解決していないような気もする。だが、こう思えた時、僕はやっと「やっぱりめぐが推しです」と胸を張って言うことができた。だったらきっと、これは僕にとってこれ以上ない答えだったのだと思う。

今の僕が推しである藤島慈に求める、ささやかで、ありふれた願いはたった一つだ。

『君に、君らしくいてほしい』

「世界中を夢中に」という藤島慈が掲げた夢は、果てしなく遠く険しいものかもしれない。だが今、彼女の隣には大沢瑠璃乃がいる。みらくらぱーく!の2人ならきっと、馬鹿みたいに大きな夢もノンフィクションにして見せてくれると信じている。

小さな炎が太陽よりも誰かを照らす、そんな奇跡みたいなノンフィクションを。

がんばれ、めぐ!
世界中のみんなが君を応援しているよ!


『そして、生誕』

うおおおおおお!!
もう一度行くぞー!!(せーの!!)

めぐちゃん、誕生日おめでとう!!

さて、本日20:30よりスクールアイドルコネクトにて、親愛なる我らが党首、藤島慈の生誕祭が執り行われる。我々が日々贈り続けてきた愛、そして彼女が与えてくれた愛。今こそそれを結集させ、藤島慈を最高にかわいくてかっこいい17歳へと昇華させる時だ。

昨年は竜胆祭の怪我や沙知先輩との一件もあり、藤島慈にとってはきっと心穏やかなだけの誕生日ではなかったんじゃないかと思う。
それが今年は見てくれ、この幸せそうな笑顔とダブルピースを。もう配信する前から既に可愛すぎる。102期生の間のわだかまりは解消し、花帆とさやかという新しい仲間も加入、さらに最高のめぐ党である瑠璃乃が到着し、もう一度ステージで踊れるようにもなった。あとはラブライブ北陸予選に向けて前進あるのみ。
さあ諸君、宴の準備だ。我らが党首のテンションを大会に向けて最高潮にするためにも、この生誕祭は盛大に祝われなければならないのだ。

そう、盛大に祝われなければならないのである!




で、ネットが禁止になったワケ(違う)

活動記録を読んでいる皆さんはご存知の通り、今、蓮ノ空女学院スクールアイドルクラブは絶体絶命の危機に瀕している
藤島慈の生誕祭に限らず、今月のFes×LIVE、しまいには蓮ノ空のスクールアイドルコネクトそのものが失われようとしている。4月から続いてきた彼女たちと我々のつながりが、ラブライブ北陸大会を前にして、道半ばで途切れてしまうのだ。

蓮ノ空のみんなが応援する僕らの存在と繋がりに感謝してくれた、肯定してくれた場所を失わせてなるものか。きっと、蓮ノ空のみんなも同じことを考えているはずだ。

日野下おこである

ということで、ここまで僕のめぐに対する考えや想いの整理を行ってきたわけだが、正直、今回記事を投稿するかは直前まで非常に悩んだ。だってこの状況、絶対自分のことをうんたらかんたら語っている場合ではない。もっと蓮ノ空の力になれることをしなければ!

しかし非情なことに、この状況に対して、我々にできることはほとんどなかった。たった1つの繋がりを一時的に失った今、蓮ノ空女学院の内情を解決できるかは彼女たちにかかっている。我々にできる一番のことは、蓮ノ空のみんなのことを信じて、今までと変わらず応援し続けることなのかもしれない。

そう思った時、じゃあやっぱり記事は投稿すべきだなと思った。僕にそこまでの力があるかはわからないが、今までと同じように、蓮ノ空を盛り上げるために準備してきたものを提出するべきなのだ。
そうして出来あがったのがこの記事である。ここまで長文にお付き合い頂き本当にありがとうございます。

我々の想い、蓮ノ空のみんなの想いと、その尽力が紡いだ結果は、数時間後に明らかになるだろう。自分の誕生日(めぐの誕生日)がここまで楽しみで、同時にここまで胃が痛くなったのは初めてだ。これも全部めぐちゃんのおかげ。

それでは皆さん。本日のWith×MEETS『藤島 慈 生誕祭!!』でもう一度お会いできることを祈る。

バイめぐー!


追記(2023/12/20 21:30)

良かった。本当に良かった。

仲間たちに褒められて、甘やかされて、たまにぞんざいな扱いをされながらも(慈、出てきなさい)、楽しそうにはしゃぐめぐ。
これが見たかった。めぐが幸せな笑顔を見せてくれる。
それだけで我々は……

正直レンタルスペースを使えるというのは全然考えていなかった。自分が同じ立場にあったとしたらすぐ思いつきそうなものだが、感情移入しすぎてめちゃくちゃ視野が狭くなっていたのかもしれない。
案の定ネット禁止の件については触れられていなかったが、めぐがレンタルスペースを取った理由としてネガティブな理由を感じさせなかったのが素晴らしかった。むしろめぐのエンジェルホワイトで構成されたこの部屋を使うことは、最初から必然だったんじゃないかとすら思える。ドン詰まりこそ笑顔見せてなんのその。ダメなところも武器に変えるのが一人前のアイドル。もう流石としか言いようがない。好きだ、めぐ……

17歳になる上での抱負も話してくれた。「世界中を夢中に」という目標はまだ道半ば。でも、瑠璃乃と一緒に必ず実現してみせると。藤島慈はやると言ったらやる。我々はそれがフィクションでは終わらないことを知っている。めぐとるりが本気を出せば限界なんてちょちょいのちょいなのである。

これからが楽しみで仕方がない。来年も彼女の誕生日を祝えることを切に願う。

幸せな一年にしてね。

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