見出し画像

無題

これは、自己満足の、届かない恋文のようなものだ。
なので、タイトルのつけようがない。よって、無題である。

先日、私の大好きな落語家さんが亡くなった。桂歌丸師匠だ。

私は普段テレビを見ないので、Twitterでニュースが流れてきて、それで知った。すうっと背筋が凍るような感じがした。震える指でニュースのサイトに飛んで、誤報ではないことを確認した。

大好きな師匠が死んでしまった。

落語にのめりこんでいたのは1、2年前くらいで、今の私はあまり寄席にも行っていないし、笑点も毎週見るというほどではない。全力で追いかけすぎて、疲れてしまって、少し休憩していた。

それでも、8月には、毎年恒例の怪談が聞けるだろうかと期待していた。
もし好きな怪談だったら、聞きに行きたいな、と思っていた。

数年前から師匠は入退院を繰り返していて、ちょうど落語にドハマリしていた時期の自分は、師匠の入院のニュースを聞くたびに心配していた。
しかし、あまりにも入退院が多いので、だんだん慣れてしまって、入院の報道を受けても「今回はいつ退院かしらん」と、元気に戻ってくるのが当然だと受け止めるようになっていた。

師匠方も師匠方で、「趣味は入院、特技は退院」などとネタにしていて、いつ倒れてもおかしくないのは見ただけでわかるほどに痩せてしまっているのに、なぜか「なんだかんだで長生きしてくれる」と思わせる、そんな力があった。

でも、人はいつか死ぬ。
それは師匠も例外ではなかった。

訃報を受けて、泣いた。
不謹慎ながら、身内が死んだときよりも泣いた。

一方で、自分がなぜ、こんなにもショックを受けているのか、全くわからなかった。熱狂的なファンの時期は卒業したはずなのに。最近は寄席にも行かなかったくせに。なんでこんなに涙がでるんだ、と思った。

喪失感。
これが一番ぴったりくる言葉のような気がした。

歌丸師匠は、私にとっての「大好きな噺家さん」というだけではなくて、日本の”おじいちゃん”であり、落語の世界の偉大な人だった。

師匠の落語を聞いたことのない人でも、笑点を一度見ただけの人でも、多分、「えっ、あのおじいさん、亡くなってしまったの」という寂しさがあるのだろう。実際、Twitterにはたくさんの追悼文が溢れていた。

それが私の感じる、大きな喪失感の理由だ、と思った。
私だけが失ったんじゃないから、余計に寂しいのだ。

芸事の世界の人が消えると、その芸も二度と見られなくなる。

もちろん、DVDやCDの記録は残る。
私は師匠の『真景累ヶ淵』を観ようと思えば、DVDで再生できる。

でも、もう師匠の生の落語は二度と聞けない。
師匠の、マクラから噺にはいっていくときの、一呼吸おくところを見ることもない。私は、あの瞬間がたまらなく好きだった。師匠の落語のリズムが大好きだった。師匠の流れるような所作が大好きだった。

私は幸いにして、師匠が元気なうちに落語を好きになれたので、師匠の『紙入れ』『竹の水仙』『牡丹燈籠』『江島屋怪談』など、様々な演目を見ることができた。だから、「もっと見に行けばよかった」という後悔はない。燃え尽きるまで見に行った。全力で師匠の落語を愛した。

師匠の落語はお弟子さんや、他の落語家さんが継いでいる。それはわかっている。だから、師匠が亡くなったからといって、師匠の落語の全てが失われるわけじゃない。師匠の『おすわどん』も『ねずみ』も、寄席に行けばきっと聞ける。

それでもやっぱり、寂しいものは寂しい。特に、笑点メンバーや、お弟子さんたち、師匠の親しい人たちのコメントを見るたびに、涙が何度でも出てしまう。本当に大きな存在だったんだなあ、と思う。

今年は、久しぶりに寄席に行こう。独演会も良い。
大好きな噺家さんが生きているうちに、たくさんその人の落語を聞きたい。

歌丸師匠、本当に、本当におつかれさまでした。
どうか、ゆっくりお休みになってください。

サポートしていただけると心身ともにうるおいます(主にご飯代にさせていただきます)。ここまで読んでくださってありがとうございました!