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物件ファン掲載

前夜の夜中まで 補正や名前のボカシ修正をした写真をやり取りしてもらった。
物件ファン編集部は、本当に根気強く 熱意と親切をもって、損得を越えたプロの仕事をしてくれる編集部だった。

アップ当日である今日、24日も最後までテキスト調整のやり取りで、
兵庫医大の抗がん剤と歯科医院の 手術後のインプラントチェックへの出発がすっかり遅れてしまった。 今日は私の『病院納め』の日だった。

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これが 私のここ8ヶ月の家の資料と記録を集めた集大成になる。

東京の町工場。

庶民の生活は 探そうとしても 資料としてあまり残らない。
あまりに日常に溢れていて 本人たちが 資料的価値を見出さないまま、 記録に意識的に残されることもなく自然に消えていくのだと思う。

だから私がやろうと思った。
好きではない家だったけれど 消えてしまえば もう何も残らない。
誰かがやるべきだと思った。 私がやるべきだと思った。 ここで生まれ育った 私しかできないと思った。

何度も訪問して、 それぞれ 何日もかけて、あらゆる時間のあらゆる角度から 家の写真を撮った。

戦後すぐのモノクロの古い写真や、
現段階の古びた看板などは
東京から運んで来て大阪で撮影した。

あの不眠不休の ぶっ続けの飲まず食わずの作業はもう二度としたくない。

家の残置品の整理も、掃除ももう二度としたくない。 
最後は這いつくばって土間まで雑巾がけした。
脚立から落ちて髪の毛が抜けたためその場で裁ちばさみで長い髪の毛を切り落とした。
週に2回夜行バスで通った。
着替えを持って行く余裕がなかったのでツナギを着たまま最後は寝袋で寝た。
冷たい味噌汁を素手ですくって食べたことは一生忘れない。 これも二度としたくない。
今年は二度としたくないことの連続だった。

私一人でやった。

びっくりするほど他人は手伝ってくれないものだ。
でもプロが手伝ってくれた。
お金が一番頼りになった。
他人には全く頼りにならない、口だけだった。

お金で動いてくれるプロだけが、唯一にして一番力になってくれた。


残置物は4時間ぐらいだったか、 2回に分けてからのべ時間にすると5時間か6時間だろうか。

お金が全てではないけれど 
全てのものがほとんど お金で 解決できる。
少なくとも良い方向へ持っていくことができるとさとった。

お金はものすごく大切だ。

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私の担当の不動産屋は 解体ありきで土地の価値しか見ていないため 、 最初から建物を売るつもりはなかった 。

あれだけ大阪に帰る前にどうか ダンボールが撤去された後に敷いてあるであろう ブルーシート だけはどけて写真を撮ってくれと 何回もお願いしたのに 

ブルーシートが引いたままの写真だった。

屋根裏の写真もなかった。

どうしてないのか質問したら
問い合わせてくれた人だけの サプライズですと言われた。

どうして子供でもわかるようなそんな見え透いた嘘をつくんだろう。

夜景の写真も入れてくれると約束していたけれど 全くスルーされてしまった。
本当にどうでもいいんだなと思った。


でもそれがこの不動産屋の 使い方なんだと思った。
この私の 担当の 不動産屋は とにかく高いお金で この家と言うか土地を売るというのが一番得意な仕事なんだ。

そこには情緒も何も必要なくて ただ高い契約を取ってくると言う 役目があるだけだった。
そしてそれは十分に果たしてくれた。
だからそれは適材適所でいいんだ。

ただ、 その場その場で適当に ごまかしや嘘を 私に対してつくんだったら、
最初から「不動産屋的には建物には価値がないので、建物の写真は それほど重視しない。でも 土地を建売業者に高く売ります」と言ってくれた方がずっと 人間として気持ちが良かった。
結局人間対人間だもの。

そう聞けば私は納得できた、
その場その場で バレバレの嘘や ごまかされたのが
私は馬鹿にされているようで とても悲しかった。

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記事はクリスマスイブの夜10時にアップされた。
偶然だけど最高のクリスマスプレゼントだ。

初めて「東京の土地」ではなく、「家」自体にスポットが当たる。
町工場の歴史というものが少なくともこのアーカイブに残る。
ものづくりを忘れた国は衰退していく。
今の日本の礎となった 名もない先人たちの 血と汗と涙の結晶の上に現代の私たちはいる。
それを忘れてはならない。

私たちが生まれた頃はもう既に日本は豊かな国だった。
だから忘れてしまいがちになる。

そしてこれからは 衰退していく国になるだろう。

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実家を売ったお金で 一番最初にすることは墓じまいだ。
ここまでが私の仕事だ。
墓じまいを終わらせてやっと一段落だ。

お金はほとんど残らない。 税金や手数料や測量費用引っ越し費用残置品処理その他もろもろ、 私が田舎の500万から900万ぐらいの予算で
古い家を購入したら、 ほとんどなくなってしまう。

お墓も建物と同様 改築して 徐々に綺麗にして今の形になった 。

その墓を更地にして、お坊さんにお経をあげてもらう式をして 
お骨とお位牌を永代供養に出す。 ウチのお墓は無くなる。 私自身は無縁仏でも何でもいい。
どうせいつかは全ての人が無縁仏になるんだし(笑)

でも私が生きてる間は やっぱり出来るのなら ご先祖様だけは 永代供養にしておきたいと思う。

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この記事はお墓代わりの墓標、いや道標になる。

こうやってみると私は家の事を何も知らなかった家の 形もあまりにも慣れ親しんでいて物件として見たことがなかった。

東京でさえなかったら ここを直して住むという方向性もあった。

私は筋金入りの物件ファンファンだ。
そこに自分の家の記録が東京の下町の町工場 の1資料として
アーカイブとして残るのは本当に嬉しい。

もう抗うつ薬も 抗不安薬も 効かなくなってきて 不安と恐怖と 緊張感で手足が震え続けるようになっている。

心臓がいつも緊張状態でバクバクいってる。

身体中バキバキに凝っている。
肺にうまく息が入らなくて、
息苦しい。

もう完全にうつ病をこじらせたという自覚がある。

朝が一番絶望感で辛い。

生きているということは苦しみの連続だ。
うつ病が治ればこの認知の歪みが治るのだろうか。
苦しみの連続だけど死ぬよりはずっと良い。
私は死にたいと思ったことはない 。
楽になりたいだけだ。

とにかく記録を残したと言う ひとつやり遂げた感があった。



ストレスレベルが大体50から60の間。
最高で68。

なんだこれは。
平均睡眠時間が2時間から3時間。

もう本当に本気でどうにかしないと、体の前に脳みそがぶっ壊れてしまう。 
うつ病と認知障害がひどい。 
どんどん 判断能力や 記憶力が が悪くなってる自覚があるから余計怖い。

でも今年の不動産関係の仕事はまだ終わってなくて、
月曜日に大物がまた入っている。

付き添ってもらう不動産屋さんにガソリン代と高速費用とプラス 1日の 拘束する 料金をお支払い しなければいけない。

信用できる不動産屋さんの存在というのは本当にありがたくてありがたくて 手放したくないけれど 1回内覧すれば1~2万単位でどんどんお金が飛んで行く。
今回は 高速とガソリン代が入るから 3万円ぐらいは払わなければいけないと思う

もう本当に本当にお金がない。 
もう無理だと思うけれど ここを削ったら一生後悔するから何が何でも絞り出さなければいけない。

昨日からもう一つ新しい仕事を始めた。

時給は200円 だけど在宅でできる副業になってくれると思う とにかく1円でも多く お金を稼がないとお金がない。

熱帯魚の飼育だ。 難易度の高い子が来た。 ヒレがちぎれているボロボロの子だった。
最高の飼育環境にしてくつろいでいただくことにする。



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