書留書溜#6

世界平和 について考えた。
ただ、行き着いた結果は結構なディストピアになった。

どういうことかと言うと、人道主義的な考えや行動では、世界平和って行き着けないものだろうって気がした。

真の世界平和は、個人主義からしかなり得ない。しかも、某アメリカ的な「お前のものは俺の物だーい。ぼ~え~♪」的なものではなく、他人との交流や期待を一切排除した、塞ぎ込んだ完全お一人様主義。
もうね、世界のどこの国が貧困で大変。でも、某国の刈り上げ頂点真っ平らな人が「水爆作れちゃうんだよ!てへっ」と言おうが、強風吹いたら頭が大変な某国大統領が「油と利権のためならでっち上げてでも他国攻めちゃるわー!世界警察やでー!」とまくしたてようが、

個人主義で周囲に無関心。しかも、全世界がこんな人だけの世界。

にならないと、世界平和って無理なんだなー。と。
いま世間では、地震があったり、事件があったり、キスしたり、文章偽装したりといろいろやってるけど、ぜ~んぶ「こんなことしてる自分すごくね?みんな注目しちゃってね?」的な、他人があっての自分が大事、で大好き。なわけだと思うんですよ。

だから、上下関係やらメンツがどうの、忖度があっただの無かっただの、と人の目が気になって仕方がない人が増えちゃってる。で、そういうのが増えると妬みが生まれる。関係ないニュースやらなんやらで聞きかじった人だって、さも自分の生活に影響が出ちゃった的に騒ぎ攻め立てる。

みーんなすごい偉い批評家で、聖人君子。
だから、悪いことは正し、責たて、追い回し、叩きまくり、拡散し、ほじくり返し、責め立て追い込む。ってのを100セットやってるような状況だと思うんですよ。今って。

聖人君子は追い立てないと思うんだよね。
生きてりゃ後ろめいたいことや、人には言えないちょっと悪いことや嘘なんてものはいくつかあるんだと思うんだけどね。

それが些細であっても、責め立てられ、しつこく追い回されれば反論反撃もしたくはなるだろう。
何かの行動は、残念ながら嫌味(仕返し)などの争いに発展するわけです。

今って忘却か戦闘かのの二者択一状態だと思うんです。
そんな世界で「世界平和」って言ったところでなんの意味もない。

寄付だって援助だって素晴らしい行動だけど、いつも違和感を感じるんだよな。

二日間に分けて書いたけど、昨日書いてる文が寝落ち寸前で書いてるから、いつも異常に無駄ループな駄文。
でもおもろいし、脳内ダダ漏れだからそのままにしてます。

GWなのに、思考は暗いままだ。どーしたもんかねぇ。

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