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ゼロヨン、セコイア、朽ちたベンチ

「何やってんだお前は!」
 
その日、社長に怒鳴られた。
いや、正確には「その日も」だ。
 
新潟の学校を出てから俺は、埼玉にある伯父が経営する
会社に就職した。
いくらでも稼いで好きなものを買えばいいと、
いい話ばかりされてここに連れて来られたが、
蓋を開けてみると7万円の給与で
会社の3階に住み込み、昔でいう「丁稚」のようなものだった。
 
「もう一度得意先を回って来い!」
 
俺はパンフレットがどっさり入ったバッグと
メットとカッパを鷲づかみにして、原付のキックを蹴り下ろした。
営業所のみんなは営業車を与えられていたが、
「お前ごときを乗せる営業車はない」との事で、
俺は蚊トンボみたいな安い中古の、まさに原動機の付いた自転車で
得意先回りをしていた。
 
(こんなはずじゃあなかったなぁ、、)
 
俺は隣に並んだ車にも邪魔にされながら、
炎天下で真っ白になった交差点で青信号を待っていた。
 

タカマツ「10、20、、、わー!今日は100人はいるぜ!」
 
ワタル「そんないるワケねーだろバーカ!」
 
俺「歩道橋が落ちるっつーの!」
 
この片側3車線あるバイパスは、土曜の夜ともなればどこからともなく
「ギャラリー」と呼ばれる見物人たちが歩道橋に集まり、
俺たちの走りを見ては日ごろの鬱憤を晴らす。
そして俺たちもこの1週間のうちに溜まり溜まった鬱憤を、
400メートルの中でだけ許されるロケットのような加速で揉み消す。
 
「フォン、オン!」
 
軽くアクセルでギャラリーに挨拶をする。
ギャラリーはみな両手の拳を夜空に向かって振り上げ、歓声を上げる。
 
タカマツ「今日は足立からソアラが来るってさ」
 
ワタル「へぇ、何しに?」
 
俺「ここはクルマの来るところではアリマセン」
 
そう、俺たちはまるっきり四輪を侮蔑していた。
その夜は特に車が多く、俺らバイク乗りにとっては走りにくい夜だった。
 
ワタル「四輪ばっかで今日はダメだな」
 
何本か走った後に、俺たちは歩道に足を投げ出し、
我が物顔でホイルスピンをする四輪を眺めていた。
 
「スキュッ!ガッッ!ジャーーーーッ!!」
 
その時だった。1台のバイクが車と接触し、転倒した。
バイク乗りは火花を散らしたバイクと
20メートルほど一緒にアスファルトの上を滑った。
 
俺「なんかアイツ変だな」
 
ワタル「足いっちゃってんじゃねーの?」
 
バイク乗りは追越車線で上半身を起こしたが、
なかなか立ち上がれずにいた。
 
タカマツ「やばい、轢かれちゃうよ」
 
俺「この車が行ったら、渡ろう」
 
猛スピードで流れる車が途切れるのを俺たちは焦りながら待った。
 
「キュィィィィィィン!!」
 
「!!」
 
「そこの人たち、解散しなさい!」
 
パトランプを回しながら、パトカーが近づいてきた。
俺たちはホっとした。
 
警察官「何をしとるか!解散しなさい!」
 
警察官がパトカーから降り、近づいてくる。
 
俺「お巡りさん、あそこの追越車線でバイクが事故って、バイク乗りが、」
 
警察官「うるさい!解散しろ!!」
 
俺「!?」
 
俺「いや、だって助けないと、」
 
警察官「聞こえんのか!?」
 
警察官と押し問答をしている間にいつのまにかギャラリーに
取り囲まれていた。
一触即発、緊迫した雰囲気が張り詰め、あまりの緊張から
バイパスを走る車の爆音すら聞こえなくなっていた。
 
「ドムッッ!!」
 
「!?」
 
その音は、張り詰めた糸が切れる音だと誰もが思った。
ギャラリーのひとりが、パトカーに蹴りを入れた。
 
「やっちまえ!!」
 
誰かが叫ぶと同時に、ギャラリーはパトカーを取り囲んだ。
 
「せーのぉ!!」
 
ギャラリーはそれぞれパトカー掴めるところを掴み、持ち上げ始めた。
パトカーはゆっくりと傾き始めた。
 
「グワッキャン!!」
 
この漆黒の夜空よりも濃い黒のどてっ腹を見せ、パトカーは仰向けになった。
 
「シャーーーー」
 
潰れたパトランプの根本だけが、何かをかき混ぜるように高速で回っていた。
 
警察官「こちら、、、応援を、要請、、」
 
パトカーがひっくり返される前に助手席から逃げ出したもうひとりの警察官が
肩に付けた無線機に向けしゃべり始めた。
ふたりの警察官はどちらも中腰になり、ゆっくりと後ずさりし始めた。
その右手は拳銃を下げたホルスターにかかっていた。
 
俺「お、おい、逃げよう」
 
俺たち3人は殺気立ったギャラリーの塊の中を静かに通り抜け単車に跨り
キーを回すと同時にセルを押す。
 
俺「捕まんなよ!」
 
あちこちからパトカーのサイレンの音が聞こえる中、無我夢中で走った。
どうやって帰ったかは覚えていないが、深夜に鳴った電話で
それぞれの無事を知った。
 
当時は日本の企業は土曜日まで仕事があり、「半ドン」と呼ばれる
午後休暇が当たり前だった。
半ドンで仕事を終えた俺とワタルは、昼メシを買う金もなく、
部屋で寝転んで、時折窓から出ていくタバコの煙を眺めていた。
 
俺「あれからあそこ(ゼロヨン)、行ったかぁ?」
 
ワタル「そうそう、土曜の夜は機動隊のバスが停まってて、もうムリ」
 
俺「そっかぁ」
 
チャイムが鳴り、3階の窓から入口を見下ろすと、タカマツがいた。
 
タカマツ「マックだぜ~」
 
タカマツがハンバーガーを買ってきた。
 
俺「タカマツ、お前、顔、どうした??」
 
タカマツ「うん。先輩に生意気だって、やられちゃってね。。」
 
俺「何!?」
 
タカマツ「俺が、俺が悪いんだけどさぁ、あんなに大勢でこなくても。。」
 
俺「くそっ!」
 
俺たちはケチャップが染みて湿っぽくなったハンバーガーを
モソモソと無言で食べカーペットに寝転んだ。
 
ワタル「さいあき、」
 
俺「ん」
 
ワタル「いいことねぇかなぁ。。」
 
俺「ああ」
 
何もかもが脆弱で、将来を夢見ることなどとてもできない、
そんな時の流れの中で、俺たちは生きていた。
俺たちはまた、窓から出ていくタバコの煙を、いつまでも眺めていた。
 
それからひと月後、俺は会社を辞めた。
 
「新潟まで、自由席1枚。あ、いや、グリーン席1枚」
 
もうこの街に来ることもないだろうと思った俺は、記念にグリーン車を奢った。
 
「はぁ!間に合った!」
 
ホームで新幹線を待っていると、ワタルがビールを持って見送りに駆け付けた。
 
俺「ワタル、ありがとな。俺はもうここには戻らねぇよ」
 
ワタル「俺だって、こんなとこ。。絶対クニ(故郷)へ帰ってやる」
 
ワタルの故郷は、金沢だった。
 
ワタル「金沢帰ったらよ、バイクで日本一周してよ、そん時新潟に寄るから!」
 
ワタルは涙で潤んだ目で、吐き捨てるように言った。
続けて何かをぶちまけるように話していたが、
新幹線の自動ドアが閉まり、聞き取れなかった。
 
(またな)
 
動き出す新幹線のガラス越しに、俺はワタルに口パクで別れを言った。
 
グリーン車のドアが開くとその車両には企業のVIPらしき人がふたりだけ
背もたれを思い切り倒し、新聞を読んでいた。
 
「カシュ!」
 
俺も背もたれを思い切り倒し、ワタルからもらったビールを飲み、
流れるビルの景色をぼんやりと眺めていた。
 
 
事務員「さいあきさんも行くんですかぁ!?」
 
俺「あったり前だろ!関東本社はな、政策的業務をする社屋だ。
政策的な俺が行かなくてどうする!?」
 
2017年、秋。
俺の勤めている会社は関東は埼玉に進出、新たに社屋を建て、
俺はその人員に志願した。
開所、落成式、そして年末の繁忙期に続き、決算期と
落ち着く暇はなかった。
 
(政策的業務、かぁ。。)
 
先発隊の人数は思いの外少なく、また新潟からの応援体制も
日々薄れて行った。業務は増える一方だが手が足りない。
 
(くそっ!間に合わねぇ)
 
やることなす事後手に回り、俺は自信を無くしていた。
 
俺「所沢、行ってきます」
 
その日、仕事で所沢へ向かった。国道463号は、途中、北浦和を横切った。
その時、かすかに記憶にある風景を見かけた。
 
俺「まだ、あったのか」
 
車を停め、ゆっくりとその小さな公園に入ると「あの頃」原付を停め
メットを傍らに置き、ほか弁をほおばっていた、あのベンチがあった。
ベンチは風雨にさらされ、角は丸くなり、朽ち果てた部分だけ新しい木材で
補修されていた。何度も何度も木ねじを打ちなおされ、ネジだらけになっていた。



 
俺は「あの頃」の事を少しずつ思い出していたが、妙に薄暗い事に気付いた。
 
俺「お前ら、」
 
あの頃、俺の背丈と大して変わらなかったセコイアの植え込みが
なんということだろう、10メートルを超える大木となり、
そこいらを一面日蔭にしていた。



 
俺「こんなに、立派になって」
 
太く頼もしい幹にそっと手を当てる。
あれから、俺とセコイアは別々の場所で年を重ねてきた。
ひょろひょろだったセコイヤはこんなに立派になったというのに
今の俺と言ったらどうだ。
 
朽ちたベンチを見返すと、安いスーツを着て、
ほか弁を頬張る俺が見えたような気がした。
 
あの頃は、何もなかった。だが今は、知識も、経験も、
出会ってきたたくさんの人たちもいるじゃないか。
 
(もう一度、やってみよう)
 
青空に向かって背伸びをするように伸びたセコイアを見上げながら、
俺は思った。
 
「フワァンワンワン」
 
半分電気で動く営業車に乗り込み、
俺はルームミラーに写るセコイアを何度も何度も見返した。
 
金も夢もない時代を過ごしていたあの頃の自分に、
励まされた気がした。
 
(そうさ、もう一度。)

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