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その楽器は音が出ない

「え!?」
 
「何やってんだよ、いったい。。」
 
高1の春のことだ。
俺はあちこちの親戚からもらった入学祝いを
銀行に預けに行った。
 
窓口で渡された記帳済みの通帳には
さっき預けた金額しか残高がなかった。
幼稚園の時から全く使わずに貯めに貯めた
数十万のお年玉は
1円残らず引き出されていた。
この通帳の印鑑は、おふくろが持っていた。
 
「あんたの時もしてあげるから」
 
銀行からぶっ飛んで家に戻り
おふくろに詰め寄ると
洗い物をしながらおふくろは背中でこう言った。
 
おふくろはそれしか言わず
給湯器から流れ出るお湯の音と
カチャカチャと食器のぶつかる音だけが
いつまでもしていた。
 
俺は泣きたくなった。
 
その春、兄貴が大学受験に失敗した。
予備校に行くわけでもなく
図書館通いを始め、何週間か経った頃
大学から補欠繰り上げで合格したと
間の悪い「サクラサク」が届いた。
 
ここまでは微笑ましい出来事だったが
十年以上貯めた俺のお年玉は
兄貴の入学金に消えてしまった。

俺が小さい頃は、少しは裕福だったらしい。
週末はよく家族で外食をした。
行きつけの鶏料理屋があり
新潟名物の半羽揚げ(鶏肉を半羽分丸ごと揚げたもの)を
よく食べに行った記憶がある。
 
新築の家を建てた4年後、オヤジの会社の業績が悪くなり
弟が生まれた。
俺は剣道、サッカー、ボーイスカウト、バロックリコーダーと
いろんなことをやらせてもらっていたが、その年に剣道を残し
すべて辞めさせられた。
 
習い事に費やしていた時間は弟の子守に代わり
おふくろはパートに出た。
 
おふくろは琴の先生で、親父は仕事の傍ら尺八の先生でもあり
週3回、弟子を集め稽古をしていた。
金のために稽古の日を増やし、俺たち家族はますます
夕食を一緒にとることがなくなった。
 
稽古の日は幼い弟にインスタントラーメンを作ってあげた。
 
「あんたたちのためにやってるんだからね」
 
稽古の合間におふくろが顔をのぞかせ言う。
 
(何もそんな言い方しなくても。。)
 
稽古の日でなくとも、おふくろと親父はよく練習をしていたので
しょっちゅう琴と尺八の音色が家中響き渡っていたが
どんな素晴らしい曲であれ、俺の心の中に届くことはなく
やがて俺の耳には楽器の音はまったく聞こえなくなってしまった。
 
その頃からオヤジとおふくろは金のことでよくケンカを
するようになり、たびたび家の中が暗くなった。
 
(やっぱり、世の中、金だ)
 
高1の春のこの出来事は、
これから俺が歩む道を決めてしまった。
高校を出てから東京の叔父の会社に就職するが
叔父が亡くなり新潟に戻ってきた。
 
自分の不注意で負ったケガの後遺症で
なかなか職が決まらなかった俺は
高校の時バイトをしていた食堂で雇ってもらった。
ある日オヤジの会社の守衛室から注文があり
出前に行ったら、仕事が終わったオヤジとバッタリ会った。
 
「オヤジ!」
 
左手におかもちを持ち、空いている右手を振った。
オヤジは俺に気付いたものの、すぐに目をそらし
足早に反対側に消えていった。
 
(オヤジ。。)
 
そりゃあ親からしてみれば
薄汚れた白衣着てラーメンを出前する息子なんて
みっともないかもしれないが
これはかなりキツかった。
 
「やったらやった分くれるで」
 
半年後に大阪商人の会社に転職して、
それはもう働きまくった。
疲れてくじけそうになった時は
あの時の親父の冷ややかな態度を思い出し
自分を奮い立たせた。
 
(クソオヤジめ!)
 
1年後に親父の給与を追い越した俺は
家を出ることにした。
 
おふくろ「家にお金入れてくれないと困るわぁ」
 
俺「助けてあげたいのは山々だけど、俺は次男だから
自分の事は自分で何とかしなくちゃなんないんだよ」
 
お年玉の事とか、出前の時の事とか
皮肉たっぷりの気持ちで言った精一杯の言葉だった。
それからいくつもの企業で俺は一生懸命働いた。
 
去年の夏が終わった頃、ハーレーのMCメンバーの後輩から
封筒が届いた。
上質な厚い紙でできたその封筒を開けると
結婚式の招待状が入っていた。
 
スーツケースに礼服を詰め込み新幹線に乗る。
久しぶりの横浜はまぶしいほどの日差しが降り注いでいた。
 
「お久しぶりです。ご無沙汰しています。」
 
礼服に着替えロビーに行くと、MCのメンバーが揃っていた。
年に一度は会っているが、会うたびに歳を重ねているのが
目に見えてわかった。
 
宴が始まると、後輩に似つかわしくない
育ちの良さそうな綺麗な嫁と後輩が
スポットライトを浴びながら入場する。
 
「私あの娘が持ってるものひとつも持ってないよ!」
 
招待されたメンバーの女が言う。
 
職場関係に、学生の頃の友人たち、様々な人たちが招待されていたが
俺たちMCメンバーのテーブルだけ、一種異様な雰囲気が漂っていた。
もうこの後輩との付き合いも数十年になる。
初めて会った時はまだ彼は学生だった。
 
この気持ちはいったい何だろう。
家族でもなく、友人でもない。
しかし兄弟を祝福するようなこの気持ち。
なかなか会えずにいたが、
こんな時に付き合いの深さがわかるものだとその時俺は知った。
 
「もう、ハーレーに乗らんのか」
 
宴も終盤に入った頃、年長のメンバーが言った。
 
俺はその問いかけに何も答えず目を落とし、
デザートの皿の模様をじっと見つめていた。
 
宴が終わった後、後輩を囲み居酒屋で飲み
積もる話に花が咲く。
 
「いいファミリーだ」
 
プレジデントが、言った。
 
みんなその言葉で思い思いの事を考え無口になったが
全員笑顔であふれていた。
 
バイク屋「やっぱダメでしたか?」
 
俺「いや、ダメじゃない。ただ、」
 
バイク屋「ただ?」
 
俺「帰ることにしたんだよ」
 
ウィ、ゲッッッシュ!
ドロッ、ドロロロロ!
 
8年ぶりに跨ったハーレーで、雪のちらつく農道を駆け抜ける。
もう、このバイクで20台目になる。
たくさんの、本当にたくさんのバイクに乗れるほど
稼ぐことが少しは上手になったけれど
あの時薄汚れた白衣でオヤジにバッタリ会った時
言って欲しかったな、

「よぉ、ご苦労さん」ってね。

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