見出し画像

トライスターの輝き~「ありがとう、私をもう一度トライスターにしてくれて」~

初めまして、私ゼロです。
今回noteを開設しましたが、詳しい自己紹介についてはまたの機会にするとして、初めての記事では「トライスター」というユニットの「再始動」となったアイカツ150話、「星の絆」について語らせて頂きたいと思います。
すでにTwitter上で語った内容も大いに含まれることになると思われますが、お読みいただければ幸いです。

「星の絆」と題されるこの回は、アイカツ!において「星」、そして「絆」という言葉から連想される通り、「トライスター」──3つの星、神崎美月、一ノ瀬かえで、藤堂ユリカによって結成されたユニット──を巡るエピソードです。
このエピソードの数話前、いちご、あおい、蘭によるユニット「ソレイユ」が、3人組ユニットで参加しそのトップを競うイベント「大スターライト学園祭」なるイベントの開催を決定し、それにはぽわプリであったり、バニラチリペッパーであったり、と言った3人組のユニットが参加していて、となればトライスターももしかしたら?!と当時の人は皆思ったかもしれません。そのトライスターを巡る物語です。以下、振り返りつつ語っていきます。

後輩・ルミナスが学園祭に向け練習に練習を積む姿を見た一ノ瀬かえではその姿に刺激を受け、トライスターの盟友でその後も共にユニットを組んだ経験のある藤堂ユリカに声をかけ、ユリカと一緒に学園祭に出たいんだ、とユリカに言います。
しかし学園祭は先述したように“3人”でなければ出られないものであり、かえでが想定するのも“トライスター”としての出場である事はご存知の通り。加えて、ユリカは美月が学園を去った際、自らトライスターの解散を希望したという負い目もあり、ユリカは「美月さんは帰ってこないわ」と言い、去ってしまいます。
私もこの回のタイトルやそれまでのストーリー展開を見ていて、もちろんトライスターが再びトライスターとしてステージに立つ=復活するという事を期待しました。しかし、そこにはユリカの言葉通り、美月という唯一にして最大の壁があるではないか、とも思いました。しかも今かえでとユリカが美月にもう一度トライスターとして出ようよ!と話を持ちかけたとして、美月本人が首を縦に振るという姿の想像もつきませんでした。何より、美月には最終的に解散を決断したのはかえでとユリカ2人であるとはいえ解散に追い込んだのは自分だ、という負い目もあったでしょうし。
しかし、ユリカもその後、ルミナスの3人が一生懸命練習に取り組む姿を見て、「あの頃」の3人を思い出します。
その後、かえでとユリカはまた会いますが、かえではユリカの様子を見て、ひと目で「ユリカもトライスターとして、美月と自分と一緒に、もう一度ステージに立ちたいと思っている」ことを見抜きます。かえでに本心を見抜かれた時、ユリカは「大スターライト学園祭は3人ユニットが条件って聞いた時から、トライスターの事が頭から離れなかった」と告白します。続けて、「『3つの星』、トライスターになりたいって心から思ったの。」とも言います。トライスターとしてもう一度ステージに、という思いは、ユリカも同じだったのです。そして、2人はトライスターのもう1人──神崎美月──に、もう一度トライスターとしてステージに立ってくれないか、とお願いするのです。
2人からトライスターへの熱意を聞いた美月は、こう言います。
「トライスターとして過ごした時間は、今も私の胸の中でキラキラ輝いてる。もう一度一緒にって言ってくれて嬉しい。ありがとう!このチャンスを無駄にしたくない。私、もう一度ユリカとかえでと3人で、ステージに立ちたい!」と。
この言葉からも分かるように、美月もまた、かえでとユリカと同じく「トライスター」への思いは同じだったのです。あの日、自ら解散に追い込んでしまったという負い目があったにも関わらず、です。この「思い」がどんなものなのかにについては、後で詳しく述べますが。
続けて美月は、「まだイエスとは言えない、その前に会わなければならない人がいるの。」と言います。その「会わなければならない人」とは───織姫学園長でした。ここで大変重要な会話が交わされたます。少々長いですが引用します。

美月「今日は学園祭にお話があって来ました。大スターライト学園祭に、トライスターとして参加したいんです。
一度はスターライトを出て、トライスターも解散しました。でも、今もう一度、スターライト学園にゆかりがある者として、かえでとユリカと、3人でステージに立ちたいんです。」
学園長「美月、あなたはいつもアイカツ界全体のことを考えていたわね。
これまでに沢山の魅力的なアイドルが誕生した。今のアイドル活動アイカツが、こんなにも熱く盛り上がっているのは、美月、あなたの力がとても大きかった。私はあなたにずっと感謝していた。」
美月「学園長…」
学園長「トライスターとしてのステージ、楽しみにしているわ。」
美月「ありがとうございます!」

このシーンや美月の行動を見て、多くの人が思うのは、少々不躾な表現を使うなら「美月は学園に仁義を切った」、もう少し上手に言うなら「スターライト学園にゆかりがある者」としてほの「スジ」を通した、という事では無いでしょうか。
何しろ彼女は、母校であるスターライト学園を突如として去りそのライバル校のアドバイザーとしてライバル校に肩入れするという真似をしでかした上、当時人気の絶頂で、「ソレイユ」や「ぽわプリ」と並んでスターライト学園の看板であった「トライスター」というユニットを解散にまで追い込んでいるのですから。だから、スターライト学園で行われるイベントに出場するのであれば、彼女なりの筋を通さねばならないと思ったのでしょう。しかし、学園長はそれまでの美月の行動や芸能界への貢献を、たとえ彼女の行動が学園の色々なモノを変えることになろうとも高く評価していたのです。それ故、学園長は「トライスターのステージを楽しみにしている」と言ったのでしょう。この2人の会話は、ある意味で「アイドルとして歩む道は色々なものがあって良いのだ」というテーマを表していると言えるのではないでしょうか。

その後、「トライスター」が大スターライト学園祭において復活することが公にされます。勿論世間は大盛り上がり。スターライト学園全体にも激震が走ることとなります。
そして──いよいよ、3人が「トライスター」としてステージに並び立つ、その時はやってきます。
その直前、かえでとユリカは「また3人でステージに立てるなんて夢みたいね」と言いますが、それに美月はこう返します。
「夢の続きは、ステージで見ましょう。」と。
3人は、トライスターのユニットドレスのカードをアイカツシステムにセットします。
そして──

トライスター──3つの星は、紆余曲折を経て今再び“飛翔”の時を迎えるのです!!!!
それを初めて見ていた当時、私は下に貼る画像のような気分であったのを今でも覚えています。あの感動は忘れられません。

もちろん3人が披露する曲は──「Take Me Higher」。トライスターと言えばの曲です。
今この記事を書くに当たって、私は150話を見直しながら書いているのですが、私はこの回で披露されたトライスターのステージを1度見て知っているにもかかわらず、今回見返してみて鳥肌と体の震えとを抑えることができませんでした。それほど素晴らしいステージであったと。
この「Take Me Higher」について、1つどうしてもここで語っておきたい歌詞があります。
それは、サビのラストにある
「どんな惑星だってひとりぼっちで輝けるわけじゃない」
という歌詞です。今回の執筆にあたって再視聴している際、私が最もこのステージでグッときた部分はここでした。その理由は、簡潔にまとめるならこの「トライスター」というユニットのセンターを張る「神崎美月」というアイドルが、今再び3人でステージに立っている今、抱く「想い」はこの歌詞に表されている、と思ったからです。
ここで思い返して欲しいのは、美月が歩んできたアイドルとしての道がどんなものだったか、彼女はアイドルとしてどのような人物か、という事です。ダンスの天才・ジョニー先生への直談判で掴んだ彼からのレッスン、学園に入学するやその学園の「頂点」を争うスターライトクイーンカップで3連覇を果たした実力、「トライスター」や「スターアニス」、「WM」として後輩やトライスターの仲間、自身が見出したパートナーとのアイドル活動、学園を去り自分だけのアイカツを見つけようとしたその行動力──云々。
ここまで自分でまとめていても思った事ですが、彼女のこのような歩みを見ていて想起されるイメージ、それは「孤高」という言葉に集約されると思います。
「孤高」のトップアイドル・神崎美月がどのような人物であるかについては、150話という境地までこのアイカツを見ていれば自ずと理解出来てくるかと思いますが──その「孤高のアイドル像」を成り立たせるのは、彼女の限りのない「プロ意識」、「自他両方への厳格さ」、「自分が常にアイドルの世界の導き手でなければならないという信念」であり、その役目は今現在の立ち位置に至るまでに数え切れないほどの紆余曲折を経験してきた彼女にしか為し得ない立ち位置であると思います。
しかし、その「孤高」という概念は、「孤独」という概念と表裏一体であり、世の人々がアイドル・神崎美月に熱狂し続けるのは、その表裏一体である2つの要素で彼女は構成されているからである、という事に注目してほしいと思います。1年時からスターライトクイーンという唯一無二の称号を持ち、彼女とユニットを組んだ同級生は彼女の実力についていけず、それでいて今自分が座るポジションに決して満足する事なく更なる高みを目指し登っていく。彼女はそういうアイドルでした。付け加えれば、先述したように後輩たちと結成した「スターアニス」、自身が実力を認めて抜擢したメンバーと結成した「トライスター」、そしてこれまた自身が見出した新人アイドルと結成した「WM」。彼女が関わった「ユニット」──長らくアイカツにおいては「アイドル活動はひとりでするものだけでは無い」という概念の象徴として扱われてきましたが──は、ことごとく解散しているのです。このような事実も、彼女の「孤独なアイドル像」の成立に拍車をかけているように思います。
ここまで長々と述べてきたように、神崎美月は「厳格さ」、「信念」、そして「孤独」で「孤高」のアイドルです。そして、彼女がそうなったのは限りない自らの「信念」の帰結でありましょう。
ここまで私が書き綴ってきたことを下地にしつつ、先に述べた「どんな惑星だってひとりぼっちで輝けるわけじゃない」という歌詞について書いていきたいと思います。
あなたはこの歌詞をどのように解釈するでしょうか? 私は、「惑星」は「アイドル」の比喩であり、そこから「どんなアイドルも独りで輝けるのではない」と解釈しました。
私がなぜ今、この「150話」の舞台で披露されるこの曲の歌詞に心を打たれたのかというと、この歌詞は美月もかえでもユリカも共有する想いであろうと思いますが、特に美月がこの歌詞を歌うにあたっての心情が、たとえ同じ曲の同じ歌詞を歌っているとしても、「トライスター」が結成されたあの頃に披露していたものと、再結成した今のものとでは大きく違ったものであると思ったからです。
メンバーのオーディションもその選定も完全に美月の独断によって行い結成したあの頃の「トライスター」は、あくまでもユニットの「中心」は神崎美月であったという印象がありました。だから、「どんなアイドルも独りで輝けるものではない」という歌詞も、どこかトップアイドル・神崎美月の「皆の導き手」であるという自負や驕りのようなもの言葉があると感じられたのです。言葉にするなら「私のようなトップアイドルも、独りでは無いからこそ出せる輝きがあるのよ」と言うような、「上から目線」で伝えるメッセージ、と言うべきでしょうか。
しかし、かつて共にユニットを組んだ2人の熱意と、自らの「もう一度トライスターとしてステージに立ちたい」という想いが一致し、再び「トライスター」としてステージに立つ今はどうでしょうか。
私が感じた、あの頃から変化した美月の心情はこのようなものです。
「私たちアイドルの出せる『輝き』は、独りぼっちでいて出せるものでは無いのよ。」
どうでしょうか?根本的な部分はあの頃の心情と同じような言葉ですが、明らかに「あの頃」とは違った、美月の心情が感じられないでしょうか?
「あの頃」は「皆の導き手」として歌った「独りで輝いているのではない」という想いが、「今」は「今3人でトライスターとしてステージに立っているからこそ、出せる輝きがあるんだよ」というような。
私がこの歌詞についてここまで綴ったのは、このような「エモさ」が存在しているからです。そしてそのエモさは、神崎美月がセンターを張るユニットであるから出せるものだと言うことも。

そして、ここが私が最も書きたい、伝えたいと思っているポイントですが、それはステージを終えた後、美月がかえでとユリカに伝えた「ある言葉」にあるのです。以下に記します。

「かえで、ユリカ、ありがとう。
私をもう一度、トライスターにしてくれて。」

短い言葉ですが、この言葉の「重み」や「良さ」がお分かり頂けたでしょうか?
特に、「私をもう一度、トライスターに『してくれて』。」という部分。
繰り返します。「私をもう一度、トライスターに『してくれて』。」
これまでに散々述べてきたように、トライスターはメンバーの決定も、そのオーディションも、すべて神崎美月の独断によって作られたユニットです。だから、彼女に抜擢されたかえで、蘭、ユリカと言ったアイドル達は、美月によってトライスターに「された」と言っていい存在です。
さらに付け加えれば、トライスターというユニットは神崎美月の独断によって結成されただけでなく、そのユニットのメンバーの差し替えや、その解散も「神崎美月」というアイドルの「わがまま」「自分勝手」によってその存在を左右されてきたユニットなのです。その上、美月はWMという新ユニットまで一時結成していました。その様子からは、彼女は「トライスター」というユニットをどれほど大切に思っているのだろう、と思った人もいるかもしれません。
しかし、彼女が「トライスター」に対して抱く想いは、残されたかえでとユリカというトライスターの「残党」と同じものがあったのです。そして、2人の熱意に口説き落とされた彼女が2人にかけた言葉──それが、「私をもう一度、トライスターにしてくれてありがとう」という言葉だったのです。彼女のわがままでトライスターの存在は左右されていたというのに。
ですが、神崎美月の腕を引っ張り、トライスターを復活させ、神崎美月をもう一度トライスターに「した」のは、誰あろうかえでとユリカその人なのです。その2人を──何度も繰り返しますが──自分のわがままで振り回した2人に彼女は、自分を「トライスター」として飛翔させてくれた感謝の言葉を述べたのです。あの神崎美月が。
このようなトライスターの姿から何が感じられるでしょうか。その答えは沢山あろうかと思いますが、例を挙げると、
「トップアイドル神崎美月をメンバーに含むユニットとして、アイドル界の頂点を照らし出したあのユニットの復活。」
「これから成長していく後輩アイドル達への大いなる衝撃。」
「『ソレイユ』等、今現役アイドルとして頂点で輝き続ける者達の地位を脅かす存在の復活。」
と言ったところでしょうか。この回、このステージで、「トライスター」というユニットが鮮烈なる復活を遂げた事はこのような深い意味が含まれていると思うのです。
先に引用した美月のかえでとユリカに対する感謝の言葉や、「トライスター」にかける想いの丈と言った部分から、私は「神崎美月」というアイドルの「トップアイドルとしての器」や、「彼女にしか発揮し得ないカリスマ性」を感じると共に、その彼女や彼女のユニット・「トライスター」の為す「輝き」は、「ひとりぼっち」で創り出せるものでは無いと言うこと、しかしそれでいてその輝きは「ソレイユ」が創り出す「輝き」とは違うオンリーワンなものであること、そしてそれは「現役」のトップアイドルとして君臨し続ける「ソレイユ」の地位すらも脅かすものであること、などに感じ入らずには居られないのです。

note開設早々、このような私の駄文に付き合わせてしまい、大変申し訳ありません。
しかし、「トライスター」という大好きなユニットについて、考察(めいたもの)も交えて私の想いを綴ることが出来て満足です。
この記事をお読みになった皆さんが、「トライスター」というユニットをさらに好きになり、その深みについても想いを馳せることを祈って、初記事の締めくくりとさせて頂きたいと思います。
皆様、ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

                                                                    ゼロ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?