面白いって言われたくない

 なかなか複雑な心理なので共感されないと思うと難しいけどとりあえず書いておく。

 何人かに「面白いね」って言われるのは全く構わない。だけど、特にネットでは全員そろって一斉に大絶賛はされたくない。そりゃ「面白いね」って言われた方が嬉しいし、言ってくれるとありがたい。面白いって思ったら面白いって言ってほしい。

 ここからが本題で、「そろって大絶賛」が怖い理由は、「面白いと思ってないけど面白いって言う」人が一定数含まれているからで、そういう人に「面白い」って言われるとゾッとするからなんだよね。特にブログなんてやっていると営業活動で「面白いですねーシャーしゃすねー」みたいなコメントはたくさんある。果たしてその「シャー」は「シャー」するに値するのかとすれば、多分大体は「内輪ネタでその場限りのネタ」だったり、個人の日常の雑感で万人に広く読ませるものでもない。

 そういうネタが悪いんじゃなくて、そういうのを無邪気にシャーしたがる神経が怖いと言うか、芯が見えないというか、「何でシャーしたがるのか」というところに「面白かったから」じゃなくて「営業だから」が見え隠れする。だったら素直に「ちはー営業でーす」って書いてもらいたい。結局、大して記事も読んでいないのに「面白いっすね」とか言われるのは何かイヤなのだ。

 そもそも「面白い面白い」言うけど、お前に俺の何がわかるんと違うか? って思うのね。そんなことを思うのはワガママってもんだけど、誰でもそう思っているところがあるだろうってことで書いちゃうけど、文章は無意識の「自分」を引っ張り出すこともできるけれど、その人を100%理解することもできない。結局ここに書いてあることも100%本心かというとそうでもないし、「やったぁお兄ちゃん褒められて嬉しいよお!」ということもないでもないし「ふん、アンタみたいな奴に褒められてもうれしくとも何とも思わないんだからね!」というところもあり、「うざい、帰ってくれ」と思うこともある。そんな気持ちのパーセンテージで言うとたまに「うざい、帰ってくれ」が優位に立つこともあるってそれだけの話。

 じゃあ公開しなきゃいいじゃねえかって思うんだけど、「何人か」の人に届けてセレンディピティを感じてほしいからやっぱり公開しちゃう。つまり、この「うざい、帰ってくれ」がいろんな意味で対価を支払っているってことなんだろうか。強すぎる自意識は自己愛を破壊するけど、自分を守る防御壁でもあるし、なかなかバランスが難しいと言うもんだ。後半何言ってるかわからなくなってきたからおしまい。


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