手紙を入れた瓶を海に流す

 何かを創っていると、たまに自分が空しくなる。作品は自分の子供たちだ。その子供たちをwebに放流しても誰にも相手にされずそのままになっているのが悲しくて、だけど他の人の子供に構っている暇もなくて、それならいっそ全てをシャットダウンして子供を作るのをやめたらどうかって思うことがないわけでもない。

 だけど、たまに自分の人生を変える作品に出会うときがある。その人は無名だしその人はただイチ創作者として「自分が創りたいから創った」だけだし、その意味では無意味な創作行為として同じである。それなのに、その人の作品を見ると元気が出る。心に響く。もっと何かをしてやろうという気持ちになる。そんな作品に出会ってしまうと、とても嬉しくて、同時にまた悲しい。

 これは叶わない恋のようなもので、どれだけその作品に心酔してその作品と同一になろうとしても、その作者と仲良くなったとしても、その作品になることはできない。自分の人生の一部を捧げてしまったような感覚があっても、その思いを洗いざらいぶちまけてしまえば、ただの気持ち悪くて思い込みの激しい危険なアカウントになってしまう。そんな危ない橋を行ったり来たりしている。

 だからそんな時は、自分の子供たちを眺める。「もしかしたら、誰かにとってそれは人生を変えるほどのものになるかもしれない」と思うから。手紙を入れた瓶を海に流し続けるようなもので、返事が来る当てはない。でも、その手紙を読んで人生を変えてしまう人がいるのなら、流してもいいと思う。何かを創るとは、そういうことなんじゃないかって最近思う。


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