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"本当の声を聞かせておくれよ"akiraさん【横浜FMサポインタビュー】

取材日 2024年1月24日

Footrico!のスピーカー活動


ーよろしくおねがいします!

はい、よろしくおねがいします!

ーakiraさんとは一回どこかでお話したことありましたよね?ファジアーノ岡山ネクストについておしゃべりした記憶があるんですけど。スペース?clubhouse?だったかな

ああ、あれはツイキャスじゃないですか?確か。

ーあー、ツイキャスでしたかね。お話するのあの時以来だなと思ってて

ええ、当時はまだセカンドチームとかの話がJリーグ的には珍しいころでした。

ーああ、そうでしたね。サポーターにもタイプ的に個サポとか箱推しとかいろいろあると思うんですけど、それでいくとakiraさんはどんな感じですか?

僕は箱推しに入ると思いますね。時期ごとに気になる選手が出たりとかはするんですけど、だからといってその選手のユニフォームを買うとかファンクラブに入るとかそういうこともなく。推しというほどまではいかないので。やっぱ箱なんだな、って感じですね。

ーいまやってらっしゃる”Footrico!(フットリコ)”?はどういう活動なんですか?

あれはですね、始まったのが2021年なんですけど。当時マリノスが情報をめちゃくちゃドバドバ出してたんですよ。コロナ禍でクラブのエンゲージというか、クラブから出す情報を途切れさせちゃいけないというか。関心を引き続けるためには必ずなにかしらずっと出してます!みたいな時期が結構あって。それはそれとしてサポーターとしては読み物が増えたりとか、動画が増えたりとかしてよかったんですけど。

ーうんうん

一方で「追い切れないよね」ってなっちゃったんですよ。

ーハハハ(笑)多すぎて

はい。「今日なにあったっけ?」「こないだこの話してなかったっけ?」みたいなのが、結構錯綜というか(笑)多すぎてどうしようもなくなっちゃったね、って時期があって。じゃあそれをまとめるようなことをすればいいんじゃないかな?みたいなのはあったんですよ。で、あの番組のメインのモデレーターの人がいて。その人がclubhouseが出始めたころに「これおもしろそうだから、これ使ってまとめ番組みたいなのやってみたいなあ」って言ってて。「誰か一緒にしゃべってくれませんか?」みたいなのを見かけて、「あ、じゃあやります!」っていうので集まったのがモデレーター陣ですね。

ー2021年からだとするともう3年目という感じですね

そうですね。なんだかんだで3年目ですね。

ー3年やってみられてどうですか?

そうですね。クラブの話をするので、クラブに関心をずっと持ち続けるようになるし。そこから見えてくるものがあったりとか、聞こえてくる話があったりとかっていう感じで。昔以上にサポーターライフというか、充実してる感じですね。

ーコロナ禍が明けてからもFootrico!は同じようなテイストでされてるんですか?

あいかわらず情報は多くて(笑)

ーああ、そうなんですね。え、すごいですねマリノスって(笑)

月・金の夜にFootrico!をやってるんですよ。

ー毎週ですよね??

ほぼ、毎週です。

ースゲーな(笑)

回によってはほとんどトピックがないみたいなこともあるんですけど。あるときは2回でもさばききれるか怪しいなみたいなこともあって。

ーえええ、そんなにネタが出てくるんですね?

ええ、毎回なんだかんだ一時間ぐらいはやってるんですけど。でも、全部は取り上げられないんで。重要そうなネタから選んでみたいな、メインのモデレーターの方がちゃんと板(舞台)つくっていただいてって感じです。

ー何人ぐらいでやってるんですか?

いまはしゃべる人が3人と、あとはSNS兼カンペ的なものを出してくれる人がついててくれて、4人態勢ですね。

ーそれでだいたい毎週2回やってるってすごいですね

ええ、すごいと思います僕も。オフシーズンは金曜だけとか回数は減らしてはいるんですけど、シーズン始まるともう毎週のように。

ーすごいなあ。サポーターとかのリアクションとかはどうですか?

毎回アベレージで80人、90人以上の方に聞いていただけているので。多いときは120人近くにもなりますし。あとは、ポッドキャストのアーカイブもあるんですけど、そこでもたくさんの方に聞いていただいていて。それで一個おもしろかったのが、去年の10月ごろにマリノスサポーターで集まって文化祭みたいなのやったんですけど、そのときに公開の生放送と収録をしたんですよ。そしたら、ちっちゃい会議室の一角でやってたんですけどあふれちゃうぐらい人が来まして。

ーというと、3,40人ぐらい?

もう、なんかほんとに100人近い人来てたんじゃないかなあ?って。

ーえええ、すげえなあ。リアルイベントでそんなに人が

ええ、びっくりしましたね。

ーそれだけやっぱり支持されてるってことですよね

そうですね。特に初期というかはじめたてのころには参加してくださってるリスナーの中にクラブの中の人もいたみたいで。いまもいらっしゃるのかもしれないですけど。

ーほんともう公式ではないけれど、定期的に配信される非公式のラジオ番組、ポッドキャストみたいな位置づけになってるって感じですね?

そうですね。スポンサーの担当の方とかも来たりしますし。普通にコーナーでしゃべってくださいますし。あのー、マリノスにマネーフォワードさんがついてくださってるんですけど。

ーはいはい、そうですよね

マネーフォワードさんがすごい乗り気で、企画とか乗ってくださるんで。冠試合とかやるときになると、「今年はこういうコンセプトでこういうキャンペーンやらせてもらってまして」みたいな話もときどきFootrico!でやったりとかもしていて。という感じで、もちろんオフィシャルではないんですけど、なんか半オフィシャルぐらいの状態でって感じですね。

ー認知もだいぶされてきているし

ええ、そのうちクラブの人出てほしいなって思いますけど(笑)

ーなんかやりがいでてきますよね。広がっていくし、スポンサーの人にも認知してもらって「ここなら」って思ってもらって出てもらえるっていいですよね

いやーもう、ほんとに、メインでやってらっしゃる方が一番BGMとかも出したりしてるので。すごいやりがいをもって活動していらっしゃるし、まあ、そのおこぼれと言ったらなんですけど僕もすごい楽しくやらせてもらってますね。

ーそれまでは情報発信的なこととか、普通に応援していくのに加えてプラスアルファみたいなことをやられてたことはあるんですか?

そうですね。2019年かな?noteでマッチレビューを書いていったりとか。リーグ戦は全部書くって決めてやったりとか。あとはなんだろう。2019年のそれと並行してになりますけど、たまたまマンチェスター・シティと試合することがあって。それをきっかけにいろんなことが起こりまして。シティのファンの人たちが、はじめて日本でシティを見たっていう人も結構多くて。

ーああ、そうでしょうねえ

盛り上がってたんですよ試合後に。ただ、その試合の後って飯倉大樹が神戸に行く直前の試合だったもんで。退団のあいさつみたいなイベントをしてたんですね。そこにシティのファンの人たちのやいのやいのが重なっちゃって、SNSで火がつき気味だったんですよ。ただ、事情を理解してシティのファンの人たちも「そういうことだったんだ、ごめんなさい」って謝りを入れてくださったので。なんかこのままわだかまりが残って終わるのもイヤだし、「よかったら来週も清水戦あるからちょっと見においでよ」みたいなハッシュタグでキャンペーンやったらこれが思いっきり広がりまして。

ーええ、めっちゃいいっすねそういうの!

はい。noteにまとめて書かせていただいたんですけど、最終的にはクラブのオフィシャルも乗ってきて。結構清水戦に来てくださったみたいですね。聞いた話だと数百人来たみたいな。

ーシティのファンが!すごいですねそれ

ええ、そういうことやったりとか。あとはクラブが主催してたファンミーティングみたいなのがあって、いまも沸騰プロジェクトってやってるんですけど。これにたびたび参加させてもらって、グッズの話をしたり、初心者ガイドの文章書かせてもらったり。あとは、マスコットの話もしたし、2019年の優勝した試合のマッチデーのイベントなにしようか?とか、プロモーションの仕掛けこんなことどうだろうか?みたいな、そういうイベントの話し合い、ミーティングですよね。クラブの人といっしょにやったりとか。ワークショップ的な感じでいろいろやらせてもらいましたね。

湘南育ちの映画好き少年


ーなるほど、Footrico!以前からもそうした活動をされてたんですね。そんなakiraさんのこれまでを少しお聞きしていきたいんですが、今年齢はおいくつですか?

30代前半ですね。

ーご出身はどちらです?

神奈川の湘南と呼ばれるエリアですね。海際に今も暮らしてまして。

ーああ、じゃあ生まれたところでずーっと暮らしてきた感じですか?

まあそうっすね、はい。

ー家族構成とかは?

父母がいて、下の兄弟2人がいる感じですね。

ー子どものころって、今思うとどんな感じの子だったなぁって思います?

うーん、まあ、今もあんまり変わってないんですけど。なんか自分の興味のあることにはまっすぐ進んでいくタイプで。逆に自分の興味ないことには見向きもしないタイプでしたね。

ーじゃあ小さいころもなんかハマってるものとかありました?

一番最初ってわけではないですけど、当時読んでハマったマンガが『こち亀』だったんですよ。たまたま親戚のお兄さんがもってきてたのをパラって読んで。それが「おもろいな」って。僕もともとちっちゃいころ電車が好きだったんですけど。ちょうど読んだ『こち亀』の話が、なんか両さんが地下鉄作るぞ!みたいな話をしてて。

ーああ、なんかめっちゃありそう(笑)

96巻だったとおもいますけど。そこから『こち亀』読むようになって。もともとサブカル要素強いじゃないですか?『こち亀』って。

ーめちゃめちゃ強いですよね

ええ、っていうのでなんか「これも」「これも」って読んでくうちにおもしろいってなって読んでましたねえ。

ー『こち亀』っていろんな要素を含んだマンガだから、あそこ通っていろんな方面に旅立てるみたいなところもありますよね

ええ、その通りですね。

ー子どものころ習い事とかはされてました?

いろいろやってましたねえ。アトリエに通ったりとか。水泳を習ったりとか。剣道やったり。体操もちょっとだけやったり。少年野球もやってました。

ーそれは自分からやりたい!みたいな感じで?

そうですね。絵を描くのも好きだったし。泳ぐのと体操は親に連れてかれた感じでしたけど。剣道もちょっと気になってたし、野球も当時たまたま見るようになって「おもしろそうだな。やってみたいな」って感じでしたね。

ー結構いろんなことに関心もてる子だったんですねえ

そうですね。ただ、それだけにこだわりも強いというか。結構頑固なところもあったんで、うまくいかないとちょっとすねちゃうなみたいなこともありましたけど。

ーその中で長続きしたこととかありました?

なんですかねえ・・・ああ、でも一番好きだったのはたぶん映画観ることだったと思いますね。洋画をよく見てたんですよ。ちっちゃいころに爺様に連れられてスターウォーズを見に行ったのがはじめてで。そこからいわゆる子ども向けの映画というか、まあゴジラとかもみましたけど。なんだかんだ洋画の方が好きで。洋画の字幕で見るのが好きだったんですよ。僕、漢字とかも好んで読むタイプだったんで、一杯字幕ででてくるじゃないですか?

ーそうですね

それを読みながら映画も楽しみながらっていうのが結構好きだったみたいで。洋画を観るのは一番趣味としては長いかもしれないですね。子どものころからずっと続けていて、暇さえあればTSUTAYAに借りに行ったりして。今もネットとかでちょこちょこ見たりしてますし。

ーちなみにお爺様に連れられていったスターウォーズはエピソードどれですか?

エピソード6の特別編だったと思います。

ーえーと、6っていうと4,5,6の3部作だから・・・

いきなり6見せられたんですよ僕。

ークライマックスじゃないっすか(笑)

ええ、なんの意味も分からず。なんかスゲー画だな!みたいな。っていうのだけは覚えてましたね。今でこそ何回も観てますし内容も覚えてますけど当時のインパクトはそんな感じでしたね。

ーよくいうスクールカースト的なとことか、仲間内ではどんな感じのポジションで過ごしてました?

全然高いとこにはいないし、なんだろう?結構すみっこの方で遊んでるタイプだったんですけど。高校生ぐらいからだんだんと余裕を持てるようになってきて。そうですね、人並みにって感じだったと思いますけど。大学は自分のやりたいことで選んだので。自分のやりたいことやってくうちに、馬の合う人が現れたりとか、環境ごとに知り合いが増えてって感じでした。サッカーを見はじめたのもそのころでしたね。

サッカーとの出会いはドイツW杯


ーじゃあ、サッカーと出会ったのは大学生ぐらいに?

そうですね。まあ、サッカーそのものは中学生ぐらいのときにW杯ドイツ大会があって。そこで日本代表をちゃんと見るようになったのがそのあたりで。代表戦の試合だけはポツポツと追ってはいたんですよ。ただ、Jリーグ見にいくようになったのは大学生になってからでしたね。

ーW杯ドイツ大会を知るきっかけみたいなものは覚えてますか?

2002年の日韓大会のころには「サッカーすごいな」みたいなのは感じてはいたんですけど。当時の僕はピンとは来てなくてサッカー見てなかったんですよね。ただ、その流れからのドイツ大会だったのでTVでも取り上げられてたじゃないですか?

ーそうですね

「ああ、なんかすごそうだね?」みたいなのは知っていて。たまたまオーストラリア戦が修学旅行とぶつかったのかな?「じゃあじゃあみんなで見よっか」みたいになって。

ーああ!盛り上がるやつじゃないですか(笑)

ええ、それで見たんですよね。まあ、先制もしたし中村俊輔のループシュートも。

ーありましたねえ!

そのあとコテンパンにやられちゃって、っていうオチなんですけど。そのあたりから「あ、サッカーってなんかおもしろそうだね」って感じでしたね。

ーじゃあサッカーとしっかり出会ったのがドイツ大会だったんですね。akiraさんご自身は中学高校のあたりでこのスポーツやりたいなみたいなのはなかったですか?

なかったですねえ。見るのはすきでしたけど、やるのはいいかなあってなってた頃で。まわりにはたくさんがんばってる人がいましたけど。

ーお住まいのあたりってたとえばバスケどころとかバレーどころとか盛んなスポーツとかあるんですか?

それで言うとそもそも神奈川県がスポーツが結構盛んなので。野球もあったし、サッカーもあったし、バスケもあったし。あとはなんだろうな、結構有名どころは押さえられていたって感じでしたね。

ーいろんな競技で有名なチームたくさんありますもんね

そうですね。それこそ『SLAMDUNK』のモデルになったところは、全然うちの近所だったりもするし。結構日常的に見る風景ですね。

ーああ、そうなんですね。じゃあ、ドイツ大会でサッカーと出会って最初は代表ウォッチャーって感じで少しづつ興味持っていったって流れですか?

そうですね、はい。

マリノスに導いた長谷部誠の一言


ーそこからマリノスと出会うのは大学生になってからですか?

大学生になってから南アフリカ大会をちゃんとフルでリアルタイムで見て。最後のパラグアイ戦ですかね。

ーありましたねえ・・

あれで、負けちゃうじゃないですか?

ー負けましたねえ・・

で、インタビューがあってそこでキャプテンの長谷部が言ってたのが「ぜひJリーグにもみなさん足を運んでください」みたいなことを言っていて。それが結構僕の中では印象に残ったんですよ。これいろんなところで話してる話なんですけど。

ーほお

それでなんかスッと腑に落ちて。たしかに代表を見るのも楽しいけど、身近でプロサッカーやってるし。僕たまたま横浜に行くことが多かったんで。だったら定期も持ってるし、ちょっと出せば新横浜行けるなって思って。そう思ったのも、僕の周りにJリーグ見てる友達がいたんですよ。

ーああ、そうなんですね

ええ、「ちょっと連れてってよ」って声かけたその友達がマリノスサポーターだったんですよ。

ーなるほど、そこで繋がってくるか

それで連れてってもらったのが2010年の8月の新潟戦だったと思いますね。

ーじゃあ、W杯終わってすぐぐらいのタイミングですね

そうですね、8月ぐらいなんで。当時中村俊輔がめちゃくちゃに代表の活動の方で叩かれていて。10番背負ってキャプテンもやっていたけど、なかなかコンディションが上がらなくて。

ーあーそっか、たしかに出場しなくて

本田圭佑とフリーキックをめぐってうんぬんとかあったりとか。はちゃめちゃに叩かれていた時期で。なんかでも僕としては、ドイツ大会の話もあるしその前から中村俊輔の名前は有名だったので。「いや?なんだろう?この人そんなに良くない選手なのかな?」みたいな。「ちょっと本物を見てみたいな」っていうのが漠然とあったんですよ。それでマリノスにいるし、いいかなあ?と思って見てみたらまあ凄くて・・・

ーまあ、そうでしょうね(笑)

「なんだこの人は!」みたいになって。試合も山瀬巧治と長谷川アーリアジャスールのゴールで2-0だったと思うんですけど。マリノスって勝つとトリコロールパラソルって傘を回すんですけど。それもめっちゃきれいだな!みたいな。

ーはいはい

結構最初の観戦体験は満足していて、まあ大学生だったんでお金はなかったんですけど。でも、全然「あ、これおもろいな」みたいになって。「今度また連れてってよ」って声かけて。今度は、三ツ沢でやった広島戦を見にいったんですよ。

ー三ツ沢もいいロケーションですもんね

そうなんですよ。新潟戦が日産スタジアムで、広島線が三ツ沢だったんで。マリノスがやってる2つの会場両方とも見に行って。「やっぱ三ツ沢近くておもしろいよね」ってなりながら。まだ当時広島には槙野がいて、ゴールパフォーマンスとかいてた頃なんですよ。

ーやってましたね

「話題になってたよねあいつ」みたいなのを見たりとか、その試合も結局逆転勝ちかなんかで勝つんですよ。そこまで来るとちょっと自分も「ああ、おもしろいな」と思って、だんだんと前のめりになりはじめて。

使命感を抱かせた松田直樹のあいさつ


ーうんうん

そのころにはインターネットを開けば、どんな話題あるかな?ってスポーツナビで見たりとか。あとは試合に行けなかったとしてもBSとかTBSとかTVでやってたことがあったんで、家にいたらちょっと見てみようかなって。っていう風にしてだんだんと見るようになって「あ、自分結構マリノス好きだなあ」ってなりはじめたときに、ベテランが一斉に切られるってことがあって。

ーあー、ありましたね

松田直樹とか、山瀬功治とか坂田大輔とか清水範久とか。河合竜二もそうでしたね。っていう事件が起こって、僕が最初に声かけて連れてってくれた友達が松田直樹のことが大好きだったんですよ。

ーああ・・・

しかも、その直前の試合がガンバとやったアウェイ戦で。中澤佑二も栗原勇蔵もケガしてたのかな?当時。出れてなかったころだったんで、マツさんがCBに入って。442でがっちり固めて勝つみたいな試合をした直後にそれが出てきて。「え?これどういうこと?」みたいになって。友達も友達で松田好きだし。次の最終節は絶対に行かないかんみたいになって。

ーうん

で、やっぱあの日のスタジアムのムードもそういう感じになってて。ちょっと張り詰めた感じ、じゃないですけど。

ーやっぱ多くのマリノスサポーターの感触としても「なんで松田を含めたベテランを切るんだ?」っていう感情だったんですね

まぁ、そうですね。後から聞いたというか、後から調べた話ですけど署名が集まってそれを当時マリノスタウンがありましたけど、クラブハウスに持ってってみたいなことがあったり。あと居座りとか、練習場のところで居残りみたいなことをしたりとか、っていうのも聞いて。それだけ大きな存在だったんだろうなみたいなことは、肌感ではないですけど頭ではわかってたんですよ。で、試合の最後マツさん出てきて。ずーっと松田チャントだったんですよねゴール裏は。

ーうんうん

となりにいた友達も当然歌ってて。ゴール裏の2階で。試合が終わってあいさつをして、当時の社長が嘉悦社長だったんですけど。まあブーイングが飛びまして。「ああ、やっぱ怒ってるよなみんな」みたいな。そこまでは割合なんかこう、他人事といったらあれですけど自分の外側の話だったんですよね。ただ、ひととおりイベントが終わった後にゴール裏がずっと居残りをしてたんですけど、選手たちが出てきてあいさつをしてたんですけど。そこですよね。マツさんのスピーチを聞いて。

ーああ、あれなぁ・・・!

「オレマジサッカー好きなんすよ」ってやつ聞いて。となりの友達がボロッボロ泣いてて。

ーまあそうでしょうねえ・・・

友達だけじゃなくて、周りにいた人全員泣いてたんですよ。「これはただごとじゃねえな?」って思ったのと、マツさんはしきりに「サポーター最高っす」みたいなことを言ってたんですよね。「いやぁ、この人いなくなっちゃうけど、でもこの人がこの熱量でしゃべるこのチーム俺応援しなきゃダメだな」って思ったんですよ。マリノスサポーターを自称するようになったのはそこからでしたね。

ー決定的だったんですね。松田直樹の最後の声が

ええ、なんか使命感みたいなものに駆られた感じですね。

ーそうするとこのあたりからもっと踏み込んでマリノスサポーターとして動いていくって感じになっていくんですね?

そうですね。まあ、もともと好きになったものに対してはどこまでも調べちゃうタイプなので。

ーフフフ(笑)

オフシーズンだったっていうこともあって、まあいろんなことを調べたり、触れたりとかしましたね。当時、そうだなあTwitterをし始めたぐらいの時期で。

ー2011年ぐらいですかね?

はい。積極的に発信してたわけじゃなかったんですけど当時は。ただ、いろんなマリノスサポーターのアカウントがあって。それに触れるのも楽しかったんですよ。もちろん試合の結果に一喜一憂する人もいたんですけど、試合の見かたもひとそれぞれ違うし。スタジアムでこういうことをして楽しかったってことをつぶやいてるひともいたし。当時、マリノスの社長がもともと日産の執行役員かなんかから来てた人で。しかも人事畑だったのかな。マリノスのクラブの決算が出るたびに、株主総会レベルの説明が書いてあるリリースが出てきてたんですよ。

ーへえ

クラブとしては今こういう状況で財務的にこういう状況だから。これからこういうことをして健全化していきますみたいなのをすごく丁寧に説明するリリースが出てきてて。それを読んでサポーターがこれってこういうことかね?ってみたいなことを、普段の自分の社会人生活と重ねながら解説するみたいな人もいて。とにかくいろんな人がいたんですよね当時。それを見るのもなんかおもしろいなあみたいな。プロサッカークラブですけど、そもそも株式会社だよね?みたいな話とか。社会の中の一部だよね?みたいな。スポーツでもあるし、会社でもあるし。みたいなことを知ったりとか。いろいろと教えてもらった感じでしたね。

ー知りたいなって思ったときに、すでに情報を発信してくれる人がたくさんいたんですね

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