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プロ野球ファン、BIG BANG@東京ドームに行く。-魔法少女になれなかったわたしたちは-

アイドルコンサートのペンライトの意味がようやく分かった。これは魔法少女になれなかったわたしたちが生まれ変わるための王子様のキスだし、気持ちを表すタクトだし、希望だ。

日本シリーズも終戦を迎え、話題は侍ジャパンかトレードか、はたまたトライアウトだろうという11月。東京もんの夏フェスマニアでカープファンの三十路女がBIG BANGの東京ドーム公演に行った。

初めてのアイドルコンサート。初めてのK-POP。大丈夫、ところは野球観戦で慣れ親しんだ東京ドーム。後楽園駅で買った「黒田、マウンドに涙の別れ」が一面掲載の報知をぶら下げドームシティを行く。ゲートの名前で座席のおおよそは見当がつく。昨日の席は41ゲート30列目、つまり4階席の一番後ろだったんだけど、そこにもディスティニーしかないって感じがしたんである。

開演およそ3分前。ミュージックヴィデオに合わせブゥォワーという勢いで、ペンライトが花開いていく。誰よりも後ろの席から見下ろしていく。ドームならではのちっさいちっさい音に慣らすように、その耳を凝らしていく。

米粒みたいなジヨン(G DRAGON。キムタク的)を、友だちに倍率と銘柄まで指定してもらいヤマダ電機で購入したばかりの双眼鏡で、豆粒ぐらいに拡大しながら生存確認する。

東京ドームのライブといえば、小学生の頃のマイケル・ジャクソンと、中2でチケットを買った再生YMO以来のことだった。マイケルは死んだし、YMOだって元どおりのばらばらだ。こんなことを思い出すのは後のこと。わたしは目の前のアイドルに夢中になる。

歌に踊って、長すぎるMCに笑って、バックバンドのソロになるとみんな座って、トロッコ見つめて、終わりまでノンストップで小さなペンラにすべての気持ちを託していて、こんな経験アイドル以外にないんだろうと奇跡を思った。素晴らしい3時間だった。

チケッティングに迷っていたわたしに指南をくれたフジロック仲間で古参のペン(ファン)にも感謝だし、偶然隣の席にいた美人のお姉さまは終わってガチャしてトイレに寄って帰りの後楽園駅までの長きをご一緒してくださり出会いと温かさを痛感したし、周りの邪魔にならないようメロディラインを小声で呟くのも快感だったしビジョンに映る投げキッスにも悶絶をした。完璧だ。

ここに上げるペンライト写真の背景が侍ジャパンのポスターであるところなど、始まる前に撮った写真だという証なんだ。始まる前は、こんなふうに凝った借景があれば面白くなるかななんて思ってる、それぐらいよそ行きの気持ちでしかなかったんだ。それがどうだ。3時間を終えてみたら、魔法は解けるどころかきらきらと、ナメクジのように足の後ろをついて回っているじゃないか。

わたしは王子様の夢を見る。あとで捨てようと思っていた、ただの包装用のプラスチック箱に、数時間前に買ったばかりのペンライトを大切にしまいこむ。初めてのガチャで手に入れた名曲タイトルのついた小さなおもちゃは誰とも取り引きしたくなかったし、1ミリもわたしを見つけなかった王子様のことをただただ祈った。

海外ロックバンドの追っかけとも、クラブでDJに馴れ馴れしく話しかけるのとも、インディバンドの友だちと乾杯するのとも、全然、まったく、違う幸せなのだった。

絶対手の届かないもの。絶対こちらを見たりしない人。絶対わたしの人生に踏み込んできたりしないアイドル。熱狂という、一方通行性にこそ酔った。

かかわる、ということに重きを置いてきたわたしだから、「アイドルを追う」というのはこれまでのやり方と真逆といえる経験だった。事実、「決してかかわらないこと」を約束した関係はとても素晴らしいものだった。ただ一方的に眺め、崇拝し、喜び、声を上げる。もらいっぱなしで帰路につく。双方向性に慣らされ当たり前化してきた自分の硬直性というものに、気付いてしまって靴を見た。たわんだ靴のつま先を眺めながら、自分のあだ名がセカチューだったことを思い出した。

突然貼り付けた上の写真だけれども、これは手持ちのタブレットにコラージュした羽海野チカ『3月のライオン』のステッカーである。このコラージュを見た親友は「おまえのことだな」とちょっと笑って、わたしを「セカチュー」と呼ぶようになったのだ。

自分が世界にコミットすること、すきあらば自分を視点に置いた世界観の築き上げ、主観的に生きるとはそりゃ誰しもそうなんだけど、わたしはたぶん特にその欲が強くて、だから指摘されていたんだと思う。このステッカーから何を言いたいのかといえば、わたしにとってBIG BANGとの出会いとは、セカチューの崩壊でもあったのだ、ということだ。

ちょうだい、ありがとう、もっと、見せて、聴かせて、ありがとう、嬉しい、わたしは嬉しいーー。そんなふうに、受け取るばかりで欲しがり貰える多幸というのはこの世に、在った。その在りものから目を背けて、自分が作らなくちゃ、角度を提案しなくちゃ、交わしあわなくちゃ、と思ってきたのも単なる強迫だったんじゃん、とボソリと思った。

初めてのドル体験。一筆することを約束してきたんだけど、どうやらそれは想定していたロック三十路女の珍道中とは違うものになっている。よくある構造……そっけない機会から加速度的にのめりこみ礼賛してから自省して笑いで終える、そうしたコラムを自分が書くとしたらつまんねぇなと心から思った。

もっと大枠の体験だと思った。行けてよかった。知ることができてよかった。世界の広さ。日本だけでも、大都市のドームをなんべんもなんべんも満員にして熱狂を釘づけるそれには、あったりまえの理由があった。日本公演のべ78万人。大きな数字にはいつだって理由がある。そこを拗ねるのは逸失だし、わくわくが足りないことだと過去を思った。

楽しいことを増やしていく。時間が足りない。身も心も断然足りない。そうした高揚をいつも引き止めてくれる友だちがいて、おまえは舞い上がりすぎるとドカンと落ちてフリーズするだろうと、フリーズしたら迷惑かかるだろうと、心配してくれるその踏み込みをつねづね嬉しく思っていた。でも今だけはさ、許してよ。

この気持ちを、許してくれ。

BIG BANG。君たちの乾いたダンスミュージックのことが、大好きだ。

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