【読書】高石宏輔『口下手で人見知りですが、誰とでもうちとける方法、ありますか?』
ご著作に触れると、いつも感じることがあります。高石宏輔さんの筆致に目が沿うと、しとしと降りしきる春雨にくるまれるような、優しくてなま暖かい体感のようなものが訪れると。おのれの肉体に親密な時間が、訪れると。
書籍を好む方であれば、ある種の選ばれた文字のつらなりに目を沿わせるおりに、こめかみがほぐれるような心地になることが、よもやまとした読書体験のなかでうまいぐあいに、まるでその時だけのように感じられることが、あるかもしれません。
わたしの場合は高石さんのご筆致に触れたときにも、起こるのです。ほぐれるような。しとしとと降る、春の優しい雨にくるまれるような。とても素敵な読書体験をいただいていると思います。
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さて本書において高石さんは、「誰とでもうちとける方法」、つまりコミュニケーション術の起点を「自分の身体に意識をおくこと」と説きました。
かかわる相手を変えよう、ねじ伏せようとついつい頑張ってしまいがちな、脳みそや言葉へのフォーカスを手放しましょう、と。
あるある、です。
他人をどうこう変えようとこだわるフォーカスを手放し、そもそもの自分の肉体の緊張や、「わたし」の声をこそ尊重しましょう、と。
うんうん、です。
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誰かにとっての「コミュニケーションの苦手意識」というものは、自前の脳みそと言葉を過度にフォーカスするせいで起きるのかもしれません。
で、あれば。
言葉というひとつの「あらわれ」に過集中することを、やめてみる。
相手、相手と前のめりになることを手放して、自分自身の身体の声や輪郭に、カメラワークでいうところのヒキの目線だとか、ソフトフォーカスを置いてみる。自分の身体から生まれてきた声を、大事にする。
「相手を変えたい」「やりこめたい」と込めてしまいがちな力を、ふっと抜く。相手と対峙する自分の肉体が、そのときどんなこわばり方をしているのかを、具体的にイメージする。
自分の身体の声を聞く。すると発語も、「わたしはこう思うんです」というトーンに自然と整っていく。やりこめ欲求みたいなものを手放したその整いは、相手に受け入れてもらいやすい語りかけになるかもしれませんね、と。
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小手先で押して、つっぱねても、転ぶだけ。
肉体の全体でトーンを整え、「わたし」の今を体感しながら関わりあうーー。
コミュニケーションの方法の話ではありましたが、こちらつい連想したのが、わたしの通う整体院での経験でした。
つい先日の整体セッションのこと。疲れ切ってぱんぱんで、緊張した筋肉や腱をぶらさげたわたしは、「ちょっとそこに立ってみてください」と指示されて、なんだなんだと臨んだことがありました。
突然のことでした。師は、伸ばすよう指示されたわたしの片方の掌を、前置きしてからぐわんと押しこみました。来るぞ、と掌に力を込めて待ち受けていたのに、あっと簡単に倒れかける圧力でした。
そこで、リテイク。
師は、「全身をイメージしてくださいね」とひとこと言いました。掌だけに過集中したり、フォーカスを効かせすぎても、ぶっ倒れるのだと。
けれども、自分の全身へのソフトフォーカスや、総合的な体感やイメージがあれば、倒れにくくなるんですよと。
再度、やってみました。
掌に圧力くるぞ、と待ち構えるにしても、掌へのフォーカスをやめました。全身の感覚です。繋がる腕、関節、胴体から足のつま先までの連動を、ぼわっと遠くからイメージして臨みました。すると、強く掌を押し込まれたとしても、力を逃すというか、しなやかに揺れを収めることができたのです。
師が伝えたかったのは、「局所へのフォーカスを手放して、全体のイメージや身体感覚をなんとなく入れておくと、日々うまい具合にすっきりしますよ」ということでした。
イメージすること。肩凝りや腰痛のもとを分散するための、身体づくりのちいさな一歩。
それは「肩凝り良くなれ」という小さな切実に過ぎない断片として、記憶のなかに埋もれていくはずだったのに。
今は、コミュニケーションの整え方にも繋がる生活心得でもあったのだなあと、ますます「肩凝り良くなれ」と願う、いや姿勢も良くなればコミュニケーションも良い感じになりますよねと腑に落ちる、そんな心地よさのこもごもでした。
『口下手で人見知りですが、誰とでもうちとける方法、ありますか?』
高石宏輔/SBクリエイティブ/2018.06.26
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