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3月下旬からGW前半まであまりに忙しくて目まぐるしく日々が過ぎていって、GW後半の4連休で「てことは4月が終わった?」と気づいた。桜、いつ咲いていたんだろう。もう私はだいぶ介護が無理になってしまった。

4月に地元で結婚式があったので2日有給をとって長めに地元に帰った。親友たちと夜ごはんを食べてそのまま一緒に泊まったとき、他のどんな時間よりも楽しくて心安らいで幸せだなと思った。人生どこで間違えたのかなとかたまに考えてしまうけど、友達と会う度に最高すぎて「じゃあここまでは一旦間違えてないわ」と思う。
ホテル泊もしてスマホを気にせず朝の大浴場をひとり占めしているとき、ああ、本来は有給ってこういう使い方ができるのかと気づいた。ヘルパーさんやデイサービスの予定がどうしても合わないときに有給を溶かすのではなくて、本当だったらあのときだって地元に帰ってこれたのかと思った。
それからもう介護を頑張れない。


いつ父親はショートステイを決めてくれるんだろう。いつまで私たちを人手にカウントするんだろう。確かに私は結婚もしてないし子供もいないけど、介護のために人生の予定を空けておいた訳じゃないのに。

叔母(母の姉 あの時代に女で理系の院卒でキャリアウーマン 大企業の元部長)が「妹(私の母)に電話かけるとかなりの打率で姪が出るぞ……?」と気づいたらしく、父に「姪たちも姪たちの人生があるんだから」と進言してくれたみたい。しかし効果は無さそう。あの圧が強い(要するに怖い)叔母に言われても効果が無いんだったらもう誰に言われても無理だと思う。


って5月の下書きに書いてあったので一旦供養。そこからまた1段階大変になってしまって、これ介護日誌も兼ねてるのでちゃんと書きたいんだけど、気力がなさすぎるからまた今度書こ………

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