もっといい家族になれたのに

私は、家族が好き。親戚も好き。
でも、弟が嫌い。何度もこいつさえいなければもっといい人生だったのにと思っていた。
もう今は顔を見るのも、声を聞くのも、その話題に触れるのも、全てが嫌い。

原因は色々ある。

まず私の家族は喧嘩をさせてくれない。私が怒っていても、どんな原因があってもまだ怒ってるのかとか色々言ってくる。
親もそっとしとけばいいのに、昔の私はそれが(喧嘩の原因である)弟の擁護に感じて嫌だった。

私は小さい頃は真面目だったと思う。宿題は必ずやるし、夏休みの宿題とかも早いうちに終わらせて遊ぶタイプだった。
でも弟は違う。遊んで遊んで遊んで、最後らへんに終わっておらず、親が怒るのにやらない。

仕事があるから、あいつは出来ない子だから、お姉ちゃんだから、宿題を見てあげなさいと言われた。

私はこれが1番嫌だった。弟が宿題を終わらせなければ、どうして見てないと私が責められた。何度も夜こっそり泣いていた。
宿題をやらずに学校へ行けばいいものの、なぜか終わらないと学校へ行かない弟はさらにたちが悪かった。
だから、毎年、毎年、それが繰り返された。
中学にあがれば変わると思った。高校にあがれば変わると思った。
あいつが18のとき、試験を受けるために志望動機を書く紙があった。
提出2日前にそれがまだ白紙だということが判明した。見てあげてと言われた。
私はその日、生理痛でつらいなか、動きたくないからラインで色々やりとりし、だいたい形になったと思えば、ほとんどが白紙のままだった。親が帰ってきて私は怒られたし、夜まで文を考えるのを手伝わされた。

まだまだ色々あるが、大きな原因はこれだと思う。

私は親と仲はいい。色々言えはするが、本当に嫌なとき、声に出して訴えることが出来ない。

あのとき、嫌だともっと声を出していれば変わっていたのかもしれない。

でも、もう遅い。

私は親が好きだから、怒られるのは全部あいつが悪いのであって親は悪くないと思うようにしていた。できない奴だからやってあげてという言葉をずっと言われてきたのだから、何年たってもできない奴だと思っている。
そんな風に私はこじれた。

弟は指示待ち人間から、最近は変な風に感情を爆発させる力を手に入れ、正論の怒りに対し、謎の理論で早口でキレるという芸を身に着けた。でも、未だにやらないといけないことをギリギリまでやらない。そして、家族からやってもらったことに対して感謝もしない。
志望動機の次の日、母親も仕事で疲れているなか手伝ったのだから、ご飯でも作ってあげればと言った。すると、私がするときは手伝ってくれない祖母は彼を手伝った。そして、コロッケのみを作った。母は感謝していたが、私が言わないと作らなかったくせにと思ったし、父は何品か作れと私に言うくせに何も言わないのに腹立った。
そして、私にはありがとうの一言もないのが嫌だった。

この状態が続き、私は20歳を過ぎてから、コロナで家にずっといたこともあってなのか、弟への怒りが頂点に達したとき、泣いて色々訴えるようになった。
自分でもやっかいだと思う。しかも怒りと涙で喋っている、親も私が弟を嫌っていることを知っているなどから、私の意見は1/100も伝わってない。

私は去年、やっと父親が怖くてこういうのが嫌だと言えなかったと伝えた。
普段は仲がいいため、怖がられていたとは知らず、ショックを受けていた。
しかし、父は私に、「じゃあ今色々言ったから、もうこれでなし、水に流すでいいな」と言った。

水で流すでいい訳がない。

私の弟に使った時間は?そしてこれが弟に何も伝わっていない。感謝もされていない、怒られてしかいないのに。

祖母や両親はまずあなたが変わりなさいと言ってくる。どうして自分をあいつのために変えないといけないのだろう。そして、この話し合いの場に弟がいて、こう変わるのかとわかっていないなら、あいつが一生変わることはないだろう。親が私の言い分をよくわかっていないのだから、弟に何か言うとも思えないし。

でも色々言ったが、平行線で結局わかってもらうことは無かった。

親に言われたことの中に、弟の扱いが酷いと言われた。
おかずをあいつから遠くに置くとか何か他にも色々言われたが、まったく身に覚えが無かった。
私の性格上、雑なところがあるため、出来上がった順に左から置いていく。
それを遠ざけていたとか思われていたのは心外だった。

最後に弟と喧嘩したとき、私が死ねと言うと、お前が死ねと言われた。私の人生の色んな時間を無駄にしてきたこいつに言われるのは本当に腹がたった。
弟が大きくなって、父は弟を色々手伝いさせるようになった。私はそのときはだいたい寝ていた。弟が言うには、自分がこんなことをさせられているときに寝やがってと思っていたらしい。

私からすれば、宿題を終わらせて、遊んでいたこいつのせいで雪かきや年賀状を作らされていたのだから同じだろと思うし、むしろ私のほうが小さかったのと、親に怒られるしか報酬が無いのではこっちのほうが大変だったと思う。弟はゲームセンターにつれていってもらったり、お昼好きなご飯を食べさせてもらったり、友達と遊んだときのお金は父親からもらったりとしていた。

でも、弟は私の苦労をしらない。

私は泊まりに行く宿を調べろと言われ、よくわからず調べて、怒られて、結局母親の選んだ宿に行くとかもあった。虚しい。

こんなのが何度もあれば、頑張ることもやめるし、やって怒られるくらいならやらずに怒られればいいと思う。たまに、私がやらなければその仕事が弟にいくし。

これは私と弟が父のためにしたこと。
父に頼まれたとはいえ、宿題をみたというのは弟のために時間を使ったこと。

では、弟は私のために何をしてくれるのだろう。あいつも私のために時間を無駄にしてまで何か嫌な思いをしてくれることなんて、あるのだろうか。

多分もうないと思う。まともな会話をしないし、関われば余計な時間を使うだけとお互いわかっているから。

親の育て方のせいと、普通思うのかもしれないけど、私にとっては弟がいるせいに変わる。
親は嫌えず、弟だけを嫌う。

今でも何か腹がたったときとか、こういうのをふと考えると、涙が出てくる。
そのたびに、忘れろ、忘れろ、忘れろって自分に言い続ける。

親にはきっとわかってもらえない。もうずっと、わかってもらえない。

私があのとき、もっと嫌だとはっきり言っていれば、こんな悲しい思いも、怒りも無駄な時間ももっと無くなっていたのかもしれないのに。

家族は好き、だから家族との関係はずっと続くだろう。
そして、たぶん、あいつもどこか遠くに行って家族と疎遠になるタイプではない。
だからきっとこの悩みはずっと続くだろう。
親か、私か弟どちらかが死ぬまで。

私が死んだとき、あいつは何を思うだろう。
あいつが死んだとき、私は何を思うだろう。

前に少しこのITAKOTOさんの企画を母親に話したことがある。見られたくない気持ちと、私のつらさを一部書いたこの文を見てなんて思うだろうという2つの気持ちがある。
たぶん見たところで、まだこんなこと言ってるのかと思われるくらいだろう。

親は恨んでない。初めての子育てなのだから、こういうことだってきっとあるんだろう。
わかってる、頭ではわかってる。

でも、20年分の恨みと憎しみでできたこの弟への感情はたぶんもう変わらないと思う。
今はもう仲良くしたいとも思わないし。
親は悪くない、悪くないよ。
でも、私はそう思うから、弟を嫌うことくらい許して欲しい。そっとしておいてほしい。呼んでこいとか、伝えてとかわざわざ私と弟を繋げるからまた拗れるんだよ。
そっとしておいてくれれば、少しは改善する可能性もあるかもしれないから。もう少し、私達に時間をちょうだい。

今のこのつらさは、子供の時の私が勇気を出して、いやだと、ただ3文字伝えるだけで少しは変わっていたのかもしれない。

涙が出てきた。忘れよう、忘れよう、忘れよう…。

#家族の心のこり


ITAKOTOさんの家族の心のこりのテーマを見て、文にまとめてみるかと思ったけど、あれも説明したい、これも説明したい、怒りはまだまだある!ってなりながらもとりあえず一通り書いてみた笑
無いとは思うけど、もし、もしもこの文を誰かが読んで何か思っても、私や親を責めないで、慰めもやめて。もうHPはゼロだから…自分で言うのは良くても、誰かに今回のこの辛さを批判されるのは苦手…。



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