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whistling&daysという屋号

家にいても、2歳の息子が放っておいてはくれないし、廊下にぽちぽちと落ちている小鳥の糞が気になって糞跡を追いかけるように掃除を始めてしまうし、破れた障子が気になって、あの障子を張り替えるが早いか、障子を外して布にかえるか、ブラインドにするか、ブラインドにするなら木製か紙製か、もうそんなことばかり考えて気が散る。

しかも今日はおむつを洗濯機で回してしまったし、これを2週間前にさかのぼると、実はおむつを洗濯機に回したのは2回目、さらに新しくしたばかりのほぼ日手帳まで洗濯機で洗ってしまい、洗濯の分野では2020年はいまのところトラブル続きだ。

以前であればひどく落ち込んだものだが、今日のわたしときたら「あれ!!!この前は高分子ポリマーのつぶつぶであんなにヤラれてしまったのに、今日は全然ふくれてない!それどころかおむつも洗濯物もノーダメージだ!一体前回と何が違ったというのか!なにはともあれ、神様、ありがとう!」なんて、感動すら覚えている。

ついこの前がっかりしたことを忘れて同じ失敗をする自分の問題点はさておき(それにしても、日常はどうしてこうも、「トラブル」がおきるんだろうなぁ。何事もない日々が年に数日くらいはあってもよさそうなのに。)、このながれで、自分の屋号を説明したい。

わたしは、去年の8月8日に開業した。

主婦であり、「自営業者」だ。

このために、コツコツとお金をためたり、勉強をしたり、やりたいことやビションを明確にするようや準備をしてきたわけではない。

「娘の通う無認可園が無償化の対象にならなかったから、無償化の手続きをとるためには働いているという証明が必要だったから、自営業になることを選択した」という、完全に国家権力により背中を押された形での開業だ。

でも、収入を得ない主婦として家事と育児と自分探しに徹していた10年の間、常に自分のワークライフバランスについては考え続けていたので、自分で自分の生き方や時間や命のかけ方を選択できる自営業というのは常に選択肢のなかにあったので、「いいチャンスをもらった」と思っている。

とはいえ、これまでだれかから賃金をいただくような働き方しかしてこなかったし、賃金を得ていた仕事(看護師です)からはだいぶ離れたことにチャレンジしようとしているので、正直、実力も自信もコネもツテもお金もない。

それでも、わたしなりに蓄えてきたことは何かの役に立つと信じたいし、自分に何ができるかをもんもんと模索し続けた人生の大半の日々を「いい経験だった」と胸を張って言えるように、腐らずに感じ考え続けた日々を肯定できるように、残りの人生にかけてみたいと思っている。

そんななか、開業するにあたり、屋号が必要になり、なににしようか、あれはどうか、これはイマイチか、とあれこれ考えあぐねたあげく、『whistling&days』と名付けてみた。

whistling=口笛、口笛を吹くような日々を、とでもいおうか。

わたしは、日々の暮らしのなかで、口笛を吹かない。

歌を口ずさみながら家事をすることもなければ、テレビをみて声を上げて笑うこともない。

どちらかといえば、目くじらを立てながら毎日をおくっている。

なんなら、歯ぎしりをするか、歯を食いしばるように暮らしている。


もちろん、そんな日々がいいとは思っていない。

かたや、仕事から終電で帰り、家族みんなが寝静まった真っ暗な家に戻って、重い荷物を下ろすと同時に深いため息をつき、レンジのない我が家で冷えたご飯と冷えたアジフライを食べる夫は、休日になると鼻歌どころか時間をみつけてはオカリナを吹き、小鳥に餌付けして芸を仕込み、お笑い番組をみては声を出して笑っている。

夫の性格が羨ましいとはおもわないが、少なくとも口笛を吹くようにかろやかな時間をもっている。

わたしも、奥歯のすりへるような暮らし方ではなく、口笛を吹くような暮らし方がしたいのだ。

ある占い師の方に、「あなたはこどもたちに、こんなにのびやかな名前をつけているのに(こども4人の名前はぜんぶ、自然界に基づいていたり、自由闊達に成長してほしいという気持ちがありありと伝わる言葉になっている)あなた自身がとても窮屈だ。人にはさんざんユーモアを与えておきながら、自分自身にはこれっぽっちもユーモアを与えられていないではないか。」と落ち込むには充分すぎる助言をいただいた。

それが一人ならまだしも、カウンセリングのようなことを受けると必ず「自分へのユーモアがない」と指摘される。

夫は、急に魚を飼い始めたり、小鳥を飼い始めたり、小鳥と会話するための本を図書館から借りてきたり、ギターをひいたり、ジャンベを叩いたり、オカリナを吹いたり、どこそこで木の枝や蔦を拾ってきては小鳥のとまり木を作ったり、釣れないけど釣りをしたり、半径50センチくらいのなかに自分を楽しませるものを持っていて、「ここではないどこか」に憧れたりはしない。

わたしが「ここではないどこかに行きたい」といったら彼は、「ここではないどこかになんの価値があるの?」といった。

夫の趣味とわたしの趣味が重ならないので腹立ったり嫌気がさすことも多々あるし、↑の言葉にもカチンとこないでもなかったが、彼の生き方のほうが楽しいにはまちがいない。(仕事のストレスは半端ない様子だが。)

『機嫌よくすごしたい』

2020年以降、人生の目標だ。

機嫌よく、かろやかに、ほのぼのと。

今はまだかけはなれているけど、そのあこがれに少しでも近づくために、

『whistling&days』

口に出して自己紹介したり、誰かに呼んでもらったり、この響きを浴びていくなかで、少しでも近づいていきたい。

言霊に頼る、まずそれが一歩目。






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