振付師インタビュー⑨ HIPHOP【YuKKO】
世界を舞台にするパワーの根源はダンスへの愛
1つ1つのステップに想いを込めこの舞台で創り上げるものとは
◆見よう見まねで始めたダンス・多くの偉大なダンサーが導いてくれた
ーーダンスを始めたきっかけは?
中3から始めました。その時まではバスケをずっとやっていて。
文化祭でSFC高校のダンス部の先輩を見て「かっこいい!」と思って、
バスケ部引退後から横浜駅のHMV前で練習をしていたダンサーに声をかけました。LockとかBreakのダンサーが多くて、見よう見まねで始めました。
高校でダンス部に入って、その時はHIPHOPをメインに、LOCK、GIRLS HIPHOP、JAZZ、HOUSE・・・とにかく貪欲に踊りまくっていました。
ーー影響を受けたダンサーは?
W+I&Sでは岩瀬大輔、しんさん、ゆずるさんのWSに参加して凄く影響を受けて、W+I&Sの舞台での姿をずっと追いかけてたくらい影響を受けたと思ってます。
JADEのはやとさん、てるさんの大御所ダンサーには本当にHIPHOPの魅力を教えてもらって。
もちろん、 WRECKING CREW ORCHESTRAさん、Yoshieさんも影響力は大きかったです。
ーー心の残っている舞台は?
JADE公演“MIRROR”の豊隆曲に女一人出演した事。
あのナンバーほど、自主練した曲はないんじゃないかな、っていうくらい必死で。身長や性別を超えて「ダンス」で魅せたいっていう気持ちが凄く強まったナンバーです。
あとは2006年の三田祭の自分の曲。
58人のダンサーがでてくれて、みっこさんの影響もあって“ONE STEP ONE LOVE”の気持ちを凄く大切にして創り上げた曲です。
自分の踏み込むステップ一つ一つに気持ちを込める大事さ、これを改めて感じたんです。
◆“ダンスが出来ない期間”がよりダンスへの愛を深くしていった
大学3年生の時に病気をして半年休学をしました。その時にずーっと走り続けてきた中で休憩せざるを得ない状況になったんです。
でもそのダンスを出来ない期間、っていうのが私のダンスへの気持ちとか姿勢を変えました。
その期間で自分のダンスへの愛を再確認したというか、「ダンスがなきゃ私じゃない」という気持ちを凄く強いものにしてくれた。
実際、生死彷徨って、生き返ったのがJADEのみんなが本番中に、私に向けて声出してくれたおかげだと今も思ってる。
明確にプロを意識し始めたのもその時期です。
◆基礎を学び直し世界の舞台へ
卒業後、大阪へ。
BASEに一年通って、ダンスを基礎から学び直しました。
その期間で得たものは本当に大きくて。いまにつながる大切な出会いもたくさん。
いまは、EL SQUAD(イーエルスクアッド)としての活動、私個人のレッスン、インストラクター、そしてWrecking Crew Orchestraの舞台に出演しています。
今後はいつか自分の舞台をプロデュースしたいと思っています。
いろいろな人を巻き込んだ、ストリートダンス+演劇のような。
壮大な舞台をロングランで、これが今も私の夢です。
◆自身の経験を活かし、舞台の良さもダンサーの良さも最大限に
ーー今回の曲の構想は?
テーマ的にはちょっと暗い雰囲気からの疾走感。
全体の流れを崩さずに、クライマックスにつなげたいと思っています。
アンフィシアターの舞台に自分がたった経験を思い返し人数は多めを想定しています。
コマはふざけつつ、笑いが絶えないナンバーにしていきたいです。
絶対楽しい!変な固定概念で私を見て欲しくないし、ビビってほしくない。若手にも上の代にもたくさん出てほしいです。
つまり、とにかくやる気十分です!(笑)
ZENONは代が移りゆくっていうイメージがないんです。
だからこそ初期からずーっといるメンバーにも出てほしい、下の代に譲る気はねえ!っていう気概で(笑)
色々な輪を作るいいきっかけにしてほしいです。
Hiphopは曲の主体になるとは思うけど、他のジャンルの人にもどんどん出てほしいです。