公共選択論から(私が)見た業績測定(事務事業評価)

コラム第2弾と言うか、勉強したことの備忘録になります。なお、公共選択論と業績測定の入門書を1,2冊読んだ程度の素人の感想です。

公共選択論の一分野に「官僚制の分析」があります。その代表例に「ニスカネンの予算最大仮説」があります。これは、“官僚の私益は、予算規模が大きければ大きいほど増加する”。そのため、官僚は最適水準を超えて予算規模を大きくする指向を持っている、という仮説です。
ニスカネンモデルでは、官僚は公益を目指して滅私奉公する存在ではなく、自らの利益を最大化しようとする政治アクターとして捉えられます。
そんなに単純かな?とも思いますが、モデルを複雑にしないための最大公約数としては妥当だとも感じます。

言葉で言っても、”なんのこっちゃ”なので、具体的事例をグラフで示すと下図のようになります。

これは、何もない平坦な土地に道路を通すことを想定したものです。
何もないところに道路ができれば、住民の利便性(便益)が増加します。ただし、道路が一本増えるごとに便益が増える割合は低下していきます。これを表したのが右下がりの直線MBです。
一方、道路を一本増やしても、増やすごとにかかる費用は変わらないので、道路を増やすたびに係る費用は水平線MCになります。
MBがMCの上にある限り、住民は道路が増えるたびに、費用を上回る便益を獲得できます。従って、MBとMCの交点Aまでは道路を増やすメリットが存在します。点Aまで道路を増やした時点までに住民が獲得する”便益-費用”の総計は三角形Eの面積になります。
Aを超えて道路が増えると、”便益-費用”がマイナスになりますから住民にとっては損失です。点Bまでに住民が被った損失の総計は三角形Fの面積になります。三角形EとFの面積は同じになると仮定します。

※ 一般的な総便益、総費用に基づくグラフに書き直すとこんな風になります。(グラフのゆがみはご勘弁)

ここで、議会、官僚について重要な仮定が三つあります。

・議会は道路の建設に要する費用を知らないが官僚は知っている。。
・議会は建設計画案に関する住民の評価を知ることができる。
・議会は提案された建設計画案に”はい”か”いいえ”の二択しかできない。

この三つの前提の下で、官僚が私的利益を最大化するためにとる行動は、道路本数をBとする予算案を議会に提案する、ということになります。
議会は費用についてわかりませんので、本数Aでの道路計画が最適なこともわかりません。一方、点Bを超えて点Cまで本数を増大させると、総費用>総便益という道路計画になるので、住民の評価が悪くなり、議会は賛成できません。
本数Bでの予算案なら、住民も”総便益=総費用”ということで、ぎりぎり支持を与えます。議会は住民が支持するこの計画案に賛成することになります。
※実は四つ目として「住民は提案された建設計画案の総費用と総便益について正確に判断できる」が仮定されているんじゃないか?と思います。

このモデルの味噌は、次の2点だと思います。

①本数AからBの間での建設計画案は、住民に提案されていないので、住民はそれを評価することができない。
②議会も道路建設費用がわからないので、提案に対する住民の評価を拠り所に判断をするしかない。

”道路建設に要する費用”というカギとなる情報を官僚が独占していることによって、B-Aの予算が無駄に使われることになります。
[R6.03.01追記] こうした状況を”情報の非対称性”と経済学では言います。

現実がもっと複雑なことは間違いありませんが、情報公開とりわけ費用(インプット)と便益(アウトカム)を議会と住民がわかるようにする業績測定(事務事業評価)の重要性を簡易なモデルで示しているんじゃないか、と感じました。

今回、私が勉強したこの本にはもう少し高度な話(官僚制について)もありますが、私の説明能力を(主に数学的に)超えているので、これ以上は立ち入れません。
本書では、農業保護や社会保険制度から二院制の利点まで、様々な論点が公共選択論の立場から解説されています。もし、興味を持たれたら、一読をお勧めします。