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放送法 第四条・・・その2

先日載せたんですが、どーも伝わらないみたいで、四条は大切だっていろいろな方に言われました。

で、もう少し書こうと思います。

さて、例えば昔、食品に「賞味期限」なんて表示はなかったんです。

だから自分で判断して、食べるか捨てるか判断していました。

それで十分生活出来ていました。

ところが最近、賞味期限を過ぎると、全く問題ないのに捨ててしまう人が多くなりました。

本当は「賞味期限」は食べられるか食べられないかを判断するものではないけど、今はその事は関係ないので置いておきますね。

人間は何かに判断を委ねると、その判断が出来なくなるんですね。

そりゃそうですよね、考えなくても教えてくれるんですからね。


例えば、日本は民主主義ですけど、民主主義って面倒ですよね。

独裁ならいろいろなことがパッパッと決まってスムーズですよね。

とはいえ、独裁国家って怖いっすって思うのも、隣の国を見れば明らかです。

じゃ、良い独裁者ならどうでしょうね。

国民の為になる政策を独断で次々に決めていけば、民主主義みたいに時間もかからないし、間違える事もないし、任せっきりで幸せになれますよね。

でもですよ、独裁体制に決めてしまうと今は良い独裁者でも、次悪い独裁者になったときに変える事が出来ないし、そもそも判断しなくなった国民にとって、それが悪いのかどうかも判断が出来なくなっているかもしれません。


独裁者が食品会社と関係が深いとします。

消費期限を今より1日短くしたらどうですか?

国民は今より1日早く捨てるので、新しい食品を買うサイクルが早くなって、結果今より儲かります。

でも、賞味期限の判断も出来ず、良い指導者なのかも判断が出来なければ気が付くこともありません。


放送法四条が厳格化されて、これが公平だって国民が思い込んでいるといつしか公平なのかを疑わなくなります。

そうなると、それこそ国民は馬鹿になります。


放送は公平になんかしなくていいんです。

公平にするよりも、公平ではない事を認識することの方が大切なんだと思うんですよね。

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