分析:マントラは何故眞言なのか。
これはワシのメモ、資料です。このPDFの真言宗の方は、マントラ・真言の意味を全然分かっていない。沢山、マントラを表す漢文があることを悩んでいる。真言で蛇が下がり文章をこじくり回すのみ。(*_*;
ワシは出された資料を読んで色々わかった。ここにある著者の解説はデタラメの妄想だよ。PDFを抽出し、日本語を直しながら読んだ。
金本拓士
われわれ眞言宗徒は、その宗派の名前ゆえ、あまりにも当然のごとく「眞言」という言葉を使用している。
「眞言」はサンスクリット語のマントラの訳である。
例えば、一般的な辞書の『スーパーニッポニカ2001』の「眞言」の説明の項目では、
「密教における仏菩薩などの本誓 (人々を救済しようとするもとの願いを表す秘密語、密呪。 サンスクリット語のマントラmantraの訳。 呪、 神呪などとも。比較的短い呪を真言、長い呪を陀羅尼という。
この説明は、おそらく誰も異論がないだろう。
またマントラという言葉を眞言と訳する理由について述べたものとしては、善無畏、一行による『大日経疏』があげられる。
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真言はサンスクリット語でマントラと言う。すなわちこれ真の言、その通りの語、偽でなく異ならない音という意味なり。龍樹の釈論(釈摩訶衍論)ではこれを秘密の呼び名と言い、旧訳では呪と言う。(これは)正す、翻してないなり。
しかし、後で見るようにマントラという言葉自体には「眞語」あるいは「不妄不異」という意味が出てこない。 では一行が「大日経疏』で言うように「眞言」がマントラの正しい翻訳であるとしたのは何故なのか。 そこで、マントラの言葉の意味の再確認と「眞言」と訳されるに至った背景を考察してみることとする。
一、マントラという言葉の意味
まず、マントラ (mantra) の言葉の意味をモニエルの梵英辞典から見てみると、「聖なるテキスト。祈り、讃歌、ヴェーダ讃歌。あるいは儀礼文句、神に対する聖なる文句、呪文、魔法」などの意味が述べられている。
どうやら、もともとマントラとは神々に対して賛嘆する祈りの言葉全般を言い、ヴェーダの讃歌の文句を指すものであったようである。
また、『ENCYCLIOPEDIC DICTIONARY YOGA」の「mantra」の項目では、先にあげたモニエルの意味に加えて、「マントラとは、言葉が通じる、通じないに関わらず、霊的な音素を表象するもの。」と説明する。
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二、 大乗仏教の経論に見られるマントラ
次に仏教においてマントラはどのように訳され、使用されてきたのかを概観してみる。 本来ならば阿含経(一番古いんだ)から検証してみなければならないが、問題は、密教を中心としてマントラがどのような意味で、どのように訳されてきたのかを見るのであるから、ここで密教以外の大乗仏教文献で、なおかつ梵本で確認できるものを数例提示することとする。
「八千頌般若経」
『八千頌般若経』の第十七章の不退転品の中のマントラでは、
「女たちを魅惑する呪文、祈祷、薬草、まじない、薬品など」(傍線金本)
また漢訳では「呪術」(摩訶般若)、「符祝行」(道行般若)、「符術」(大明度経)、「呪術」(小品般若)と翻訳されており、まじない的な意味合いがこめられている。
「法華経」
『法華経』においてマントラという言葉は梵本で十ヶ所使用されている。マントラを「言う」という意味の動詞として使用しているもの、あるいは羅什、竺法護がとくに漢訳を付けてないものを除けば、訳としてはいずれも呪、神呪である。
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ただし、『法華経』の場合マントラはほとんど「陀羅尼品」にあり、
「世尊よ、私たちはこの『正しい教えの白蓮』という悟りに入る門を身につけたり、書物にしたりする良家の息子、あるいは娘たちに、彼らを神(鬼)から守護し、保護し、防御するために、ダーラニー(繰り返し)の呪句を与えるでありましょう。」
ここでは、マントラは、陀羅尼(ダーラニー)と対になっており漢訳では「陀羅尼の神の呪」と訳している。また 『正法華」では「総持句を誦し、尋で呪に曰く」 として、 dhāraniとmantraを分けて訳している。
『法華経』のこの部分では、マントラ(陀羅尼と合わせて)を仏教者を守護する呪文として使用されている。
「楞伽経」
『楞伽経』におけるマントラは、二種類の意味が表されている。 一つは仏教者を神から守護する意味でのマントラ。 もう一つは、外道の言葉として遺棄されるべきものとして使われる。
まず後者の場合のマントラの使用例を見てみるならば、「種々の密かな呪 (mantra)と弁才 (巧みに話す能力・pratibhāna)とをもっているローカーヤタ(lokāyatika)の徒は、 恭事(礼儀正しく仕える)すべきでなく、尊敬すべきでなく、供養すべきでない。」とし、 漢訳では「世間の諸論(議論)、種々(種類が多い)の辮説(組み合わせた説)に慎(つつし)んで習近(近づき習う)することなかれ。もし習近(近づき習う)する者あれば、貪欲を摂受(摂り受け)し法を摂受(摂り受け)せず。」(求那跋陀羅の訳)。
盧迦耶陀=音訳:ルカヤ・トゥオ派。というのがあるんだ。
「盧迦耶陀の種々の辮説(組み合わせた説)あって、もし彼の人に親近し供養する者あれば、貪欲を摂受 (摂り受け)し、仏法の食を摂受(摂り受け)せず。」(菩提留支の訳)。
「盧迦耶陀の呪術の詩論は、ただ能(よ)く世間の利財を摂取し、法利を得ず。 法利を得ざれば親近し承事供養をすべからず。」(實叉難陀の訳)。 と訳されている。
ここでのマントラの使用例は、たしかに實叉難陀訳では「呪術」と訳しているが、先の二訳に「呪」という文字が見られない。はたして両訳の原本
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にマントラという言葉があったのかどうかはハッキリしないが、「貪欲を摂受し」という文意を考えるならば、「辮説(組み合わせた説)」という言葉に呪術的な意味合いが込められており、おそらくmantraという言葉の訳であると見ていいだろう。
辮説=の意味の解説はどこにも無いんだ。しかし「辮」から、あむ。糸をあむ。髪をあむ。くむ。組み合わせる。という意味に思える。少なくても辮(あむ)なので呪術的な意味、マンダラという意味ではない。
次に、前者においては第十七章「陀羅尼の品」にあり、その内容はだいたい『法華経』の「陀羅尼の品」と同じで あり、漢訳も「呪」「神呪」と訳されている。
ただし、梵(サンスクリット語の)本の「陀羅尼の品」には、名詞としてのdhāraniの言葉が見られないが、玄叉難陀訳ではmantra-padaを 「陀羅の尼」と訳しており、 マントラと陀羅尼の厳密な区別がないようである。
また求那跋陀羅の訳には、「陀羅尼の品」が存在していないところから、先の『法華経」のように、仏教者を守護するための陀羅尼、あるいは「マントラ」は、経典が成立してから後になって付加されてきたものだと考えることができる。
「瑜伽師地論」
最後に『瑜伽師地論」においてのマントラの使われ方を見ることにする。 この中でもマントラはまじない的な意味で使われている。
「衆生の多病、事故、不幸を息滅するマントラ句(漢訳:呪句)、ヴィドゥヤー句には、他に随えば成就しないが、かの(菩薩)に随う者は成就する。」
「毒、重い熱、魍魎に取りつかれる等の不運を息滅する、もろもろのマントラ (漢訳:呪術)をより所とする禅定」
「祭祀(生贄で神を祀る)におけるマントラ儀礼(漢訳:呪術)にしたがった生命の殺害」
さらに、『瑜伽師地論』では陀羅尼に法、義、 呪、 忍の四種の意義があるとし、法陀羅尼は、あらゆる物事を
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忘れることがないことであり、義の陀羅尼は、法の意義をよく理解することであり、忍の陀羅尼は、心を堅固に保ち、心静かに寂静なる場所において、わずかな食べ物をとり、ほとんど眠らずに瞑想することをいう。 そして呪の陀羅尼(mantra-dhārani➡︎呪いを繰り返す) とは、
「菩薩はそのままで三昧の力を獲得する。 それがそのまま息滅のための衆生を加持するマントラ句(呪章句=呪いの章の句)であると言われる。その(マントラ句が) 成就を現す。
無数の種類の病を滅するために空しからざる(=むなしく無い)最高の悉地(悟り)となる。これを菩薩のマントラ陀羅尼と言う。」とされ、菩薩の徳目として位置づけられている。
以上のことから、大乗仏教では、マントラを、まじない等の悪い意味としてとらえている側面と、衆生を救済するための側面を持っていることが伺える。
また、これらの経文から、少なくとも玄奘までの漢訳者たちは、マントラを「呪」という字によって表現していることがわかる。
三、密教経典のマントラについて
大乗仏教経典は、マントラを「呪」という文字によって表現してきた。 この「呪」という文字について、 漢和 辞典では「もと、祝と同じで、人が神前で祈りの文句を唱えること。」と解字している。この意味からするならば、本来のマントラの意味である神に対する聖句をそのまま表現しているものであると考えられる。
それでは、なぜ一行は正しい翻訳ではないと考えたのであろうか?それまでの大乗仏教経典とは違う密教経典にマントラを「眞言」という違う言葉で翻訳したのであろうか。
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そこで、はじめに実際に『大正蔵』 密教部に納められている密教経典でどのようにマントラが訳され、使用されているかを概観してみる。 まず 『大正蔵』密教部の密教経典は、翻訳の時代によって大きく二つに分けることができる。それはマントラを主に 「呪」で訳している玄奘の時代の頃の翻訳であり、すなわち「大日経疏』が言うところの旧訳の時代。
もう一つは一行を中心として、「眞言」という言葉が使用され、翻訳の語として定着してい く新訳の時代である。
玄奘以降の旧訳の時代で、一行が活躍した時代に近い翻訳者として、菩提流支 (~七二七)、般刺蜜帝 (七〇五頃)、寶思惟 (六九四頃)、佛陀波利 (六七六頃)、杜行 (六七九頃)、 地婆訶羅 (六八八頃)、義浄 (六七 一~七一三)などがあげられる。
この翻訳のうち、菩提流支のみ「眞言」の文字が見えるが、他の六人の翻訳には見られず、「呪」か「陀羅尼」という言葉が用いられている。この点からするならば、七百年代前後、一行が「大日経』の翻訳に参加した頃に作り出された言葉であると考えられる。
しかしそれ以降、マントラをすべて「眞言」として翻訳していったかというとそうでもない。 まず、『大日経』を翻訳した善無畏の名前があげられる密教経典の中、例えば『千手観音造次第法儀軌』は、 最初の序文に「眞言」を使用しながらも、実際のマントラをとなえるところで、「密語日(密語を曰く=密語を言う)」と訳しているところが見受けられる。
もし 『大日経』以降にこれが訳されているとするならば、まだマントラをすべて「眞言」と 訳するまでには至っていないようである。
さらに、金剛智や不空が訳した経典の中には、「眞言」と一緒に「密語」「妙言」「明」といった言葉が使用されており、また善無畏においても言えることであるが、「眞言」などの訳語を出すときは、「呪」の訳語を使用して
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いない。これは密教経典を翻訳する際に、「呪」ではない、新しい訳語を模索していった状況が伺える。 それは、「呪」という文字自体に道教の「呪禁」という意味合いが受け取れるからかもしれない。
そのことについて、湛然(711年 - 782年)の『法華文の句の義(道理)』の中の「陀羅尼の品」の注釈で、陀羅尼は総持と訳し、呪と名づけるとし、
「新訳、並びに明をもって名づけるのは、古人は秘密を見て訳してない。例えばこの土の禁呪などの法のように。 すなわち呪をもって、かつて翻して名づけり。今言うのは、皆これ、如来難思(思議=あれこれ思いはかること、考えをめぐらすことが難しい)の秘密の眞言の種子なり。」と説明しているところから、
湛然の生存していた頃には、「眞言」という言葉が新訳として一般的になってきたことが伺え、ま た湛然の説明から、 「呪」では現せない如来の秘密を示すために 「眞言」の訳が創られたことが推測される。
次に密教における「眞言」を考える場合、ただマントラを唱えるだけの呪文を指すのではなく、『大日経』 で説かれるところの「眞言行を修練する菩薩」という言葉も関係あるのではないか?つまり、ここで言う眞言行を修練するということは、マントラを唱えることによって悟りを得る方法を持つということではなく、マントラを唱えることをも含んで三密門を修練する行全体を指して「眞言」と呼んでいるのではなかろうか。その観点からするならば、マントラを「呪」と訳すのではやはり、密教の教えを上手く伝えることができないと考えたのではなかろうか。
それは、アドヴァヤヴァジュラの 『tattvaratnāval』 の中で説かれるように、インドでは、大乗仏教を波羅蜜 理趣(pāramitā-naya)とマントラ理趣 (mantra-naya) との二つに分けていることからも推測される。つまり、 「マントラ理趣は、あまりにも奥深い(教え)の故に、奥深い理趣(正しい筋道)を信解(仏法を信じることによって、その教理を会得すること)する人を対象とするゆえに、四種の印契(ムドラーだ)などの成就法の解説が広大であるゆえに、我々はここで明らかにしない。
そのような(マントラ理趣の教え)は、 同じ意義をもっていても、無痴ならず、 多くの方便を有し、劣った行ではなく、すぐれた気根(根気と精神力)を対象とするから、
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マントラの教えは優れているのである。」
つまり、インドにおいても、四種の印契などの成就法を有するマントラ理趣は大乗の教えの中でも優れていることから、波羅蜜理趣と区別しているのである。
この考え方が、中国においてもあったからこそ、あえてmantra-nayaあるいはmantra-caryāを「眞言の行」と翻訳したのではなかろうか。
例えば、金剛智の翻訳の場合、次のように「眞言」と他の翻訳語とを訳し分けをしている節がある。
「もし、眞言の行をする人、 三十万回、持経を読誦(唱えれば)すれば、一切の眞言の主、および金剛界曼荼羅王は、皆ことごとく集合一時に成就して、 大金剛位乃至普賢菩薩位を得る。 その時、世尊(世の中で最も尊い人=釈迦)はすなわち、明を説いて言う・・・」
「眞言の行の者、貪瞋癡などの煩悩を起こさず、不覚に三宝に帰命し、 善根(善なる根)をもって六道を回向する者は、必ず無上菩提を証す。行者諸の穢処に烏瑟樞摩金剛呪を用いて五処を加持す。 右手の四指を以て拳を作し、直ぐ竪てて弾指す。 密言曰く・・・」
「我今、迎請の陀羅尼を説く。 眞言行者先ずこの陀羅尼の迎請を誦しおわって、然る後に念誦せよ。陀羅尼曰く。・・・」
以上のように、眞言行者という訳と「明」「密言」「陀羅尼」というように分けていることから、「眞言行」、すなわちマントラ行を意識したものであると察せらるのである。
まとめとして
以上、密教教理が隆盛していく中で、「呪」から「眞言」への翻訳の相違を見てきた。それまでの大乗仏教に
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はなかった、マントラ重視の密教が中国において権威を持つためには、それまでの「呪」という道教の教えと見紛うことのないように、またその密教の教えが四種の印契などの成就法を有するマントラ行を中心にしていることから、新たな言葉「眞言」を創りだしたと見なされるのではないか。
それゆえに、一行は、あえてマントラを「眞語、如語、不妄不異語」と考えて「眞言」と名づけたのであることが理解できる。
最後に、私見ではあるが、この「眞言」という字を選んだもう一つの理由があるのではないか。
これは確証はないが、弘法大師の『般若心経秘鍵』の中に説かれるところの「眞言は不思議なり。観誦すれば、無明を除く。 一字に千里を含み。即身に法如を証す。」という文句でいうところの「一字に千里を含む」ことから「眞言」と いう言葉が創られたのではないか。つまり、ここで言う「眞言」の「眞」とは、「眞実」の意味ではなく。「眞」 という字そのものが持つ本来の意味が「眞言」に込められているのではないか、ということである。 なぜならば、 漢和辞典の中の「眞」の解字の説明で、「金文は「ヒ(さじ)+鼎(かなえ)の会意文字で、匙(さじ)で容器 にみたすさまを示す。 充填の填の原字。」ということから、「眞言」という言葉には「眞実の言葉」だけでなく 「一字の中に無量の意味が充填されている」という意味から創られたのではないかと考えられるからである。
このことは、あくまでの憶測にすぎない。しかし、日本に残されている『一行阿闍梨字母表』という文書の中には、この「秘鍵」の言葉が残されている。 この文書は、偽書とされるが、もしこの文書が一行が書いたものであるとしたら、「眞言」という言葉の成立に、上に示した意味が込められている証となる可能性も出てくるので はないかと考えられる。
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言葉に無量の義があるというのは、インドから考え方であり、たとえばバルトリハリは著作の最初に、
「はじまりももたず終りももたない。(永遠なものである)ブラフマンは、コトバそれ自体であり、 不滅の字音である。 そこから現象世界の形成があるそれ(ブラフマン)は、意 味=対象=事物(アルタ)がとして [この世界に] 別の姿を とって現れてくる。」(赤松明彦訳 『古典インドの言語哲 学1』 十五頁 平凡社 一九九八年七月)
とあるように、言葉そのものが世界創造者であるブラフマンそのものであり、言葉からこれら現象世界が現れてくるとする。
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おわり
空海のマントラとマンダラの混乱
空海は自身の著書、『大日経開題』で「真言とはサンスクリット語ではマンダラと言う」と述べた。
しかし、
空海は自身のもう一つの著書、『声字実相義』において「仏界の文字は真実なり。ゆえに経に、真語のもの、実語のもの、その通り語のもの、嘘でない語もの、異ならず語ものと言う。この五種の言を、サンスクリットではマントラという。この一言の中に五種の差別を備えるがゆえに、龍樹は秘密の語と名付けた。この秘密の語を真言と名付けたのだ。訳者の一行は、五の中の一種を取って翻す(ひっくり返す)のみ」と記し、
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また『十住心論』において「真言とは且く語密に就いて名を得。若し具に梵語に據らば曼荼羅と名づく。」と記した。
しかし、真言・種子・経典・三昧を包摂するのが法の曼荼羅であるから、真言を曼荼羅の一つとして解釈すれば、「真言は曼荼羅である」と言えることから、「maṇḍala」の訳とする説は一般的ではない。
おわり
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