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2.入植者指導者らは暗殺前にラビンに対し「越えてはならない一線」を越えないよう警告した 

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ラビン首相は殺される前に、ラビたちにパルサ・ディヌラと呼ばれる処刑の呪いをかけられていた。それだけじゃなくて、殺される前のラビン首相に、このままでは、殺されるぞとと警告した者たちがいる話。

イスラエル・反オスロ合意デモ・ラビン首相暗殺以降、イスラエル自体も大きく変わった。リグルード党の計画通りだと思うが、イスラエルの国民は大事になっている。日本と違うパターンだけど、イスラエルも民主主義が無くなったみたいだ。😅

Settler leaders warned Rabin not to ‘cross red lines’ before assassination

新たに発見された国家文書により、イエシャ評議会議長パレスチナ人との和平協定締結は、シオニズムへの裏切りになると(ラビン)首相に語ったことが明らかになった。


ワシ:というわけでイエシャ評議会の説明

イエシャ評議会(Yesha Council)

イエシャ評議会は、ヨルダン川西岸地区(以前はガザ地区)のユダヤ人入植地の自治体評議会の統括組織で、ヘブライ語の名の頭文字をとってYeshaと呼ばれている。同協議会は、ヨルダン川西岸地区とガザ地区へのユダヤ人入植を推進するために結成された組織、グーシュ・エムニム(「信者のブロック」)の後継組織として1970年代に設立された。

グーシュ・エムニム(Gush Emunim)

グシュ・エムニムは、正式ではないが1967年の6日間戦争による征服から生まれ、宗教的な点と実際的な点の2点に基づいてイスラエルの土地へのユダヤ人の定住を奨励した。1974年のヨム・キプール戦争後、正式に組織として設立された。宗教的な点とは、トーラーによれば、神はユダヤ民族がイスラエルの土地に住むことを望んでおり、ユダヤ民族が祖先の故郷に戻る機会として、聖書のユダヤとサマリアのような土地を返還したという信念団体である。

ワシ:シオニスト組織ですな。(平和シュギ、左翼ぽいシオニスト??)

本編

By ToIスタッフ
2018年11月4日、午後6時36分

1995年9月28日、ホワイトハウスの東室で握手するイツハク・ラビン首相(左)とPLO指導者ヤセル・アラファトに身振りで示すビル・クリントン米大統領。
アラファトの後ろを見つめるエジプトのホスニ・ムバラク大統領。

新たに明らかになった国家文書によると、入植運動の著名な指導者らは、右翼過激派による暗殺に至るまでの数年間、故イツハク・ラビン首相に対し、パレスチナ人との和平合意を追求しないよう積極的に警告した。

チャンネル10が先週末に公開した文書は、1994年のオスロ合意署名後、1年後のラビン暗殺までに行われたラビンに対する扇動キャンペーンを巡る議論が、土曜日の夜、政治的に二分する故ラビン追悼集会によって再燃する中で発表された。

2016年9月11日、ヨルダン川西岸のヘブロン近郊、
キリヤット・アルバの自宅にいる元MKエリヤキム・ヘツニ氏。

1992年にイェシャ評議会の元議長であるエリヤキム・ハエツニが送った4ページの書簡は、西岸地区のユダヤ人コミュニティを立ち退かせたり、入植地に対する政府の財政支援を減らしたりすることは、ユダヤ教とシオニズムに対する裏切りであるとラビンに警告した。

「越えてはならない一線があり、それを越えればユダヤ人の中に前例のない分裂が生じるだろう」と彼は書簡の中で書いた。ハエツニ氏は、ラビンの名前がユダヤ人の歴史上の最大の敵の一人に挙げられる可能性に国民全体が「恐怖を感じている」と付け加えた。

この書簡には数百人の右翼指導者が署名しており、記録によると、1993年初頭に首相が書簡を受け取ったことが首相の補佐官によって確認されるまで、ハエツニ氏がラビン氏の事務所に何度も書簡を送っていた。

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