映画モアナからの気づき。 環境問題を憂う時に、私たちが見落としてはいけないこと
映画「モアナ と伝説の海」が、ディズニーでも1.2を争う素晴らしい作品だと思ったのだけど、あんまり話題にもなってなかったように思うし、レヴューを読んでみても「まぁ子ども向け」とか「映像は綺麗」とか、大した感想がなかったので驚いて、これじゃあ作った人ががっかりしちゃうよ、と、使命感にかられまして、私が素晴らしいなと思ったことを書いておこうと思いました。(ちょっとネタバレかもなので、知りたくない方はぜひ先に映画を観てね)
まず、え?と不意打ちをくらったのは、伝説では神様の心を盗み好き放題して世界を荒廃させつつある悪者という感じであった半神半人のマウイをモアナが訪ねて行った時、本人は全然その自覚はなくて、むしろ皆にとってヒーロー的な存在だと思っていたこと。
でも、薄々、自分がヒーローなのか自問してもいる。
彼が神様の心を盗んで、昼を長くしたり、山を引っ張り上げ、ココナッツを実らせ、などなどしたのは、実はすべて人間のために。
正確には人間のためにというよりは、自分を捨てた人間に喜んでもらうことをして、認めてもらいたい、受け入れてもらいたい、愛されたいという思いゆえに。
あぁ、そうなのです。
人間がここまで環境を破壊しながら突き進んできたのは、先人たちが「愚か」なのではなくて、「人間のためになる」という情熱ゆえに、なのよねぇ。
悪人も中にはいたかもしれないけれど、総意は人間社会をもっとよくするために、という動機であり、その善意を無視して悪行として糾弾しても、そこには感情のさざ波大波が起きてくる。
モアナがマウイにオールを突きつけて、「神様の心を返しなさい」と、教えられたまんまの強い言葉で迫っても、マウイは全く聞く耳持たない。
マウイがモアナの要求に譲歩し始めるのは、まずはモアナのどこまでもついてくる根性に驚いたから。
そしてその後、モアナがマウイの過去に何があったのか「聞かせて」と真っ直ぐに向き合ったこと、
モアナはマウイが話したことに対して「あなたはあなたの力でマウイになれたのだ」と優しく応える。
そして、力がうまく使えなくなって自信を失っているマウイに対して「一緒ならやれると思った」と、彼の魔法ではない彼自身の力を信じているのだと告げた。
そのことでマウイは変わっていく。
魔法の釣り針が壊れても構わない。
神様の心を返す。と。
自分自身を受け入れてくれる人ができたから。
今まで私たちが地球全体のバランスも考えずに突き進んできたのは、一人一人の個人的な「何もない自分が、学んだり獲得した力によって、社会に貢献することで受け入れられたい、生きた意味を自分で納得したい」という思いが混ざってしまっているからじゃないか。
あなたは何もなくても素晴らしいし、生きてる価値があるんだよ。
と誰かに、自分に、言ってもらえたら、もっとゆったりと全体の幸せのために力を使いながらこの美しい地球の恵みを謳歌できるんじゃないかな。
今、グレタさん達若い世代が強い声を上げていて、応援する人ももちろんいるけど、立場ある偉いおじさん達は苦笑いしたり、批判したり。
それはまさに、オールを突きつけられた古い世代が、やり過ごそうとしたけれど、彼女らの根性に驚いて耳を傾けようとし始めている、モアナのあの段階なんじゃないかな。
だからこの次に必要なのは、おじさん達の思いを聞くこと、そして彼らを駆り立ててきた「ヒーローでなければ価値がないんじゃないか」という恐れを、あなたのままでいいと優しく包み込んであげること。
それはきっと、オールを突きつけているまだこれから社会に出る若い彼女らよりは、
おじさん達と若い彼女らの中間の私たち。大人の事情や、暮らしていく大変さも身に染み始めている私(氷河期世代)達こその役割じゃないかなと。
新しい世代は違う未来を見ている。
そこに連なる私たち世代が痛みを超えて、生きてることを満たされて、心つながり、癒しあって、輝きを放って、彼女達の道をつなげていってあげたい。
普段、偉いおじさんとは全然接する機会のない私なので、おじさんに直接どうこうは、どうしたらいいのかすぐには思いつかないけれど、
トリートメントの講座で様々な年齢の女性たちと手を触れ合いながら、
それぞれの事情や大切なものを抱えている彼女達が、たとえ特別な何かにならなくとも、そのままで満たされて生きているだけで、たくさんのものを発するよ。
そんなことをこれからも伝えていくことが、まず思いつくことだなぁ。
「モアナと伝説の海」ポリネシアの文化にもすごくリスペクトを持って描かれていて、いろんな意味で素晴らしい映画です。
音楽も大好き。
まだの方はぜひ。
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