そうそう死なせてはくれない

去年、わたしは二度倒れた。どちらも低血糖症が理由で、このコロナ禍の中でそうなってしまったのは完全なる自己管理能力の欠如でしかない。

一度目。
その日は予定があって、その時間に備えて身体を起こそうと布団に横たえていた上体を起こしたら、ぱたん、と布団に逆戻りした。身体が起こせない。思い当たる節はあった、まともに食事が摂れなくなっていたから。
低血糖症か、と思い至ってすぐに布団横にたまたまあったグミの袋を開けて中身をざらざらと全て口に含んだ。それだけで糖分が足りてる筈がないことも分かっていて、何とか気合いだけで立ち上がって500ml入るボトルに大量の砂糖を入れて作った砂糖水を2杯、つまり1リットル近くは飲んだ。飲んだ筈だった。
そこで気合いにも限界が来てよろよろと布団へと戻った。けれど、その後25分を経過しても手の震えが止まらなかった。これはまずい、と思い救急相談した。電話の向こうのお姉さんが言った「救急車を呼びましょう」。

コロナ禍の状況としては、今よりだいぶ良くない頃だった(今が良好な方向へ向かっているという意味ではないが、とにかく病床は埋まり救急搬送先もかなり限られていた)。
救急隊員の方が来てくれた。「ご両親は?」「虐待を受けて縁を切ったので呼ばないでください…」「緊急連絡先とかある?」なかった。けれどご近所にお世話になったひとが居て、逆に言うならその時のわたしにはそのひとしか連絡出来るひとが居なかった。
彼女とは別れてしまったし、そもそもその彼女に脅迫を受けたことで食べ物が喉を通らず、三日間一睡も出来ず四日目に気絶してまた三日間一睡も出来ずを繰り返すような毎日だったし、その彼女が毎週末わたしの家に泊まりに来ていたことで近場の友人とは疎遠になってしまっていた。
話を戻して。ご近所の方は仕事で来れないようだった。もう一度聞かれた。「ご両親は?」「隣県ですけど…お願いします、呼ばないでください」「分かった、呼ばないからね」駆け付けてくれるひとが居ない、それだけのことでわたしは搬送先がどんどんなくなっていった。
どこも搬送出来ないとなった場合の受け皿のような病院へと搬送が決まった。救急車が走り出す。「こんなご時世なのに低血糖でごめんなさい」わたしは泣きながら何度も譫言のように言った。「大丈夫だよ、大丈夫」救急隊員の方は優しかった、嬉しくもあったし、やっぱり申し訳なさも強かった。
「意識がなかったら、親呼ばれるんですか」三十路を過ぎた女とは思えない幼い口振りだと今になって思う。「呼ぶことになるね」意識があって良かった、と安心すると共に、何かあった時緊急連絡先がなければわたしを虐待した両親に連絡が行く恐怖を味わった。
諸々が少し落ち着いてからだったと思う。「虐待を受けて親を呼ばれたくない人たちはヘルプマークを付けて、そこに緊急連絡先を書いておいて」Twitterでのこの呼び掛けは、数千人のひとが反応を示してくれた。もっともっと声が届いて欲しかったけれど、諸事情あってそのアカウントは後々削除してしまった。だからこのnoteを読んでくださった貴方、貴方の指先から、唇から、また誰かにと届けて欲しい。

話をもう一度、戻して。搬送されたわたしは点滴を受けつつ血液検査を受けた。結果はクリア。それもそうだ、充分な程糖分は摂取していたから。していたのに手の震えが治まらなかったのは、上記の「緊急連絡先の重要性」をわたしに身をもって教える為だったのかもしれない。

わたしは、積極的に「明日を迎えたい」思う側の人間にはなれていない。

明けない夜はない、必ず明日は来る、というフレーズをポジティブな意味として使われることは結構あると思うけれど、わたしのように積極的に生きたい訳ではない人間からすると「また今日が来てしまった」という感覚でしかなく。ずっと夜で良いし、寝たらそのままあの世行きの片道切符を手に入れたい。

そう思っている。そう思って生きてきた、泣きながら搬送されたあの日も、今日までも。なのにどうしてだろう。低血糖症だ、と察知すれば糖分を補給する。それぞれわたしを殺そうとしたことのある両親に連絡が行く可能性を断つ。それをしなければ明日は来ないで済むかもしれないのに。

前の記事で書いたけれど、わたしの手元にはペンデュラムというものがある。ダウジングと聞くとL字に曲がった2本の棒のようなものが思い浮かぶのはどの世代までだろうか。わたしはペンデュラムを使ってダウジングをする。
随分とお世話になった占い師さん曰く、わたしには少なくとも守護霊が二体ついている。わたし自身、視ることはまだ出来ないけれど、片方とは会話することは出来る。
ダウジングをやってみたところ、わたしにはその二体の他に三十を超える守護霊がついていると出た。ダウジングはイエスノーで答えられる質問しか出来ない為、段々と数を増やしていったらそんなことになった。四十を超えるかどうかを聞くのは止めておいた。どちらにせよ、わたしを守ろうとする存在がわたしのすぐ傍にそれだけ居るのなら五体十体それ以上と居ようがいまいが、そうそう死なせてはくれないのだと悟ったからだ。

二度目。
この時のわたしには緊急連絡先があった。キッチンで倒れたまま、たまたま手に持っていたスマホから連絡して、砂糖水を作りに来て欲しいとお願いした。わたしが低血糖症を起こしたことがあることを知っている看護師の方だったから、慌てながらも駆け付けてくれて甘さ飽和液そのものな砂糖水を作って飲ませてくれて、わたしは助かった。またしても助かってしまった。

とてもマイナスな感情で、いつ死んでも後悔はないと言い切れる。けれどきっと何かあればまたわたしは生きる道を咄嗟に選ぶのだろう。
両親から笑いながら飛び降りを唆されても実行出来なかった中学生時代。次に〇〇(両親がやっていた新興宗教)を悪く言ったら本気で殺す、と包丁を向けられた次の日に失踪したハタチ。薬漬けにされてソープ嬢に、が都市伝説ではないかもしれないと垣間見えてしまった二十代半ば。保険証もなく一度も病院に行けずに五年間ネカフェ難民しても壊れない身体。

死ねるタイミングなんて、数え切れない程あっただろうに。そうそう死なせてはくれない、わたしを守る存在たちが。

明日を迎えたくない感情と、誰かを助けたい気持ちは、同居していても許されると思っています。
地獄よりも地獄らしい二十余年を生きたわたしだからこそ届けられる想いが、言葉が、ある筈だと思いながら今日も依頼を待ち、言葉を届けます。

_____

朝から身体を清めて、肌を潤して。もう少ししたら朝食を摂って、大好きなお洒落をします。
どんな服にしよう。どんなメイクにしよう。

今日買うチョコレートは、何種類にしよう。

ささやかにも聞こえるそんな楽しみが、朝を迎えたわたしを生かしています。
ひとつふたつみっつと手に取ったチョコレートを大事に大事に冷蔵庫へとしまって、明日の朝の楽しみへと変わるのです。

日々悩める貴方にも。どうかそんな楽しみに思えることがありますように。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?