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服遍歴を振り返ると自分語りになり、胃が痛い

(トップ画像は先日日帰り試着の合間に行った金沢能楽美術館の展示物※撮影自由なコーナーのものです。この四角の木材から女性や鬼などの面を彫り起こしていくのです)。

はじめに


あきやさん講演会#3「ファッションのインプット&アウトプットで自信を作る方法」を見て、ファッション遍歴を振り返ろうと思った。
昨年ある方のアドバイスで若い頃自分の好きだったものを書き出す作業をして下地はある程度出来ていた。それにしても服の遍歴なのに色々思い出して胃が痛い。
年始の目標で「楽しめる人になりたい」「自分を下げない」と書いてるけど、振り返ると自分の嫌なところが見えすぎて。
でもこれを書いたから先日の金沢での試着時間がかなり有意義になった。更に自問自答ファッション教室にも当選したので、少しでも自己開示と振り返りをしたい気持ちがある(X=旧ツイッターはなかなか難しい)。
※途中ネガティブも多々あります。

幼少期

飲食店を営む両親と妹の4人家族。
借金からのスタートで両親は忙しく、夜中まで託児所か父方の祖母に預けられていた。宇宙人に記憶を消されがちな(©️あきやさん)幼少期で服の記憶がない。
服に関する事は…保育園の発表会でシンデレラの劇をすることになり、私は魔法使いのおばあさん役になった。紫とシルバーの太いストライプがモダンな衣装だった記憶。

小学生時代

ファッションの記憶がない。小2~小5辺りまでかなり酷いレベルのいじめにあい洋服どころではなかった。
小5のクラス替え&担任が変わってから少しずつ良い方向になった。また校舎の壁画のデザインを決めるコンテストが行われ、自分の書いたデザインが採用され壁画になった事で生きやすくなった感がある。
服の記憶はゼロだが、ノエビアのCMで鶴田一郎さんの絵に出会った。

中学校時代

父が胃癌で他界。母は店をたたむ事を選び色々な後処理をほぼ一人で対応。凄く大変だったと思う。その皺寄せが子供(特に長女の自分)に直撃。冷たくされた、裏切られた、助けてくれない、お金の話や大人の話を毎日2~3時間(休日はそれ以上)は泣き言や愚痴を聞かされた。愚痴自体は小学生の時から店の従業員さんや親戚友人の話を聞かされており通常営業が酷くなっただけとも言える。私がいじめられた話をしてもいつの間にか母の苦労話に話がすりかわるという謎のトリック。父の他界後に母が再就職したら、そこでの人間関係の愚痴もトッピングされて大変心と体に良くない方向に進化していた。
ファッションに関しては、矢沢あいの漫画が好きな事をきっかけにはじめて気になったのがヴィヴィアン・ウエストウッド。
同時に音楽番組「HEY!HEY!HEY!」で青いワンピース姿に女装して「楽園」を歌った吉井和哉に釘付けになり、以降THE YELLOW MONKEYのファンになる(矢沢あいも彼らのファンであることを知る)。私は昭和歌謡も大好きだが、吉井和哉の影響がかなり大きい。美輪明宏や梶芽衣子、沢田研二等を知ったのも吉井経由だった。
住まいは田舎だが、この田舎町にもヴィヴィアンを売っているお店があることを知り、買えないのに度々お店に通っていた。店員さんも冴えないノーメイクの中学生相手によく普通に接してくれたものだ。因みにリアルな服はジャスコやアピタだった。黒×赤とか紫好きで、当時和物ブームだったので和の感じも好きだった。

高校時代

母に疲れていた私は、機会があり他県(まあまあ都会)にある母方の親戚の家に希望して私だけ住まわせて貰う事になった(妹が代わりになり気の毒な事をしたと思う)。
学校帰りや休みには繁華街のパルコとか駅ビルに服を見に行ったりして楽しかった。いつも仲良しの友達と2人で行っていたが、彼女はピンクや水色のガーリー系好きで、お揃いで服を買う時はそれらの色を無意識に避けて赤や紫、緑を選んでいた。
音楽は変わらずTHE YELLOW MONKEYが好きだったが(好きになるとそればかり聞くタイプ)、一方で当時出始めたdoubleや嶋野百恵などの松尾潔系R&Bも好きになり黒っぽくカッコいい系の服も気になっていたが、買い物友達に気を遣い憧れているだけ。高3の時マウジーがギャルショップに置かれる様になり、こっそり一人で試着に行くが、全くボタンが閉まらず諦めた。そして店員さんと自分の顔面やスタイルの差に深く落ち込んだりした。
街に行くのに夢中で成績はみるみる下がったが、美術は大好きで文化祭の出し物でみんなで着るTシャツのデザインをしたりして、社交性は低めでも自分の居場所はあった。
美大に行きたくて教室に通い受験をしたのだが、直後田舎の母から泣きながら「帰ってきて」と電話が来た。

短大時代

その後色々な経緯があり結局地元の短大生になる。入れ替わりに妹は関西の大学に行きとても羨ましかったが高校3年間辛かったのだろう。
こころの中では(結局地元の短大なんて…)という気持ちで燻っていてやる気もあまりなく当時は授業よりバイトだった。地元にヨーロッパやアメリカのヴィンテージを置いてある古着屋があり、そこにはまっていた。
ピンナップガールの様なセクシーで可愛い服にライダースや鋲付きのブーツやハイヒールなどハードなアイテムを合わせたマネキンやディスプレイが可愛くてそんな格好をしたり、バイト先の一つが手芸店だったので自分でスカートやワンピースを作ったりしていた。
嫌々帰った田舎をそれなりに楽しんでいたが母から(田舎から)逃れたい気持ちはあり、車必須の地元で敢えて免許を取らなかった。2年次にファッションのコンテストに出品、入賞をきっかけに母を説得し、社会人コースがある専門学校に行くために再び家を出て関西に行った。

専門学校時代

働きながら学ぶ社会人コースだったが、専門学校のあまりのハードさにバイトに変更⇒やがてそれも途切れ途切れになる。
毎回出来上がった作品をマネキンに着せ、講師が成績順にそのマネキンを右から左に並べて皆の前でトップ(右)~最下位(左)まで順に評価を下す。私はいつも左に近い位置にいた。半年位で前後の成績だったクラスメイトがゴソッと離脱し、その後私が不動の極左ポジションだった。
クラスでも優秀グループのメンバーはギャルソンやマルジェラをさりげなく着ていて、成績のよろしくない自分は素敵だなと思っても着る勇気はなかった。トムフォード時代のイヴ・サンローラン リヴ・ゴーシュやLIMI feuになる前のY's bis LIMIをカッコいい!と思っていたが、クラスの出来る女子がヨウジヤマモトを着ていて、私は着れないと思っていた(リヴ・ゴーシュは桁が違いそもそも買えない)。生地代等にお金がかかり経済的に余裕がなかったのもあるし、スタイルも152cmで小顔でも華奢でもないので資格がないと思っていた(モード服については自問自答に出会ってから色々試着して良い意味で執着がなくなりました)。

マークジェイコブスが好き、フラボアが好き、トーガが好きなどクラスには色々自分の好きや個性のある人揃いだった。フランス人講師から「あなた自分がないわね」と指摘されていた私は神戸ギャル系(ザファーストとかナルシスとかcoolaなど、ミリタリーやレザーに加工の激しいデニムを合わせるハードめなお姉系という感じ)に流れ、ライダースかミリタリージャケットにリメイクデニムで無意識に制服化していた。因みに服飾専門学校にいながら靴の重要性には全く気づけていなかった。
地を這う成績の私も期限内に無事卒業制作を提出し、就職も何とか決まった。

社会人時代(関西)

有名ではない小さなアパレル会社の企画で就職したが、仕事のハードさと目の前の席が社長(それくらい小さい規模)のプレッシャーがきつく一年で早々に辞めてしまう。
その後企画やデザインでは仕事が決まらずor続かず派遣などで繋ぎながら、デザインでもWEB系の方が良いかも…とWEBスクールに数ヶ月通い、インハウスのWEBデザイン職に落ち着く。
仕事で阪急沿線を利用する様になってから宝塚が気になりハマる。そこで友人とまではいかないが観劇&軽くお茶する知人が出来て交流するようになってから、服装はクードシャンスやPinky&Dianne寄りになる。会うのは宝塚界隈だしお上品&リッチ風に見せたいとか、キャリアウーマン的なものへの憧れとか、これまで強そうとかギャルぽい服装をしていても人から素朴だねと言われがちだったのが根深いコンプレックスだったので、素朴さを撲滅させたかったとか理由は色々だ。そういう服装が似合う容姿や内面、生活とは程遠く、服装と着る人のバランス悪すぎでしょと今になっては思う。

アラサーと言われる年齢に差し掛かり、色々あって都会から田舎に早々に帰っていた妹から「結婚して他県に行くからお姉ちゃん帰ってきてお母さん見てあげて」と電話が来る。
絶対帰っちゃだめなパターンだと思うのだが、母の1人が心配すぎて帰ってしまった。

社会人時代(地元)

地元で早々に1回転職した後は、今の職場でかれこれ10年。数年間はエセキャリア風スタイルのままでいたが、産後は生活スタイルやトレンドの流れで迷走カジュアルが続く。そして自問自答に出会う~未だにコンセプトは決まってないが、今年は試着なしでは買わない事を念頭に起きながら自問自答中。
母とは結婚により強制的に程良い距離をおけていたものの、仕事で退っ引きならない事情の時に協力してもらった面もあり、借りを作ってしまった。一度本気で調べてみてくれと妹が本を渡したらしいが、後で私に「渡された本チラッと見たけどうちは違う」で流されてしまった。昔の話を出すと「じゃあどうしたら良いのよ!お父さんいなくて私1人よ!」とキレていた母に分かってもらうのは難しい。
別居だし極力孫を介して借りを作らないように努めてはいる。

終わりに

全体的に強そう且つ女!って感じの服が多かった気がする。可愛いとか自然体の服は通ってなかった(産後迷走期にかじって違和感で即止めた)。
でも気が引けて着ることの出来なかったモード系にも強さがあるし、フェミニンな服やナチュラル系でも、全身プチプラでも強い人は強い。
一貫して強くなりたい気持ちが今もあるんだけど、私がなりたい強いはよくJJGの方が仰る反骨精神ではなく、生き残りたい、の方である。
不器用で必死にやってやっと人並みにいける的なボーダーライン感があるので、とにかく生き残りたい気持ち。あと絶対毒親になりたくない、歳を重ねると自分の中に母的要素の芽が見えて嫌になる。これは産んだ自分の責任で産んだからには毒親だけは回避したい。
でも生き残るというのは皆に馴染むとか平均値まで自分を持っていくとかではなく、良い意味で「彼女はああいう人だもんね」「彼女らしいね」と許されたり放っておかれるニュアンスに近い。私は今まで自分の思う「生き残りたい」は前者なのかなと思っていたのだが、どうやら後者っぽいと気づいた。でも仙人とか孤高の人になりたいわけでも無いし何だかんだで人間として人と仲良く生きていきたい。

強さって言っても一番楽しかった時代の服を再現したらいいのかって話ではないし(それこそ化石になってしまう)、学生時代の様に洋裁したいわけでもない。今の田舎のワーママに合った身の丈の雰囲気や価格でとも割りきれない。県外に移住とかで逃げる事も出来ない。そんな中でも服だけじゃなく自分がより良く生きられるスタイルを探したいなと思うし、それが出来るか否かが自分が毒親になるかならないかの境目だと思っています。



読んでくださるだけでありがたいので、結構でございます…!