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王の愛、女王の怒り 〜マーティン・ルーサー・キングとニーナ・シモン〜 【トリスタン文書 第3部より】

ここだけのまえがき

『トリスタン文書』第3部の本編では、この前書きは削除され、以下に掲載する章はその前に来る章にそのまま接続されることになるでしょう。
けれど、ここで何の前置きもなくいきなり始めてしまうのは味気ない。わざわざ一章だけを抜き出して先行してシングルカットするのだから、何かしらの付加価値をつけたいと思って、この前書きを書くことにしました。

以下の章でなされているのは、ある架空の王国を築き上げる試みです。その王国では一見矛盾しダブルバインドのようにも思える二つの戒律が定められています。

怒りを抑えるな
だが決して憎むな

国歌アンセムにはジェフ・バックリィによる”Eternal Life”を選びたい。それは、マーティン・ルーサー・キングを撃った男、第二次世界大戦、ガイアナの大虐殺、マンソン・ファミリーによる殺人事件にインスピレーションを得て書かれ、バックリィはその曲のことを”怒りの歌angry song”と呼びました。
1996年2月28日、オーストラリア、メルボルンでのライヴで録音された、まるで地獄の底から聴こえてくるかのような”Eternal Life”の演奏は、怒りを抑えることを禁じる王国の国歌にふさわしい。彼には王国を守護するナイトになってもらいましょう。

憎しみに費やす時間があったら問いの答えを探す
愛とはなにか、幸せはどこにある?
人生とはなにか、平和はどこにある?
自分を解放する力はいつになったら見つかる?
 ”Eternal Life”

王国に入る門はつねに開かれています。
その国の民になり、彼らの仲間になることは誰にでもできます。
ただし門には門番がいて、戒律を守らない者の入国を拒んでいる。
門番の言うことはいつも同じです。
合言葉はPASSWORD?」


王の愛、女王の怒り 〜マーティン・ルーサー・キングとニーナ・シモン〜

1957年11月、アラバマ州モンゴメリー
「憎しみは、憎む者the haterの人格を歪める」
キング牧師ことマーティン・ルーサー・キングは、ある日の説教でこう話した。

憎む者には、美しいものが醜くなり、醜いものが美しくなる。
憎む者には、善が悪になり、悪が善になる。
憎む者には、真が偽になり、偽が真になる。
それが憎しみのすることです。
ものごとを正しく見ることができなくなる。客観性が失われる。
憎しみは、憎む者の人格構造そのものを破壊するのです。

憎しみにとらわれたとき、人は愛していたはずのものにも激しい敵意を向けるようになる。それはヘイターの人格が歪められた結果だ。客観性が失われた結果だ。
だから何度も飽きることなく誹謗中傷を、誰かを貶める言動を繰り返す、やつらの言葉に注意しろ。どんなに説得力があるように聞こえても、他人を尊重respectせず、自らの憎しみを隠そうともしない、やつらの言うことを信用するな。
一度憎しみにとらわれてしまったら、どんなに美しい人のことも、やつらは醜いと言うだろう。

そして俺たちは、そんなやつらに対して憎しみを抱かないように注意しなければいけない。
なぜ敵を憎んではいけないのか?
1957年11月17日に行われた"Loving Your Enemies"の題で知られる説教において、キング牧師はこう語っている。

ここにイエスが「あなたの敵を愛せ」と言う最終的な理由があると私は考えます。愛には贖罪の力があるからです。そこには最終的に個人を変える力があります。イエスが「あなたの敵を愛せ」と言ったのはそのためです。敵を憎むと、敵がその罪を償い、変わるという道がなくなってしまうからです。しかし敵を愛するなら、愛の根底には贖罪の力がpower of redemptionあることに気づくでしょう。

最初に登場した時は憎むべき敵であった悪役が、主人公の性格や言動に感化されて改心し、頼れる仲間に変わるという展開は物語の王道だろう。『ラピュタ』『ドラゴンボール』『ワンピース』……『スラムダンク』の三井だってそうだ。主人公が敵を憎んでいたら、悪役の心が変わることはありえなかった。
そんなものは漫画やアニメの世界での話で、現実には起こりえないと思うかもしれない。そこでキング牧師は、現実のアメリカに存在したある男の話をする。それは憎しみを拒否した男の話だ。キング牧師は俺なんかよりはるかに優れたストーリーテラーだから、少し長くなるがここから先は彼の説教の一部を要約せずにそのまま引用する。

私たちは皆、アメリカ合衆国の偉大な大統領、エイブラハム・リンカーンを覚えています。そしてリンカーンが合衆国大統領に立候補していたとき、国中を駆け回って、しきりにリンカーンの話をした男のことを覚えているでしょう。彼はリンカーンについて多くの悪口を言いふらし、さんざんひどい言葉を投げつけました。時にはリンカーンの外見についてさえ話題にし、「こんなに背が高くてやせっぽちなうえ無知な男を大統領にしたくないですよね」と人々に言いました。彼は何度も何度も何度on and on and onもそうした行動を取り、リンカーンを中傷する文を書きました。

しかしついにある日、リンカーンは合衆国大統領に選出されます。そしてリンカーンの偉大な伝記や、彼に関する偉大な作品に書かれているように、彼が陸軍長官を選ぶ時が来ました。彼は全国を見渡して、スタントンという名前の人物を選ぶことにします。リンカーンが彼の側近にそう話すと、彼らはこう言いました。
「リンカーンさん、あなたはばかですか? スタントンがあなたのことをどう言ってきたかわかってます? あいつが何をしたか、あなたに何をしようとしたか知っていますか? あいつがあらゆる手をつくしてあなたを引きずり降ろそうとしてきたことを、そのことを知っているんですか、リンカーンさん? あいつのあなたに対する中傷的な発言をすべて読んだのですか?」
リンカーンは側近たちの前に立って言った。
「もちろん、そのことは知っています。それらを読んだことがあるし、彼から直接聞いたこともある。ですが、全国を見渡してみると、彼がその仕事に一番ふさわしい人物であるとわかったのです」

こうしてスタントンは陸軍長官になり、数か月後、リンカーンは暗殺された。ワシントンに行けば、リンカーンについて述べられた最も偉大な言葉のひとつが、この男、スタントンによるものだということがわかるでしょう。リンカーンが人生の終わりを迎えたとき、スタントンは立ち上がってこう言いました。「彼は今、歴史となったNow he belongs to the ages.」そして彼は、リンカーンの人格と偉業を讃える美しい言葉を述べたのです。

リンカーンがスタントンを憎んでいたとしたら、もしリンカーンがスタントンの言うことすべてに反応していたら、リンカーンがスタントンを変え、彼を救うこredeem とはできなかったでしょう。スタントンはリンカーンを憎んだままお墓に入り、リンカーンはスタントンを憎んだままお墓に入ったでしょう。しかし、リンカーンは愛の力によってスタントンを救うこredeem とができたのです。

敵だった男が仲間に変わる。リンカーンに対し悪意を持って、彼を中傷する言葉をさんざん口にしてきた男が、リンカーンの最期に立ち会い、彼を讃える美しい言葉を述べる。それが愛の力だとキング牧師は言う。

さらに彼は、この原理は国際的闘争にも当てはまる、民主主義と共産主義とのイデオロギー闘争すなわちアメリカとロシアとの闘争にも当てはめうると語る。この説教が行われたのは冷戦が深刻化していた1950年代だ。
(これ以上の引用は避けるが、その後に展開される「民主主義に内在する欠点と悪」の議論では、冷戦終結以降のたとえば2001年アメリカ同時多発テロ事件の際にさかんに議論された論点や、今日しきりに取りざたされる富の寡占の問題などが指摘され、彼の問題意識が現在でも十分にアクチュアルなものであることを示している。だが、キング牧師の言葉を読んでいて感銘を受けるのは、社会に対する分析力や博識ぶりなんかよりも、人間の心の動きへの深い洞察に対してであり、話の要点を簡潔に理解させ納得させる表現の巧みさ、卓越した言語化能力に対してだ。それが、彼の言葉が古びることなく時代を超えて読み継がれている理由だろう)

「あなたの敵を愛せ」はキリスト教の教えだ。
ユダヤ教のタルムードは「もし誰かがあなたを殺しにきたら、立ち上がって先に彼を殺せ」と教えているわけだが、今日ではキング牧師に近い立場をとるラビたちもいる。
ラビ・ジョン・ロソブは、「ユダヤ教では敵を”愛せ”とは命じていません」と前置きした上で、しかし国際関係において敵が変容する可能性についてこう述べている。
「イスラエルとパレスチナの現在の関係を活性化させている憎しみと不信とを考えると、平和を想像するのは難しいですが、かつてドイツが私たちの最大の敵だったことを覚えておく必要があります。今日、ドイツはヨーロッパで最も反ユダヤ主義が少ない国です。
ドイツと日本は、75年前(2018年現在)、アメリカの憎むべき敵でした。かつて北アイルランドではプロテスタントとカトリックが互いに殺し合っていました。今日、これらかつての敵は銃を捨て、平和を打ち立てました」

かつてユダヤ人のもっとも憎むべき敵だったドイツ人は、いまや頼れる仲間に変わった。そのことを俺たちも覚えておこう。

もちろん、世界から憎しみが消えることはないだろう。
NBAではいまだに”ブラック・ライヴズ・マター”のTシャツを選手たちが揃って着用し続けている。イングランドのプレミア・リーグではいまだに"No Room For Racism"のバッジをユニフォームにつけながらプレーしなければならない。
2023年になっても……。

ブルースの女王と呼ばれるニーナ・シモンは1997年のインタビューでこう言っている。

——人種間の線引きをあいまいにすることは、人種差別撤廃にとっていいことだと思いませんか?

シモン 人種差別撤廃なんて冗談でしょう。私はアメリカは死に向かっていると思っています。ハエのように死んでいくのです。歌の歌詞にあるように。

INTERVIEW MAGAZINE JANUARY 1997

「この国は嘘だらけ。みんなハエのように次々と死んでいく」と歌う ”Mississippi Goddam” が書かれたのは1963年。それは、ミシシッピー州で14歳の黒人の少年、エメット・ティルが白人女性を怒らせたとして二人の白人男性にリンチされ惨殺された事件、黒人解放運動の指導者メドガー・エヴァースが射殺された事件、アラバマ州バーミンガムの教会が白人至上主義者によって爆破され、11歳と14歳の黒人の少女たち、キャロル・デニス・マクネア、シンシア・ウェズリー、アディ・メイ・コリンズ、キャロル・ロバートソンの4人が殺された事件にインスピレーションを得てシモンが書いた曲だ。
バーミンガムの事件を知った後、シモンは教会にダイナマイトを仕掛けたクー・クラックス・クランのメンバー四人のうちの誰かを銃で撃ち殺してやろうと考えた。しかし夫のアンディに「誰も殺すな。君はミュージシャンだろう」と言われると、彼女はそれから1時間足らずの間に”Mississippi Goddam”を書き上げた。それは、教会爆破事件の犯人たちに
「10発の銃弾を投げ返すようなものだった」と彼女は語っている。

アラバマが私を激怒させた
テネシーが私の安らぎを奪った
誰もがそれを知っている
ミシシッピー、地獄に堕ちろ!
”Mississippi Goddam”

シモンの娘、リサ・シモン・ケリーは、当時のシモンを支えていたのは「怒り」だったと言う。
長年続くツアー生活に疲弊しきっていた彼女は、演奏活動に嫌気がさしていた。そんな彼女が1960年代に曲を書き、ステージで歌い続けられたのは怒りの感情に駆り立てられたからだった。

怒りは人に行動を起こさせるモチベーションとして非常に強力な感情だ。
恩塚は感情をコントロールすることと我慢することは違う、(バスケットボールにおいて)感情を自分のパフォーマンスを上げるために使おうと言う。感情は自然に湧いてくるものだから、それに抗ってはいけない。怒りがこみ上げてきたときに我慢すると、それがずっと自分の中に昇華されずに残ってしまう。怒りを自分が頑張るためのモチベーションとして使うのだ。怒りはガソリンのようなもの、怒ってるときはパワーが湧くでしょ、と彼は言う。(また、『バスケットボールの定理』が理不尽な悪意や中傷に対する怒りを原動力にして書かれた文章であることは、以前俺が証明してみせたとおりだ。)

1964年、カーネギーホールで行なわれたコンサートを録音したライヴ盤『Nina Simone in Concert』から”Mississippi Goddam"がシングルカットされると、この曲は南部のいくつかの州で放送禁止になる一方で、公民権運動のアンセムとなった。
1965年、セルマ大行進(黒人の選挙権を求めて、セルマからモンゴメリーへ向かった大規模なデモ行進)がモンゴメリーに到着した日の夜、シモンはモンゴメリーの仮設ステージで行われたイベントに出演し、”Mississippi Goddam"を歌った。客席の最前列にはキング牧師が座っていて、シモンはそこで初めてキング牧師と会った。

二人の主義主張は常に一致していたわけではない。意見が対立することもしばしばだった。
あるとき、シモンはキング牧師に向かって挑戦的に言った。
「私は非暴力的な人間ではありませんよ」
彼はこう答えた。
「かまわないよ、シスター。必ずしも非暴力的である必要はない」
こうして彼らは互いを尊重respectし合う友人になり、3年後、キング牧師は暗殺された。

1968年4月、ニューヨーク州ロングアイランド
キング牧師が凶弾に倒れてからわずか3日後、ウエストベリー・ミュージックフェアに出演したシモンは、のちにアメリカで「これまでに書かれた最も悲しい曲」と呼ばれることになる歌を初めて歌った。その曲は悲しいと同時に美しい。スタントンがリンカーンの最期に述べた言葉のように……。

「ある曲を演奏したいと思います。今日のために、この時間のために書かれた曲、マーティン・ルーサー・キング博士のために書かれた曲です。このプログラム全体が彼の記憶に捧げられていることはすでに話しましたが、この曲は彼について、そして彼のために書かれています。昨日覚えたばかりの曲ですが、どうなるかやってみましょう」

この国は落ちていくの? それとももちこたえられる?
私たちみんな、もう手遅れ?
ならばマーティン・ルーサー・キングの死は無駄だったというの?
“Why (The King of Love Is Dead)”

このライヴパフォーマンスの未編集バージョンとしてリリースされた約13分の音源には、曲中の彼女のMCがカットされずに収録されている。

「これ以上の喪失には耐えられません。もう無理。ああ、神様。やつらは私たちを一人ずつ撃ち殺しています。それを忘れないで。やつらは一人ずつ、私たちを殺しているのです」

この日歌われた”Mississippi Goddam”の間奏では、彼女は聴衆に向かってこう呼びかけている。
「あなたが少しでも感動したなら、私の歌を少しでも知っているなら、お願いだから私の仲間になっjoin meて。そんなところに座っていないで……。今ではもう遅すぎる! なんてこと! キングは死んでしまった。愛の王King of Loveは死んでしまった。私は非暴力的であるつもりはありませんよ、ハニー!」

彼女が言うようにキング牧師を救うには遅すぎた。けれど、キング牧師の死も、シモンが偉大な彼について歌った美しい歌も、決して無駄だったとは言わせない。キング牧師の言葉を心の支えにしてきた人はたくさんいる。シモンの歌に人生を支えられてきた人もたくさんいるだろう。ここにもひとりいるし、ジェフ・バックリィもそのひとりだったはずだ。
自分のことをニーナ・シモンの歪んだ私生児と語っていたバックリィは、シモンが歌ってきた曲を何曲も歌い継いだ。バックリィのステージではいつもシモンの曲が一つか二つ演奏された。そして”彼”はバックリィのカバーをきっかけに彼女を”見つけた”
彼女の歌は、彼らには”間に合った”

シモンが残した何百という曲は、今も後の世代の多くの人々に聴き継がれ、歌い継がれている。彼らがこれから何をするか、世界がどうなるか見てみよう。あのレジェンドたちもきっと、どこかで見ているはずだ。

(次章へ続く)


ここだけのあとがき

1968年2月4日、悲劇のちょうど2ヶ月前、キング牧師はジョージア州アトランタのエベネザー・バプティスト教会で説教を行っている。彼はお気に入りの聖歌”If I Can Help Somebody”の歌詞を引用してみせる。

もし私が、通りすがりに誰かを助けることができれば
もし私が、言葉や歌で誰かを励ますことができれば
もし私が、誰かに間違った道を歩んでいると教えることができれば
そうすれば、私の人生は無駄にはなりません
"If I Can Help Somebody"

説教の中で、彼は自分の葬儀を想像する。そして願わくは、自分のことを数々の受賞歴や名誉によって記憶するのではなく、人類を愛し人類に奉仕しようとした人として覚えていてほしいと話す。葬儀の日、まちがっても「彼はノーベル平和賞を受賞しました」なんて言わないでほしい。「300も400も賞をもらいました」なんて言わないでほしい。それは重要なことではない。

その日、「マーティン・ルーサー・キングは他人のために人生を捧げようとしました」と誰かに言ってもらいたい。その日、「マーティン・ルーサー・キングは誰かを愛そうとしました」と言ってもらいたい。


1968年4月7日、ニーナ・シモンはロングアイランドのNYCBシアターで、前日できたばかりの新曲を披露しようとしている。リハーサルもできず、ぶっつけ本番だけれど、つまったら即興で乗り切るまでだ。
「どうなるかやってみましょう」
彼女は歌い出す。

かつてこの地球に仲間のために愛と自由を説きながら、慎ましく生きた人がいました……
“Why (The King of Love Is Dead)”


1995年2月9日、ジェフ・バックリィはメルボルンのプリンス・パトリック・ホテルのステージで、シモンの曲”Lilac Wine”を歌っている。そのときの彼は、まるで彼女の生き写しだ。声のトーンや歌い回しのみならず魂まで受け継いだかのように……。
やがて歌は終わるが、シモンの魂は彼に宿ったまま消えない。
彼は言う。
「ニーナ・シモンの曲をもう一曲」

私のあなたへの愛がどれほど深くなっているかは
誰も誰も誰も誰も誰も、誰も知らない
”That's All I Ask”


ある日どこかで、あなたは彼女を見つける。


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