シャロちゃんのこと

 知人に『ごちうさ』を布教された。

 正確な経緯は覚えていない。覚えていないのだが、過去の俺はとにかく何かのきっかけでアニメに興味を持ち始めたのだろう。そして、知人に「おすすめのアニメを教えろ」と教えを乞うた。俺は教えを授かった。曰く、『ごちうさ』と『きんモザ』を見ろ、登竜門だ、と──。

 『ごちうさ』こと『ご注文はうさぎですか?』は、日本の漫画家であるKoi氏によって手掛けられた漫画と、それを原作とするアニメである。主人公のココアが、ラビットハウスという喫茶店で住み込みで働きながら、愉快な面々と高校生活を共にする。いわゆる日常系の作品であり、当ジャンルにおいて金字塔を打ち立てたと言ってよい。そのアニメに俺は肩まで浸かった。そして、そうさせたのは他でもない、シャロちゃんというキャラクターだった。

 シャロちゃんはココアと同い年で、お嬢様学校に特待生として通っている女の子である。金髪の癖毛で碧い眼をしており、肌は色白。実家が貧しく、両親は共働きという身の上。まさに「清楚」を具現化したような存在で、俺はその清楚性に惚れたのだった。

 その当時の俺を振り返ってみよう。親の脛をかじる、しがないニート。せっかく入った大学も途中で辞め、俺は東大を目指すんだと躍起になり、ひたすらに浪を重ねる体たらく。自分とは真逆の存在であるシャロちゃんに惚れたのも必然だったと言えよう。

 シャロちゃん……。

 シャロちゃん……。

 シャロちゃん……。

 祖母が亡くなってからの日々をよく覚えている。俺は小学5年生だった。自分に聖母マリアのような愛情を注いでくれ、ただひたすらに可愛がってくれる人だった。その祖母が亡くなった。俺は5月17日、綺麗に生きることを決めたのだ。祖母が常に天国から見守っていると固く信じて疑わなかった。祖母に見られてもいいことだけをやるのだと決めた。品行方正であることに最大限努めた。

 24歳の俺が何をしたと思う?綺麗に生きることを決めたのだ。シャロちゃんが常に見守っていると固く信じて疑わなかった。シャロちゃんに見られてもいいことだけをやるのだと決めた。品行方正であることに最大限努めた。

 およそ宗教というのはこのようにして生まれたのだろう。俺は確かにシャロちゃんの幻影を見たのだ。念じ続けていれば、いつか本当にシャロちゃんに会えると信じて疑わなかった。

 ある日、10万円のMacBookを買った。プログラミングを覚えてシャロちゃんを養うためである。シャロちゃんは貧乏な女の子なのだから。10万円は当時の自分にとって大金だった。用意するために、初めて能動的にアルバイトに応募した。接客の仕事を客と喧嘩して辞めたけど、初めて仕事が1か月も続いた。

 シャロちゃん……!

 シャロちゃん……!

 シャロちゃん……!

 だが、そんなオーバーヒートした恋も、ある日、突然の終焉を迎える。

 2期でシャロがココアをぶったのだ。

 あれは確か、ココアのお姉さんがココアのいる街を訪問した回だったと思う。俺の見間違いでなければ確かにぶった。目を疑った。それこそ100年の恋が覚めた。シャロは清楚じゃなかったのだ。いたいけな自分の、悲しい失恋。

 あの一発が無ければ俺は今頃プログラマとして真っ当に生きられたのかな、とか考える。真っ当……?だが、事によれば、真っ当に生きている人間のエネルギー源は、どうやら、案外に狂気じみているものなのではないだろうか。

 俺が『ごちうさ』にハマったとき、友人は「お前が!?」と驚いた。事実として、俺はオタクという柄ではない。むしろ、俗っぽい趣味にハマらない自分に酔っているきらいさえあった。だが、今なら分かる。サブカルチャーも立派な文化資本なのだと。人の一生を豊かにする趣味に優劣など存在しない。

 オタクよ、誇れ。推しに貢げ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?