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三秒もどせる手持ち時計(2章14話:宴のあと)

14.宴のあと

 翌朝。秀次は、朝食をいただくためにダイニングルームに向かっていた。昨夜、皆の話を聞いた祥子は、京子、柚葉、凛、そして涼を不問とすると決めた。そして、蓮也には、家元としてではなく純粋に作品作りに専念してほしいという願いの言葉を告げた。
 秀次は、神具を使いたくなかった理由が分かった気がした。それは、当初から小豆沢家にうごめく違和感は、神具を用いて無理やり解決してはいけない気がしたからかもしれない。
 ダイニングルームに行くと、既に先客がいた。それは、あやめと桜子、そして柚葉と凛だった。彼女らは、当初と変わらぬ、楽しそうな雰囲気であった。すると、他の面々も続々とダイニングルームに現れた。
「昨夜は、遅くまでお付き合いいただきありがとうございました。これは、昨日の残り物で申し訳ありませんが…」
 祥子が言った。すると、ダイニングルームの扉が開いた。その先には、京子と蓮也がいた。
「蓮也…」
 祥子が声を漏らした。すると、
「お袋。俺の分はあるか?」
「ありますとも」
 祥子は、そういうと食器を用意した。聞くと、祥子は蓮也の席をいつも用意していたのだとか。
 部屋には、僅かに緊張感があった。しかし、小豆沢家の面々からはわだかまりが消えているように感じた。
「なんだか、柔らかい雰囲気になったね」
 あやめが、小声で言った。すると、凛が笑顔で近寄って来た。その手には、山盛りのご飯を乗せたどんぶりがある。
「これは、あやめさん用です。桜子ちゃんが渡してくれって」
 凛が笑顔で言う。秀次は、吹き出しそうになった。
「ちょっ。桜子ちゃん」
「たんと召し上がれ」
 桜子は、悪びれずに言う。
「もう。うれしいけど。ちょっと、秀次君。笑いすぎ」
 部屋の雰囲気は、あやめのおかげで和やかになっていた。

 朝食を摂り終えると、秀次はあやめに連れられてパーティールームへと向かった。朝の裏庭を見たいらしい。
 パーティールームには、桜子と柚葉、そして凛がいた。どうやら、パーティーの片づけをしているようだ。
 すると、柚葉が手招きしてきた。彼女の表情は、憑き物が取れた朗らかなものであった。
「聞きました?桜子姉さんの昨日の涙。演技だったって」
「えっそうなの」
 秀次は、驚いた顔で桜子を見た。
「柚葉には、途中からバレていたみたいですけどね」
 桜子が舌を出しながら、言った。
(…さすが女狐。やりおるな)
 なぎさも驚きを隠せない様子だ。
「あの時、わたくしが涙を流せば、涼さんも反論しにくくなるかと思いまして」
 桜子は、不敵な笑みを浮かべて言った。
「でも、柚葉。凛。あなた達を責め立てるのは、わたくしも辛かったのよ」
 桜子は、一呼吸の間を置いた。
「それでも、言わなきゃいけないと思ったの。わたくしは、これからあなた達とわだかまりを抱えたまま付き合いたくは無かったの。これは、本当」
 桜子は、いつになく真面目な顔で言った。
「姉さんは、本当に性悪よね。凛」
「まったく」
 すると、パーティールームに愛葉心が入って来た。そして、秀次とあやめに簡単な挨拶をし、凛に話しかけた。
「蓮也と話してきたよ。今から、作品の構想を練るんだってさ。あと、基本を一から見直すとも言ってたよ」
 その言葉を聞いて柚葉は、少し涙を浮かべた。これは、桜子のそれとは違い正真正銘の涙なのであろう。
「ところで、凛。あなたは、愛葉君が『鶴の水面』を入れ替えたことに気付いていたのかしら?」
 桜子が聞く。
「いえ。正直、途中まで気付いてなかったよ。でも、パーティーで桜子ちゃんが『鶴の水面』を見ている時、思い出したの。倉庫で『鶴の水面』が裸で置かれていたことに…」
 聞くと、普段『鶴の水面』は木箱に入って保管されているそうだ。しかし、鍵の閉め忘れを指摘された時、『鶴の水面』は木箱の横に裸で置かれていたのだった。
「正直、桜子さんの慧眼けいがんには驚きましたよ。パーティーの準備で忙しかったとはいえ、祥子さんも気付かなかったのに…」
 心が言う。すると、桜子は彼らにもっと尊敬しなさいという意味の言葉を告げた。
(今回は、とんだ茶番だったのう。秀坊)
 なぎさが、声をかける。
(しかし、あれじゃの。他人任せの野望は、やはり災いを生むの)
 秀次も、そうかもしれないと思った。今回、京子は蓮也に自身の野望を託し、柚葉と凛は野望へ向かう策を涼に預けた。さらには、祥子も含めたお互いのコミュニケーション不足が災いを引き起こしていたのだった。
 すると、今度は涼が入って来た。そして、桜子に謝罪をし、お詫びに食事でもどうかと誘っているようだ。
(あ奴、盗人猛々しいとこうゆう事じゃ。秀坊も…情けない秀坊には無縁かのう)
 なぎさの含み笑いが漏れてくる。
(大きなお世話だよ)
 秀次は、あやめを探した。見ると彼女は、裏庭の日本庭園を見ながら、時折写真を撮っている。その姿は、彼女があまり着なさそうな水色のワンピースだった。確か、昨夜も同じものを着ていたような気がする。
「あやめちゃん。その服――」
「いいでしょ。昨日、桜子ちゃんから借りたの。で、沢山あるからくれるって」
 あやめは、笑顔を振りまいた。
「そう言えば、昨日はゴメン。着替えの時間とかが、必要だったんだな…」
 秀次がそう言うと、あやめが下から覗いてきた。
「何だよ」
 秀次がそう言うと、あやめが不敵な笑みを浮かべながら言った。
「秀坊よ。情けなさすぎて涙が零れそうじゃぞ!」
 またしても、なぎさの含み笑いが盛大に漏れていた。

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